楽団名の由来  [いまわし部族に戻る] [イマケイTOPに戻る]
「いまわし電話」と「新しい部族」
2002.5.9.ー5.14

P−MODELの3枚目「ポプリ」収録曲「いまわし電話」とヒカシューの3枚目「うわさの人類」収録曲「新しい部族」を掛け合わせて人類学的ニュアンスを出してみた。(2002/5/9)

いまわし電話(P−MODEL)
81年発表の3枚目のLP「ポプリ」。これまでのピコピコ・テクノポップシンセを一切廃し、ダークなオルガンサウンドで、社会の生成に遅れたきた俺達は自死しかないのかな、という感じのテーマ。生花を枯らす前に保存するポプリのごとく。
ラス前B面5曲目「いまわし電話」間奏中に漏れ聞こえる電話の会話の内容は
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、・・・

新しい部族(ヒカシュー)
81年発表の3枚目のLP「うわさの人類」。ドラムスに泉水敏郎が正式加入して、ライブでのリズムを考慮しなくてよくなってからできた作品。変拍子のシークェンスなインスト曲もあるが。
バルネラブル(? 人の持つ、他人に指摘されやすい明らかな欠陥、欠点、不具)な部分とそこに(自己愛含む)愛を感じるというのは映画「フリークス」をモチーフにしたコンセプト。
A面のラス前5曲目が「新しい部族」。「イヨマンテの夜」を彷彿とさせる土着チックな男声スキャット。世界の果てで群れなし歩き出す夢遊病者が新しい部族らしい。
この前の歌「体温」では歌詞カードに「(あなたの症状を報告して下さい)」とある部分。かすかに、ギター海珠正道(現・三田超人)の精神科医かカウンセラーに話すかのような声が聞こえるが、「猿の真似したり…」「頭おかしい…」しか聴取不能。(2002/5/11)


いわゆるナントカ

ところが、81年秋の洛星旧講堂での初演では、いまわし部族と名乗ってはいない。
いわゆるナントカ(あたかもP−ゲシュタルトof HOPE)・・・いまわし部族=HUMAN−Z→TAO
という名称で登録していたのだった。
いわゆるナントカというのは、おそらくは名前をつけたくはなかった、あるいは
Public Image Limited的志向。
あたかもがどこから出てきたかは忘却。
P−はP−MODELあるいはPーMODELの1枚目のLP「IN A MODEL ROOM」のジャケットに書かれていたPで始まる名詞の数々。
ゲシュタルトは既述「ポプリ」のB面最後の曲「ポプリ」で平沢が歌う「せめて香りのゲシュタルト」。
of HOPE。おそらくは、ヒカシューの1枚目「ヒカシュー」B面3曲目「何故かバーニング」で巻上が歌う「フロイト、フロムも読んでみる」のフロムの「希望の革命」からだと思う。
で、
いまわし部族
その後は、今から思うと多少、唾棄すべきジョナサン的メンタリティが入ってて痛恨ではあるが。工作舎「遊」にそこはかとなく漂ってたり、ロッキング・オン誌で岩谷宏が毎月レコード評のコーナーで書いてた老子的アナーキズム。

その後、シンプルに「いまわし部族」と名乗るようになるのだが、契機は82年のとある出来事。
そこにはヒカシューがいたのだった。
(2002/5/12)

同大学祭ヒカシューコンサート

82年秋、同志社の学祭にヒカシューが来た。(ちなみに、この年京大では栗本慎一郎講演。司会、浅田彰)
当時、駿台予備校京都校に在籍していたわたくしは、会場前のホールに母校の制服を着た輩二人組を発見。
近づかないようにしていたのだが、入場の列に並ぶと前後になってしまった。
前期末試験の時期だったので、ついうっかり「おまえら試験前にこんなとこ来ててええんけ」と先輩風を吹かせつつ話しかけてしまったのだった。
すると、先方は期末試験のことなどまったく意に介さずに「
いまわし部族の人でしょ」と応酬。まるで、P−MODELのデビュー曲「美術館で会った人だろ」みたいな唐突な口調で。当方赤面。
当時からすれば約1年前の、しかも拙い初演を覚えてくれてる客がいたことにたまげて、以後、「いまわし部族」と名乗り続けて幾星霜。
このとき、覚えてくれてた後輩が誰だったのか、不明のまま現在に至る。
(2002/5/13)

CD付録
当時のレコードたちの
再発CD


写真右上が「ポプリ」でその下が「うわさの人類」。

その下にリザードの1枚目もありますが。
「浅草ロック」「光州市街戦」収録の2枚目「バビロンロッカー」アナログ盤は(たぶん、一時期いまわしメンバーだった久保田香港に)貸したまま。
乞CD化。
(2002/5/14)

[いまわし部族に戻る] [イマケイTOPに戻る]