文化研究(2002/03-)  [文化研究に戻る] [イマケイTOPに戻る]
流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである
ミスター高橋(講談社/2001)  
2002.3.6.


出た。痛快のプロレス暴露本。内部にいた人がここまで語ることはこれまでなかった。こんな本が出るなら新日本プロレスももっと見とけばよかった、と後悔先に立たず。

そもそもプロレスはあんまり見てませんでした。その面白さに気づいたのは1980年ごろの「ジャイアント馬場3千試合連続出場」の頃から。少年チャンピオン連載のとりみき「薔薇の進さま」から「るんるんカンパニー」においてのギャグまんが的視点からのプロレス観によって。
当時、村松某という作家が「私、プロレスの味方です」と称して、猪木・新間と
悪のトライアングルを形成。全日本プロレスを「プロレス内プロレス」と貶めることで新日本プロレスの「過激なプロレス」を売り出してた頃であります。
見比べると、やはり圧倒的に全日本プロレスが面白い。
外国人レスラーの多彩さに加え、どうしようもなく弱いドリー・テリー兄弟のザ・ファンクスの勝利、アブドーラ・ザ・ブッチャーの無意味なまでの凶器攻撃と流血、何度パイプ椅子で殴られても倒れないジプシー・ジョーとジャンボ鶴田の
椅子の受け渡しのタイミング。何とも言えない各レスラーの芸風の輝きとそれを際立たせる展開の妙味。
座長から脇役まで、ヒットギャグがあればあるだけ、その分舞台で脚光を浴びることができる吉本新喜劇の造りに例えられるでしょう。一方、新日本プロレスは最終的に猪木にスポットライトが当たる、藤山寛美のためにある松竹新喜劇。
新日本プロレスにあった殺伐としたスピード感も、よほど入念な打ち合わせ、稽古が必要な気がして、あまり見る気にはなれなかったのです。

そんな、第2次プロレスブームの高校大学生時代、周囲のプロレスファンはほとんど新日派。全日派といえば、わたくしとサークルで1個上の先輩の2人のみ。その頃出版された「馬場派プロレス宣言」「ジャイアント馬場と勝手に連帯する本」などでの栃内良の仕事が精神的支柱になったことは否めません。
すでに老境に至り「御大」と称されたジャイアント馬場が何故勝つのか。新日派のみならずの素朴な疑問に
「高速回転するコマは止まっているかのように見える」
「すべての技に返し技のあるプロレスにおいては、最強レスラーは止まる」

などの理論形成を為すことができたのです。
(蛇足ながら能では数メートルで京都から隅田川までの長旅をも表現)
また、宴席などで話題になる「最強レスラーは誰か?」な問題にも、迷わず馬場と答えることができました。その根拠は、
インサイドワーク! 
改めて考えると謎の言葉、
インサイドワーク。よく野球で投手の能力を引き出し、打者とのかけひきに長じるキャッチャーをして「さすがは古田。野村ゆずりのインサイドワーク」と言わしめるアレのようなものでしょう。
つまるところ、プロレスにおいての強弱は、相手との駆け引きだったのです。
むしろ、リングの外での。

そのことを露骨に発表して、スポーツという衣裳を捨てて、エンタティンメントに徹せよ!と訴えるのがミスター高橋。
晩年の全日のキャッチコピー「みんな格闘技に走るので、プロレスを独占させてもらいます」「明るく、楽しく、激しいプロレス」にも相通ずるだけに、全日の消滅ってゆーか馬場さんの入滅の悲しさを改めて感じます。

ところで、日本3大レフェリーといえば、日本プロレス時代の沖しきな、全日のジョー樋口、そして新日のミスター高橋でしょう。沖しきなには、外国人レスラーにシャツを破られる。ジョー樋口には、技の巻き添えをくらって
肝心なところで失神(とくにジャンボがフォールしているとき)という名人芸がありましたが、ミスター高橋は地味。ご本人の人柄にもよるのかもしれませんが、マッチメイクとかのご苦労でそれどころではなかったんだろうなということも、この著作からは窺い知ることができます。以上。

[文化研究に戻る] [イマケイTOPに戻る]