拒否できない日本(関岡英之)
アメリカの日本改造が進んでいる/文春新書
2004.06.13
今んとこ中国の工賃の安い労働者に物を作らせて、その上前をはねて国内または世界で売る、という構造を維持している我が国のみならず世界の一部の企業ですが、この構造が変わったら、さてどうするか。
中国資本が独自に日本製品同様またはそれ以上の製品を、破格で製造して輸出することになったら、という事態を想定してください。日本企業は概ね儲からなくなる。ビジネス用語で言うと競争力を失う。
業界団体の役員だったら、真っ先に人民元の切り上げまたは変動相場制への移行のための働きかけを日本政府に要望することでしょうか。輸入障壁を設けてもたいてい対抗措置があります。
まさか、その先の人民元高誘導であったり、中国の非民主的な政治システム・職場環境、公害問題、政府統制による計画経済にまでケチをつけて、都合のいいように対話の圧力の内政干渉のようなことまで願いはすまい。
が、今や世界で唯一そのようなことを平気でやってのけるのが米国企業のロビー活動と集金活動で動く米政府。そもそもこの国の政府高官は、経済団体の役員が大統領の指名でやってるようなもんです。
一方、米国の隣国の衛星国家で、通貨がドル連動でもないのに、対日要求に沿った法案を連発しているのが、日本政府、というていたらくであります。
以上、前置き。
十年以上勤めた銀行をやめて建築の勉強をはじめた著者が、国際的な建築家の統一ルール策定の動きに端を発して、何かおかしいぞと調べていくうちに、米国政府の露骨な対日本政府要求と国際基準いわゆるグローバルスタンダード戦略に目覚めていくストーリィが2004年はじめに発刊された標題作。
これまで「外圧」というと、米国国会議員がラジカセや車をハンマーで破壊するパフォーマンスとともに、おもに以下の3ないし4点で構成されているものと思っていました。
(1)スーパー301条やセーフガードと呼ばれたりする関税みたいな輸入障壁
(2)それを支える政府役人(元首や首相含む)による交渉と合意事項
(3)役人がアメリカ大使館なんかに呼び出されての水面下の恫喝やスパイチックな工作活動
(4)戦争
が、当書をもってようやく広く知られはじめているのが年次改革要望書という米国政府から日本政府への要求を紙に書いて送りつけたもの。第一次世界大戦のどさくさ中に大日本帝国政府が中華民国政府につきつけた二十一か条要求にたとえられるような代物。マス媒体ではあまり報道されてませんが、広く公表されていてアメリカ大使館のサイトでその翻訳を閲読できたりします。
要望書は、米国政府で実現度合いが毎年チェックされ、米国議会に報告されています。
で、だいたいこれに基づいた政策法案が我が国の国会で可決されて、諸々の「改革」が行われつつあるというのが、バブル崩壊でジャパンバッシングが鳴りを潜めてからの日本現代史と言っても過言ではないということを著者は訴えておられます。
厄介なことに、単に無茶をつきつけてるだけならば、親米右翼の皆さんが親米か右翼のどっちかをやめる契機にもなるでしょうし、政府は子飼いの大手マスコミを使って世論を喚起するなどしてつっぱねやすい。しかし、うまくできています。
たとえば如何ともし難い通信最大手N社解体の流れなど、この外圧がなければ進まなかったような政策も含まれています。概ね消費者としてはいいことのほうがたくさんあります。
が、著者がトロイの木馬にたとえるように、旧態たるものを破壊した後に勢いを増すのは概ね米国企業というからくり。
何故、この押し付けをまったくつっぱねることなく、これ幸かのように受け入れる日本政府なのかについての洞察は、本書にはないので、各自調べるか考えておいください。そういう意味では石原某の親爺慰撫ベストセラーに似たタイトルは偽りあり。
ですが、
逆に、米国が何ゆえこのようなおしつけをいけしゃあしゃあとやってのけることができるかについては、罵詈雑言を含めてばんばん記述されています。マイケルムーア並。
その中で注目すべきは、慣習法を基礎とする英米法の世界とナポレオン法典みたいに条文を定めるを基礎とする大陸法との考え方の違い。国家の本質はヤクザですが、ヤクザにまかせておけば堅気が迷惑を蒙ること甚だしいので、法治国家というやり方が生まれました。が、この法治の基礎たる法律の作り方、使い方において英米アングロサクソンと大陸では大きく異なるわけであります。
冷戦以後の世界史を文明の衝突とする捕らえ方があって、おもにユダヤキリスト教圏とイスラム教圏の衝突が目立っているように見えますが、実のところ、イギリス経験論と大陸合理論のせめぎあいが、未だ世界の中心という状態から脱却できていないととらえることもできなくはありませんね。明治期にフランスやドイツを参考にして近代システムを作った我が国においては、英国を基礎に米国で今日使われているグローバルスタンダードという名の米国基準を押し付けられるといろんなところで困ったことになります。
それはともかく、米国企業にうまみのない年金問題についての改革はとことん先送り。あるいは、401k型年金資産の受託拡大のためには、まだ年金不信が増長されねばならないのか。
また、著作権改正も国内の消費者はもとより、国内企業よりも米国企業の利益になるものと解すれば、不可解な法案が出てきても驚くには値しないのであります。
アメリカによってすべて決められている、あるいはその背後にユダヤ資本が。。。という陰謀史観めいたものは落合某を最後にゴルゴなどのエンタテインメントの領域だけにしといてもらいたい、と思っていましたが、まぎれのない公開文書である「年次改革要望書」を一瞥したところ、ユダヤ資本は置いといて、複雑に見える国政や世界情勢なれど、その原動力はたいへん単純なものであると言えます。要するに米国企業の収益機会を損なわしむるドメスティックシステムの撤廃。
さて、案外、現在の事態が遠回りのようでいて、実は当サイトが推進する日本ポルトガル化計画に向けては、近道のような気がしないでもありません。それは、米帝国衛星国たらんとすれば、早晩香港や台湾に続いて、米中関係の進展ともに「見切られる」という事態が想定されます。なので、本書の著者みたいに、現状を嘆くだけでは惜しい気がしないでもありません。
最後に、著者は終章でフリードマンの悪口を並べていらっしゃいます。ノーベル経済学賞というインチキな賞があるのですが、その受賞者でマネタリズム経済学の祖の一人がフリードマン。ノーベル経済学賞の受賞者は概ね、弱肉強食の昔に戻すをよしとするこの流れに位置する米国人です。彼らの教えが、ネオリベ経済政策から必然的に生み出されるネオコン(国際)政治政策の流れのなかにで、経済成長がなければ豊かな気がしない、さらに速く、な速度金融資本主義とポスト植民地主義をさらに加速させる政策が生み出されます。マネタリズムがコミュニティも家族さえも殺した風景を丘の上から見よ、とスタイルカウンシルがアワフェイヴァリットショップの2曲目で歌ったのはサッチャリズムの80年代前半ですが、20年遅れで同様の事態に我が国は直面しています。
一方、中国GDPの今後の伸張を考えれば、靖国参拝もってのほか、という声が財界から上がろうものなのですが、上がらないのは、せいぜい自分が死ぬまで逃げ切れればいいと、目先のことしか考えてないからなのかもしれません。
政界から出てこないのは、対中外交の第一歩を踏み出した田中角栄が、その後米国によってどのようにぶち壊されたかの記憶が生々しく、依然呪縛されているからでしょうか。
それはともかく、いずれにしても日本軍のイラク派兵をはじめ、高速道路や郵便の民営化などのいわゆる構造改革そして裁判員制度などの政策・法案が、つまるところ米国企業の利益に貢献するためだということに端を発しているということを踏まえたうえで、是か非かの議論をしたり投票行動を決める参考にしていただきたいと思うわけであります。
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