いまわし部族の競輪人類学 Fire and Skill for the New Order of the World  
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いまわし部族の競輪人類学
since 2002/02 last updated 2025/09/14
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赤線

黒線 1白 2黒 3赤 4青 5黄 6緑 7橙 8桃 9紫 余白 スペース
日報
第41回共同通信社杯[GII/福井]準決勝
  
2025. 9. 14 (Sun.)

10R 寺崎の積極策
選手 登録 脚質
1 1 松井 宏佑 神奈川 113 32 S1 捲逃 12
2 2  南 修二 大阪 88 44 S1 追捲 3
3 3 嘉永 泰斗 熊本 113 27 S1 捲逃 6
4 4 坂井 洋 栃木 115 30 S1 自在 3
5 岩本 俊介 千葉 94 41 SS 自在 1
5 6 桑原 大志 山口 80 49 S1 追込 0
7 寺崎 浩平 福井 117 31 S1 捲逃 9
6 8 山田 英明 佐賀 89 42 S1 自在 0
9 清水 裕友 山口 105 30 SS 自在 1
推理


96 山口
15 南関東
72 近畿
38 九州
4 坂井単騎

捲り一辺倒(7)寺崎のカマシ先行濃厚。前々攻めて3番手は番長(1)松井かピアス(3)嘉永と見て。

 
2車単
 
2−7,2=1,2=3

line

11R 太田の積極策
選手 登録 脚質
1 1 古性 優作 大阪 100 34 SS 自在 1
2 2 太田 海也 岡山 121 26 S1 逃捲 14
3 3 新山 響平 青森 107 31 SS 逃捲 9
4 4 森田 優弥 埼玉 113 27 S1 捲逃 12
5 鈴木 玄人 東京 117 29 S1 自在 4
5 6 五日市 誠 青森 89 41 S2 追込 0
7 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
6 8 三谷 将太 奈良 92 39 S1 追込 1
9 荒井 崇博 長崎 82 47 S1 追捲 0
推理


29 太田荒井
18 近畿
7 山口単騎
45 関東
36 青森

ツッパリ(3)新山いるが世界と戦う(2)太田が叩いて逃げる。3番手にハマるのがマウンテン(1)古性よりモヒカン(4)森田と見て。

 
2車単
 
9−2,9=4
4−5,4=1

line

12R 近畿二段駆け
選手 登録 脚質
1 1 脇本 雄太 福井 94 36 SS 捲逃 5
2 2 中野 慎詞 岩手 121 26 S1 逃捲 9
3 3 佐々木眞也 神奈川 117 31 S1 追捲 3
4 4 野田 源一 福岡 81 46 S1 捲捲 2
5 深谷 知広 静岡 96 35 S1 捲逃 10
5 6 福永 大智 大阪 113 27 S1 捲逃 1
7 取鳥 雄吾 岡山 107 30 S1 逃捲 11
6 8 小森 貴大 福井 111 35 S2 自在 3
9 菅田 壱道 宮城 91 39 S1 自在 4
推理


618 近畿
7 取鳥単騎
29 北日本
4 野田単騎
53 南関東

分断策考えづらく最強ロボ(1)脇本が番手捲り。

 
2車単
 
1−8,1−7,1−4

line
第41回共同通信社杯[GII/福井]二次予選A
  
2025. 9. 13 (Sat.)

5着権利。浅井当日欠場の中止→抽選で吉田拓矢一予敗退

10R 地元福井勢全員一予突破
選手 登録 脚質
1 1 寺崎 浩平 福井 117 31 S1 捲逃 9
2 2 松井 宏佑 神奈川 113 32 S1 逃捲 12
3 3 犬伏 湧也 徳島 119 30 SS 逃捲 18
4 4 渡邉 豪大 福岡 107 36 S2 追込 0
5 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
5 6 阿部 将大 大分 117 29 S1 自在 8
7 菅田 壱道 宮城 91 39 S1 自在 4
6 8 小森 貴大 福井 111 35 S2 捲逃 3
9 三宅 達也 岡山 79 48 S2 追込 0
推理


27 南北
18 福井
39 中四国
5 山口単騎
64 九州

たまにしょうもない(3)犬伏に襲い掛かる番長(2)松井のもがきあいから捲り一辺倒(1)寺崎が捲る。

 
2車単
 
1−8,1−7,1−6

結果
line

調査中

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 2−8 19,800円 (44)
3連単 2−8−1 65,590円 (162)

line

11R 関東分かれて四分戦
選手 登録 脚質
1 1 古性 優作 大阪 100 34 SS 自在 1
2 2 松谷 秀幸 神奈川 96 42 S1 追込 0
3 3 佐藤慎太郎 福島 78 48 S1 追込 0
4 4 坂井 洋 栃木 115 30 S1 自在 3
5 成田 和也 福島 88 46 S1 追込 0
5 6 福永 大智 大阪 113 27 S1 捲逃 1
7 武藤 龍生 埼玉 98 34 S1 追込 0
6 8 森田 優弥 埼玉 113 27 S1 捲逃 12
9 深谷 知広 静岡 96 35 S1 捲逃 10
推理


61 大阪
453 坂井福島
92 南関東
87 埼玉

(6)福永が逃げれば太り始めた(9)深谷にあわせてマウンテン(1)古性が番手捲り。脚溜めてモヒカン(8)森田が一発。

 
2車単
 
8=7,8−2
8=1,1=2

結果
line

調査中

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 9−8 4,500円 (14)
3連単 9−8−1 13,390円 (39)

line

12R 新旧ナショナルチーム対決
選手 登録 脚質
1 1 清水 裕友 山口 105 30 SS 自在 1
2 2 脇本 雄太 福井 94 36 SS 捲逃 5
3 3 飯野 祐太 福島 90 40 S1 自在 3
4 4 渡邉 雅也 静岡 117 24 S2 自在 2
5 太田 海也 岡山 121 26 S1 逃捲 14
5 6 佐藤 一伸 福島 94 38 S2 自在 5
7 嘉永 泰斗 熊本 113 27 S1 捲逃 6
6 8 根田 空史 千葉 94 37 S1 逃捲 8
9  南 修二 大阪 88 44 S1 追捲 3
推理


51 中国
29 中国
84 南関東
7 嘉永単騎
63 福島

世界と戦う(5)太田が引いてカマシ先行。またはツッパリ。後方に置かれそうな最強ロボ(2)脇本よりかは単騎で立ち回るピアス(7)嘉永が頭勝負。

 
2車単
 
1−5,1=7

結果
line

調査中

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 2−9 350円 (1)
3連単 2−9−1 950円 (1)

line
第41回共同通信杯[GII/福井]展望
  
2025. 9. 12 (Fri.)

今回も特選シード無しで二次予選までは自動番組編成。福井ということで記念(GIII)も準特別(GII)も獲ってないのに特別(GI)を獲ってしまった寺崎浩平選手(福井)には凱旋レースとなります。
ところが自動番組編成で一次予選は単騎の競走となってしまいまして、いきなりの試練です。

line
ネルラ真犯人説  2025. 9. 11 (Thu.)

もろもろありまして録画が溜まってます。既に最終回を迎えてるものありますが、わたくし的にはこの週末から来週末にかけて最終回を迎えそうな雲行きです。
そんなわけで結末はしばらく内緒でお願いしつつ、恒例・連続ドラマの感想を全放映時間のうちの何パーセント位を見たのかの俺視聴率とともに簡潔にまとめときます。

 
タイトル
 
 
出演
 
俺視聴率
感想
放送局占拠 日本 櫻井 0% まさかのシリーズ3作目でこっちが「嘘だろ」
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜 NHK 横浜
染谷
中村
渡辺
宮沢
眞島
生田
風間
里見
尾美
岡山
前野
古川
桐谷
片岡
福原
山村
橋本
井之脇
99% それが蔦重を動かすためとはいえ田沼(子)暗殺に恋バナをからめたのはどうかと。あと、吉原の親爺さんたちが出てこなくなって録画も溜まりがち
19番目のカルテ TBS 松本
小芝
岡崎
0%
こんばんは、朝山家です。 朝日 中村
小澤
松尾
93% 地味なキャスティングでもここまで盛り上げられるのを他も見習っていただきたく。聞き流せない夫婦喧嘩をじっくり楽しみたくて録画も溜まりがち
DOCTOR PRICE 日本 岩田 9% どんなヘアスタイルでもイケそうな岩田がヘンテコなことに
明日はもっと、いい日になる フジ 福原

生田
勝村
風間
柳葉
88% こんなものわかりのいい親ばかりなら児相の人も苦労しなさそうなれど録画は溜まりがち
僕たちはまだその星の校則を知らない フジ 磯村
堀田
平岩
市川
坂井
尾美
稲垣
96% 若干クサいですが、若者たちの台詞を味わうのに録画が溜まりがち
誘拐の日 朝日 斎藤
永尾
内田
鈴木
江口
安達
98% 笑いとスリルの波状攻撃に録画が溜まりがち
スティンガーズ 警視庁おとり捜査検証室 フジ 森川
本郷
杉本
玉山
11% おもしろくしようとしてるところがわたくしには空回ってるように感じて
初恋Dogs TBS 清原
成田
岸谷
3% 犬目当てで見始めたものの10分で限界の気持ち悪さ
大追跡 警視庁SSBC強行犯係 朝日 大森
松下
遠藤
相葉
伊藤
6% ドラマに出してはいけないと十数余年言い続けてきた人気アイドルを別の捜査一課にいるナイツ塙の位置づけで主役扱いとはよく考えた
ちはやふる−めぐり− 日本 當真
上白石
31% おもしろくなりそうに始まったのですが、ちょいちょい出てくる映画だか前シリーズだかの名残が邪魔になって
最後の鑑定人 フジ 藤木
白石
松雪
8% あちこちの刑事もののつまみ食いみたいな既視感を超えられず
しあわせな結婚 朝日
阿部
段田
岡部
堀内
杉野
97% 露骨なミスリードなく良心的ではありますがサスペンスとしては今一つ。会話劇と名優による人間ドラマとしても今一つ。作劇の多面性があまり面白味を生み出せずどっちつかず的な残念感を感じるのはクドカンではないからか。それでも録画は溜まりがち
愛の、がっこう。 フジ 木村 9% 一時期流行ったエロいレディースコミックて今でもあるのか?
能面検事 東京 上川
吉谷
寺脇
観月
37% 往年の「部長刑事」を思い出させる渋い味わいがウケましたが、観月課長の関西弁は船酔いレベル
DOPE 麻薬取締部特捜課 TBS 高橋
中村
伊藤
小池
井浦
99% 中村捜査官のアメリカンなジョークがいちいちツボにハマって見続けたものの毎回終盤おもに高橋が担当する人情コーナーが重すぎ。あとツンツンした女キャラがいると評価が下がるのにそれが2人も出てくるのは多過ぎ。電車男伊藤が(他にも)出過ぎと思ってたら第1話で死亡は潔し
奪い愛、真夏 朝日 松本
安田
高橋
水野
41% クサい芝居で面白く盛り上げてくれそうな人々で昼メロをやるのは大いに結構ですが、SFっぽい設定が薄らいできてからの毎回1時間はつらいものが無きにしも非ず

ウィンチケットミッドナイトG3[松阪]決勝
  
2025. 9. 10 (Wed.)

9R 発走23:30。四国分かれて二分戦
選手 登録 戦法
1 岩津 裕介 岡山 87 43 S1 追込 2 1
2 小原 太樹 神奈川 95 37 S1 追込 9 0
3 香川 雄介 香川 76 51 S1 追込 0 0
4 永澤 剛 青森 91 40 S1 追込 0 0
5 吉本 卓仁 福岡 89 41 S1 追捲 0 0
6 立部 楓真 佐賀 115 27 S2 逃捲 6 17
7 高原 仁志 徳島 85 44 S2 追込 1 0
並び


6517 西
243 南北香川

(6)立部が逃げて(5)吉本番手まくりから(1)岩津が四角く追い込むとしか考えられないメンバー構成。フツーの自力自在では何ともならない(2)小原がなんかすると考えて。

 
2車単
 
2−6,2−4
2=1,1−4

結果
line

(2)小原を突っ張った(6)立部が流す打鐘前、(2)小原がカマシ先行の勢いで追い上げ。なぜか四角い(1)岩津のクリップバンドがはずれて3コーナーで落車(2)小原が番手に競りこむが、(5)吉本が死守して最終ホーム通過。(4)永澤が3番手に(2)小原を迎え入れるが、(2)小原に二の脚なく3コーナーから(4)永澤が踏み上げる。
直線、(5)吉本が追込み1着。接戦の2着争いは(2)小原が2着に流れ込み、外踏んだ(4)永澤より内突いたインの魔術師(3)香川3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 5−3 13,880円 (28)
3連単 5−3−2 93,410円 (138)

line

入場 0人 総入場 0人

売上 不明 総売上 2,659,040,600円(対前回[2月小松島]98%)

line
ミッドナイトGIII  2025. 9. 9 (Tue.)

また始まってしまいました、最終レース23時台のミッドナイト競輪のGIII。どれだけグレードが高いかというと、優勝賞金320万円。最終レース1番車は追加参戦の岩津裕介(岡山)というビミョーな感じです。
伏見俊昭(福島)も昔の名前で初日特選メンバー。前のときのいちばんのビッグネーム新田祐大(福島)級はいないのか?と思いましたが、新田祐大その人が出場してるものの予選まわりのようです。

line
史上最速優勝  2025. 9. 8 (Mon.)

0背番号[0]の名選手列伝
少年隊の一角中野佐資。ウェスタンリーグの主軸だったが、村山によって13番から球団初の0番に変えられ、さらに赤い手袋の使用を義務付けられ外野の定位置獲得。オープンスタンスから踏み込む打法で死球多数。神宮でプロ初ホームランを打った翌日に第2号。が、プロ通算は30本弱。亀新の台頭で出番減り引退。
日本球界初の0番長嶋清幸。広島で大活躍の後、中日、ロッテでくすぶってたところを金銭トレードで獲得。代打などで蝋燭の火の消える前の最後のきらめきを放つ。引退後、ずっとコーチで在籍。03年は一塁コーチなのでテレビでしばしば拝見したものの星野辞任とともに退団。
あご吉吉田浩。長くウェスタンの主軸打者を務めるも一軍半から脱せず。第3次吉田義男監督のときに一時左の代打の切り札あるいはスタメン出場でそこそこ活躍したが、F1セブンに押されいつの間にやらそのポジションは平下に取って代わられ02年星野大量リストラで退団。
野口とともに坪井らと交換で日ハムからやって来た明大出のガッツマン中村豊。04年以降は鳥谷起用のあおりで出場機会減るが、05年たまの出場で4割台キープ。誤審だらけの9月7日ナゴヤドームの試合を決めて優勝を確信させた決勝ホームランで永遠に球史に名を残す。
64番から変更の庄田隆弘。もっぱらウェスタンリーグで活躍。
いかり肩の名手前田大和が高卒4年目ぐらいから守備固めとかで一軍に定着し66番から変更。鳥谷や上本、西岡らのいる二遊間から離れセンターで多くスタメン出場。日本シリーズでもファインプレー連発。インハイをぽーんと一塁後方に打ち上げる悪癖で打力上がらず左打ちにも挑戦するも徐々に出場機会減って横浜にFA移籍。
走攻守すべてちょっと惜しかった木浪聖也。大学・社会人出の即戦力でオープン戦から打ちまくって新人最多安打記録を更新して開幕スタメン。が、開幕直後のヒット性の内野安打がエラー判定で一転打撃不振。菅野からはよく打つ。たまに落ちる二軍では打ちまくるものの一軍では準レギュラーだったが守備重視の岡田監督復帰で一転、中野をセカンドに追いやり小幡を抑えてショートのレギュラー獲得。恐怖の8番打者で23年優勝。


00背番号[00]の名選手列伝

ゼロゼロ怪人ルパート・ジョーンズ。日本球界初の00番。メジャーで0番をつけてたこだわりの男(スキンヘッド)だったが、一足早く村山が中野に0番をつけた後だったので00番に。プレイはファーストフライを落としたことしか思い出せない。
遅刻魔亀山努。入団4,5年目で重たい番号から00番に変更して開幕戦からベンチ入り。ちょっと負けてる終盤、オマリーか誰かの代走で登場。9回表にチャンスで打席が回り、見事タイムリーヒット。中村勝広の明らかな采配ミスを救う。調子に乗っていつの間にやらレギュラー確保。眼鏡のヘッドスライディングで一躍売れる。タレントで芽が出なかった双子の弟も売れ出す。走攻守三拍子揃ったうえのガッツプレーで同年の準優勝に大いに貢献。翌年以降はケガとの闘い。包帯だらけで点滴を打ちながら遅刻して鳴尾浜の練習場に現れることも。引退後は遅刻癖と闘いながら、大阪ロマンズや少年野球監督やタレント活動に奮闘。
近鉄からやってきた内野の補欠米崎薫臣の最後の1年。
ヤクルトで少し活躍した城友博がテスト入団も1年で戦力外。
内野の準レギュラー平尾博嗣(博司)が2番をドラフト逆指名1位ルーキー的場寛一に譲って最後の2年00番。西武に移籍して個性を発揮、チャラ尾となる。
俊足好守でどこでも守れる起用貧乏田中秀太。入団4年目ぐらいに野村監督就任とともにF1セブンに抜擢されてスタメンに名を連ねる。星野になって故障者続出で困ったときには外野でスタメンも経験。主力のほとんどがケガでちょっと休んだ03年陰のMVPを差し上げたかった。04年は鳥谷起用のあおりを受けてとんと出場機会が減り、トレード候補だったが日ハム移籍が新聞にすっぱ抜かれて没。一軍半の代走守備要員だったがたまのスタメンでミス連発。下柳がグラブを投げつけて激怒。引退後スカウトに転身し、獲得した選手には入団会見で「グラブを投げつけないようにします」と言わせる。
ポスト赤星の不器用なセンター柴田講平。城島入団で2番から変更。キャンプ好調の年に紅白戦デッドボールで負傷、出遅れ一軍半。九回裏二死満塁で走者一掃エラーをしでかし自由契約後トライアウトを経てロッテにテスト入団。
上本博紀が4番から変更。相変わらず守備は不安定ながらセカンドのレギュラー奪還。が、盗塁時のスライディングで十字靱帯損傷。以降怪我と闘い引退。
右打ちの内野手が北條と熊谷だけになってしまい、よみうりから内野のユーティリティプレイヤー山本泰寛を獲得。レギュラーメンバーの故障や不調、対左投手のときなどにしばしばスタメン出場するが岡田監督復帰で1年二軍暮らしの後戦力外。中日に雇われ準レギュラー。同時移籍の板山とともにそこそこ活躍(とくに阪神戦)。
遊撃手でメジャーまで行ったハビーゲラが投手転向後来日。岩崎とダブルクローザーを務めるが2年目はウェスタンリーグでも精彩を欠き、期待の打棒も見せずじまい。

line
岐阜記念[長良川鵜飼カップ]決勝
  
2025. 9. 7 (Sun.)

12R 地元からは志智俊夫53歳決勝進出
選手 登録 戦法
1 1 清水 裕友 山口 105 30 SS 自在 1
2 2 嘉永 泰斗 熊本 113 27 S1 自在 6
3 3 菅田 壱道 宮城 91 39 S1 自在 4
4 4 纐纈 洸翔 愛知 121 23 S1 自在 2
5 園田 匠 福岡 87 43 S1 追込 0
5 6 中村 圭志 熊本 86 44 S2 追込 0
7 村田 雅一 兵庫 90 41 S1 追込 0
6 8 志智 俊夫 岐阜 70 53 S1 追込 0
9 犬伏 湧也 徳島 119 30 SS 逃捲 14
並び


265 九州
91 中四国
3 菅田単騎
48 中部
7 村田好位狙い

ほぼ逃げ一のたまにしょうもない(9)犬伏だが画数多過ぎ(4)纐纈にフタされて意地を張ったらピアス(2)嘉永先行から波乱の展開。

 
2車単
 
1=2,3=7,3−6
3−5,3=1,3=9

結果
line

後方で周回の画数多過ぎ(4)纐纈が上昇、前受けのたまにしょうもない(9)犬伏があっさり引くと、4番手から常連(7)村田、3番手からコンコルド(3)菅田も切り替え、中部に続いたピアス(2)嘉永は争わず5番手で打鐘。
(9)犬伏動かず最終ホームから(4)纐纈が踏み上げ逃げるが、直後の4コーナーから(9)犬伏がカマす。(7)村田に阻まれ(2)嘉永は切り替え追えず後方。あっさり2コーナーで出切った中四国に苦労人(8)志智が切り替える。
直線、粘る(9)犬伏を追込みふてぶてしい(1)清水1着。なんと開いた車間を結構詰めた(8)志智が流れ込み3着

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 1−9 430円 (1)
3連単 1−9−8 7,950円 (26)
 

line

入場 2,972人 総入場 8,046人
(対前年84%)
売上 1,730,393,100円 総売上 5,731,726,100円(対前年109%)

line
マジック1  2025. 9. 6 (Sat.)

magic number昨日は明日の試合前に優勝が決まるかもみたいなことを書きましたが、その可能性はなくなったみたいです。とは言え明日勝てばいいものの、負けたり引き分けの場合は依然2位と3位が接戦で残り試合との兼ね合いやらでたいへんややこしいことになってます。

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マジックナンバー  2025. 9. 5 (Fri.)

magic number2位と3位が接戦なんで予断を許しませんが、日曜日にマジック1で才木先発という可能性が高そうです。すると一昨年と同様になりますが、気になるのはナゴヤドーム(「バンテリンドーム」に改称)が13時半開始のデーゲーム。場合によってはマジック0になってビールかけ前に才木先発という事態が発生するかもしれません。

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岐阜競輪開設76周年記念
[長良川鵜飼カップ]初日特選  
2025. 9. 4 (Thu.)

12R 脇本岩本欠場で犬伏慎太郎追加
選手 登録 戦法
1 1 嘉永 泰斗 熊本 113 27 S1 捲逃 6
2 2 菅田 壱道 宮城 91 39 S1 自在 4
3 3 犬伏 湧也 徳島 119 30 SS 逃捲 14
4 4 坂井 洋 栃木 115 30 S1 自在 2
5 村田 雅一 兵庫 90 41 S1 追込 0
5 6 佐藤慎太郎 福島 78 48 S1 追込 0
7 清水 裕友 山口 105 30 SS 自在 1
6 8 小倉 竜二 徳島 77 49 S1 追込 0
9 杉森 輝大 茨城 103 42 S1 追捲 0
並び


26 北日本
49 関東
38 徳島
1 嘉永単騎
75 清水村田

たまにしょうもない(3)犬伏がもがく距離を短くしようとしているとふてぶてしい(7)清水かバンジー(4)坂井が逃げて勝負の厳しさを教えるが、むしろ好位から捲れる。

 
2車単
 
3=1,3−2,3−5
3−7,3−8,3−9

結果
line

後方から上昇のバンジー(4)坂井を突っ張ったコンコルド(2)菅田を叩いたふてぶてしい(7)清水に乗ったたまにしょうもない(3)犬伏が打鐘カマシ。
一本棒の最終ホーム最後尾からピアス(1)嘉永が捲り上げるが、まだ7番手のバックから(7)清水発進も1車半上げたところまでで不発気配の3コーナーから4コーナー、(1)嘉永が前団に迫って直線。
ゴール前、粘る(3)犬伏をとらえて(1)嘉永1着。達人(8)小倉竜は追走一杯で、2センターから(1)嘉永を追った(2)菅田が3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 1−3 1,700円 (2)
3連単 1−3−2 10,580円 (18)
的中

line
THE WHO AT KILBURN 1977  2025. 9. 3 (Wed.)

ドキュメント映画『The Kids Are Alright』制作の一環として約1年ぶりに小さなホールで開催されたライヴコンサートが映画上映されるというので2,000円(割引なし)払って見てきました。
冒頭字幕で上述の開催趣旨が少し詳しく映写されてるうちに『I Can't Explain』の近年のよりだいぶ速いイントロが鳴って開演。
タウンゼントがアホほど動き回り飛びまくるのに目を奪われますが、ムーンのドラム演奏をこれほど続けて見られる機会は今までありませんでした。THE WHOを聴くようになった1970年代末には既に他界。そんな貴重な映像に加え序盤にエンストウィッスル歌唱の『My Wife』までやってくださっています。
最後までアホほど動き回り飛びまくるタウンゼントですが、しゃべりはやたら不機嫌。今にもやめたそうなことを言うのですが、楽曲が始まると何らかのフラストレーションを発散するかのようにアホほど動き回って飛びまくります。
最後はギターを放り投げるものの破壊パフォーマンスは無し。アンコールもなくとっとと終演。

※アミガケは即興的にキース・ムーン歌唱
NO songs LP
1 I Can't Explain single(1964)
2 Substitute single(1966)
3 Baba O'Riley Who's Next(1971)
4 My Wife Who's Next(1971)
5 Behind Blue Eyes Who's Next(1971)
6 Dreaming From the Waist by Numbers(1994)
7 Pinball Wizard Tommy(1969)
8 I'm Free Tommy(1969)
9 Tommy’s Holiday Camp Tommy(1969)
10 Summertime Blues oldies
11 Shakin’ All Over oldies
12 My Generation My Generation(1965)
13 Join Together single(1972)
14 Who Are You Who Are You(1978)
15 Won't Get Fooled Again Tommy(1969)



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パンク(タイヤ)  2025. 9. 2 (Tue.)

なんか低速でハンドルを左に取られるみたいな現象を感じて見てみたら案の定へこみ気味。最寄りのオートバックスに持っていきました。
点検代1,100円を払って見てもらったところ、修理では何ともならぬのでタイヤ交換せよとのこと。
15年ほど前に前の自動車がパンクの憂き目に遭ったときはタイヤ館で1本だけ交換してもらったと思うのですが、オートバックスは2本または4本の交換を勧めてきます。致し方なく2本で手を打ったのですが、工賃等にローテーション代も含めて58,630円。点検代とあわせてほぼ6万円の出費となってしまいまして、なんかぼられたよう感じも否めませんてしたが、タイヤに突き刺さったドライバーを見たらそんな感じも吹き飛んだのでした。


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岡田3連戦  2025. 9. 1 (Mon.)

今季甲子園最後の対よみうり3連戦でしたが、初日はよみうり系のCS局で赤星とともに、2日目はニッポン放送ラジオで江本ともに、3日目は朝日系のCS局で単独、すべて岡田の解説で楽しませてもらいました。
「熊谷て本職ショート?」とか「1回だけ石井が話したい言うから何かいな?思たら子ども生まれる言うからほなおまえだけこっそり先帰れ言うて奥さんの実家の名古屋の方に帰したことあるんですよ」とかフツーの野球中継では聞けない爆笑トークをはさみつつ、恒例のぼやき節も健在。3連戦堪能させてもらいました。

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西武園記念[ゴールド・ウィング賞]決勝
  
2025. 8. 31 (Sun.)

12R 埼玉4車結束するが眞杉単騎別線。発走予定20:30
選手 登録 戦法
1 1 森田 優弥 埼玉 113 27 S1 捲逃 10
2 2 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
3 3 眞杉 匠 栃木 113 26 SS 捲逃 10
4 4 宿口 陽一 埼玉 91 41 S1 追込 0
5 新山 響平 青森 107 31 SS 逃捲 14
5 6 久木原 洋 埼玉 97 41 S2 追込 0
7  南 修二 大阪 88 43 S1 追捲 1
6 8 塚本 大樹 熊本 96 36 S1 追込 0
9 武藤 龍生 埼玉 98 34 S1 追込 0
並び


28 山口塚本
3 眞杉単騎
57 新山南
1946 埼玉

モヒカン(1)森田の先行策にツッパリ(5)新山が応戦。隊列短くなったところを捲るのは自在性ある(3)眞杉。

 
2車単
 
3−2,3−5,3=7

結果
line

モヒカン(1)森田がS取るが上がってきたツッパリ(5)新山を入れて埼玉中団。ヘタレダービー王(2)山口が抑えに上がると、ちょっとだけ突っ張る素振りの(5)新山が3番手に下げて、前が(2)山口なんで中団アウトで(1)森田が打鐘まで粘ってから(2)山口を抑え、最終ホーム手前4コーナーからペース駆け。
埼玉追走自在性ある(3)眞杉がバックから捲り、直線前団とらえて1着。番手から(9)武藤入道が抜け出すが、内突いたタイトルホルダー(4)宿口が2着に突っ込む。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 3−4 5,750円 (24)
3連単 3−4−9 21,320円 (87)
抜目

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入場 4,112人 総入場 12,181人
(対前年132%)
売上 1,893,364,200円 総売上 5,912,633,500円(対前年108%)

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木澤尚文のフルーツポンチソーダ  2025. 8. 30 (Sat.)

8月の上旬と下旬に神宮球場に行ってきましたが、どちらも猛暑の夜でした。
上旬はさらにビーズリーの蒸し暑苦しいピッチング。持参した水筒の麦茶だけで生きながらえそうになく、早々に木澤尚文のフルーツポンチソーダ800円を奮発。予想以上に美味しくいただきました。
試合終盤はさらに木澤尚文のレモネードスカッシュ600円を美味しくいただき、おかげで同じ中継ぎでややこしかった木澤と小澤[こざわ]の違いもわかるようになりました。
下旬の試合も蒸し暑いなか、ビーズリーよりかはよほどマシとはいえ才木のいつもの熱投。

早々にオスナのイチゴアイスソーダ800円を奮発しましたが、こちらはまぁまぁというかちょっとイマイチ。
試合後半、木澤のフルーツポンチソーダを求めてピザーラの店の列に並んだもののとんだ勘違い。並ぶ店を間違えたみたいで、致し方なくよく知らない選手でしたが武岡龍世のタピオカ黒糖ロイヤルミルクティ850円。美味しくいただいたのですが、試合終盤1点差で岩崎登板というわけでもないのに腹痛発症。持ち合わせていた新ビオフェルミンの類似品で難を逃れましたが乳製品には注意が必要です。


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気炎万丈熱闘灼熱熱波漢炎演舞  2025. 8. 29 (Fri.)

「横浜はイベント多過ぎちゃうか」と去年岡田も言ってましたが、前回のカワイイなんとかと打って変わって26日からの3連戦は「きえんばんじょうねっとうしゃくねつねっぱおとこえんぶ」なる、かつて踊る肉団子の甘酢あんかけとしてバラエティ番組で活躍していた角田信朗による歌謡ショーがありました。

今回はヒーローインタビュー、ハイライト、三浦監督しょぼくれインタビューの後だったので見なくてもよかったのですが、まさか3曲も歌うとは知らないまま最後まで見てしまいました。
2日目も同じ演目でしたが、曲間のしゃべりの内容を変えてきたり、初日1曲目から飛ばし過ぎて3曲目の高音を出すのに失敗したしたことを反省してのペース配分などの工夫を感じさせました。
なかなかに同一カード3連勝は難しいもので、さすがに3日目は見逃しました。

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西武園競輪開設75周年記念
[ゴールド・ウィング賞]初日特選  
2025. 8. 28 (Thu.)

12R 山口拳矢いても南が自力自在。発走予定20:30
選手 登録 戦法
1 1  南 修二 大阪 88 43 S1 追捲 3
2 2 吉田 拓矢 茨城 107 30 S1 自在 2
3 3 新山 響平 青森 107 31 SS 逃捲 14
4 4 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
5 成田 和也 福島 88 46 S1 追込 0
5 6 岩津 裕介 岡山 87 43 S1 追込 1
7 武藤 龍生 埼玉 98 34 S1 追込 0
6 8 佐々木 龍 神奈川 109 34 S1 追込 0
9 眞杉 匠 栃木 113 26 SS 捲逃 10
並び


358 南北
16 南岩津
4 山口単騎
927 関東

突っ張られても自在性ある(9)眞杉が最終ホームからロング捲り。手こずってるとヘタレダービー王(4)山口の一発をアテにならない(1)南が追う展開も。

 
2車単
 
2−9,2−7
4=1,4=2,4=5

結果
line

後ろ攻めのツッパリ(3)新山動かず、最後尾からヘタレダービー王(4)山口が内をするする中団まで上昇して赤板ホーム。打鐘前から(3)新山がカマすが、前受けから自在性ある(9)眞杉がツッパリ先行。牽制するアトランタの弟子(2)吉田に(7)武藤入道も追走してがら空きの内(4)山口が(9)眞杉後位まで上昇して最終ホーム。(2)吉田は争わず3番手でさらに(3)新山をけん制して(3)新山後退。
2コーナーから捲る(4)山口(2)吉田追わず(4)山口1着
バックから捲るアテにならない(1)南を牽制してから4コーナーでも後ろを警戒する(2)吉田が直線追い込むが粘る(9)眞杉を差せない大失態

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 4−9 4,510円 (16)
3連単 4−9−2 14,120円 (42)
抜目

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ジャパニーズすき焼き弁当  2025. 8. 27 (Wed.)

先日の神宮球場の試合は17時プレイボールでしたが、試合開始に間に合うように16時45分ぐらいから夕飯を食べ始めました。
今回のチョイスは「サンタナの日本食大好き!ジャパニーズすき焼き弁当」1,500円。8月初めの石川のうどん弁当と同じ値段ですが牛肉盛沢山。玉ねぎも豊富でまぁまぁでしたが、すき焼き部分以外は変な牛タン寿司みたなのと安い海老と鶏肉の天ぷら。石川のにしといたらよかったと思うほどちょっと残念な結果に終わりました。
「日本食大好き!」と言ってもベネズエラ人だかドミニカ共和国人だかの味覚だということを心しておかねばなりません。

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松戸記念[燦燦ダイヤモンド滝澤正光杯]決勝
  
2025. 8. 26 (Tue.)

12R 郡司清水準決敗退、武田豊樹も。発走予定20:30
選手 登録 戦法
1 1 深谷 知広 静岡 96 35 S1 捲逃 10
2 2 鈴木 竜士 東京 107 31 S1 追捲 1
3 3 北津留 翼 福岡 90 40 S1 逃捲 11
4 4 神山 拓弥 栃木 91 38 S1 追込 0
5 園田 匠 福岡 87 43 S1 追込 0
5 6 三谷 政史 奈良 93 42 S2 追込 1
7 雨谷 一樹 栃木 96 35 S1 追捲 0
6 8 小川 勇介 福岡 90 40 S1 追込 0
9 岩本 俊介 千葉 94 41 SS 自在 1
並び


196 南関三谷
274 関東
385 福岡

調子に乗って3連勝のスピード人生(3)北津留が調子に乗って先行勝負。ドラゴン(2)鈴木が中団から捲るが、前々攻めすぎると太り始めた(1)深谷が届く。

 
2車単
 
7−2,7−4
7=1,1−9

結果
line

スピード人生(3)北津留を突っ張って太り始めた(1)深谷が赤板先行。浮かない(5)園田がイン締めて中団に福岡ラインがおさまり、ドラゴン(2)鈴木7番手
最終ホームから(2)鈴木、2コーナーから(3)北津留が捲るが、これらをひきつけ柔和大器(9)岩本が3コーナーから番手捲り。(6)三谷長兄ちぎれて直線一人旅。
不発(3)北津留後位から不動(8)小川−(5)園田が抜け出し2着3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 9−8 2,090円 (9)
3連単 9−8−5 13,540円 (48)
 

line

入場 4,288人 総入場 14,282人
(対前年164%)
売上 1,781,077,700円 総売上 6,221,043,300円(対前年105%)

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戦評  2025. 8. 25 (Mon.)

8月も下旬のこの期に及んでここまで暑いというのに普段のナイトゲームより少し早い17時プレイボールで山田哲人も三回表で退く酷暑のゲームでした。
先発才木はファールで粘られたりほぼ毎回ランナーを出す暑苦しいピッチングながら無失点で切り抜ける相変わらずの調子。
打つ方は三回表ヒットの小幡を才木が送って中野が返して1点先制。四回表は8月13日以来8試合ほど打ち方を忘れてる佐藤輝から。後半のピンチに備えて撒き餌が撒かれるかもしれないので打つならここしかないと考えましたが、初球の甘めのスライダーを風に乗せて32号ソロホームラン。


その裏、喫煙所からタピオカ黒糖ココナッツミルクを買いに行ってる間に村上がホームランを打ったみたいですが、ここだけ見逃しました。
六回表は大山全力疾走の内野安打に坂本三遊間、小幡リクエスト却下の内野安打でしぶとく二死満塁としてバッター才木。要らんチャンスを逃してこの後ピンチ到来が予想されましたが、才木がフルカウントから渾身の見送り四球で押し出しの3点目。
その裏才木が3番4番5番を三者凡退。七回表大山併殺打で好機を逃しても、七回裏に併殺返し。
ところでこの日は2試合連続延長戦直後でともにリリーフが問題。八回表ヤクルト3番手の敗戦処理に出てきた明大出2年目石原から、熊谷三塁打から坂本先輩二塁打の珍しいものを見させてもらい、さらに満塁にして森下3点二塁打でダメ押し、7対1。さらにさらに打ち方を思い出した佐藤輝適時打でダメのダメ押し、8対1。
八回途中118球で才木お役御免。島本を経て九回裏はハートウィグ。


案の定痛烈なあたりをガンガン打たれましたが、熊谷のファインプレーなどに助けられて無失点で試合終了。


近本だけ話題に出てきませんでしたが、フォアボール3個と1盗塁。ヒーローインタビューは今日も楽しい才木。


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●ヤ 1 - 8 神○  2025. 8. 24 (Sun.)

T 001 101 050 | 8
S 000 100 000 | 1

勝 才木(12勝5敗)
敗 奥川(4勝6敗)

HR 佐藤輝32号 村上10号

T 才木−島本−ハートウィグ
S 奥川−松本健−石原



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松戸競輪開設75周年記念[燦燦ダイヤモンド
滝澤正光杯]初日特選  
2025. 8. 23 (Sat.)

12R 南関で致し方なく発走予定20:30
選手 登録 戦法
1 1 和田 圭 宮城 92 39 S1 追込 0
2 2 岩本 俊介 千葉 94 41 SS 自在 1
3 3 清水 裕友 山口 105 30 SS 自在 5
4 4 北津留 翼 福岡 90 40 S1 逃捲 11
5 深谷 知広 静岡 96 35 S1 捲逃 10
5 6 橋本 強 愛媛 89 40 S1 追込 0
7 郡司 浩平 神奈川 99 34 SS 自在 6
6 8 雨谷 一樹 栃木 96 35 S1 追捲 0
9 和田健太郎 千葉 87 44 S1 追込 0
並び


81 雨谷和田
5729 南関東
36 中四国
4 北津留単騎

太り始めた(5)深谷がペースで駆けられそうでズブズブまでも行かなかろうて。

 
2車単
 
7−5

結果
line

ふてぶてしい(3)清水の上昇を制して青板ホームから太り始めた(5)深谷が前受けの(8)雨谷に並びかけ、バックを過ぎて先行態勢。赤板ホームあたりから徐々にピッチを上げてペース駆け。
粘るそぶりの(8)雨谷が柔和大器(2)岩本を飛ばすが、ヒゲモシャ(9)和田が内をすくって盛夫の子(7)郡司後位は(9)和田−(2)岩本となって南関先行。
最終ホームから(3)清水が捲るが一息。ここまで脚溜めてたスピード人生(4)北津留が最終ホーム過ぎ最後尾から大捲り。3コーナーで前団飲み込むや直線一人旅。切り替え追った(7)郡司−(9)和田が2着3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 4−7 2,570円 (5)
3連単 4−7−9 27,080円 (44)

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どこもかしこも駐車場  2025. 8. 22 (Fri.)

お爺さんかお婆さんが亡くなると、狭い土地なら駐車場、広い土地なら集合住宅に生まれ変わる生家付近ですが、ちょっと違うタイプのが建設中でした。
1階が大家の住居で2階3階をアパートにするようにも見えますが、民泊的な施設になりそうでもあります。
民泊勃興期にコロナ襲来で一気に落ち着いたものの、さらなる日本安価化で復活の兆しです。


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うおまん  2025. 8. 21 (Thu.)

京都に行った家事都合の件ですが、八条口の都ホテルで会食してきました。高くて美味いは当たり前ではありますが、とくに豆乳鍋で熱した豆腐が特筆もの。得も言われぬ出汁が効いてるようで、ただの豆乳ではありませんでした。
なぜか写真のフレームからは外れています。


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送り火  2025. 8. 20 (Wed.)

家事都合で京都に行った話の続きですが、京都着はちょうど五山送り火の日でした。
昔は家の物干しから「妙」「法」以外は見えたりしましたが、今となっては大昔。もう少し最近の昔でしたら近隣の3階ないし5階建て程度の学校や集合住宅の屋上開放とかもありましたが、これも今は昔。
夕方からの雨が夜に強まってきたんで今年は中止かと判断して家でゴロゴロしてるうちに終わってたみたいです。

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餃子フェア  2025. 8. 19 (Tue.)

先日のオールスター競輪開催末期は家事都合で京都まで行かねばなりませんでした(1泊2日)。
ここんとこいつも朝10時過ぎに清水PAの屋台でおこたま焼きを食べるのが道中最大の楽しみになっています。それがどうしたことか! いつもの屋台がまったく無くなっていてすべて餃子関連のそれにとってかわられていました。
地方ケーブルテレビ局みたいなのの取材撮影までされてて盛り上がってましたが、長い道中の出足の朝10時過ぎに餃子を食べる気力無し。致し方なく中のフードコートでとろろそばを食べてこれを昼食にするという波乱の船出となってしまいました。


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第68回オールスター競輪総括  2025. 8. 18 (Mon.)

めでたく寺崎浩平選手(福井)の優勝で幕を閉じた第68回オールスター競輪でしたが、準決勝直前まではとても近畿勢から優勝者が出るとは思えぬ展開でした。それが4車決勝進出、上位3着まで近畿独占とこの先近畿でタイトルたらい回しもあるのではなかろうかという結果になりました。
たぶんタイトルたらい回しは難しいと思いますが、それ以前にわれわれ競輪客にとっては当たり前に近畿地区の福井支部ですが、一般的には福井県が近畿地方とは思われてないところに気をつけたいものです。
それはさておき、ポイント制がなくなって準々決勝が新設された新プログラム。勝ち上がりがわかりやすいのはいいのですが、ドリーム、オリオンの特選選抜メンバーは2走凡走しても準々決勝までは生き残れるようになりました。この仕組みを利して脇本、寺崎は3走目から本気を出しての決勝近畿作戦。
おそらく競走参加直前まで乗り込んで4日目5日目にベストが来るように調整されたのではないでしょうか。だとすればそこも含めての作戦勝ちだったと考えられます。

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第68回オールスター競輪[GI/函館]決勝
  
2025 8. 17 (Sun.)

12R 脇本が前の近畿作戦だが古性不調
 
選手
 
登録
 
脚質
こう戦う
1 1 古性 優作 大阪 100 34 SS 自在 1 脇本さん寺崎君の3番手から
2 2 太田 海也 岡山 121 26 S1 逃捲 15 自力で同県の岩津さんと頑張ります
3 3 吉田 拓矢 茨城 107 30 S1 自在 2 佐藤さんと二人で、自力で頑張ります
4 4  南 修二 大阪 88 43 S1 追捲 3 近畿の4番手まわりたいと思います
5 松本 貴治 愛媛 111 31 S1 自在 1 単騎で頑張ります
5 6 佐藤 礼文 茨城 115 34 S2 追込 0 同県で拓矢の後ろでやれる限り頑張りたい
7 寺崎 浩平 福井 117 31 S1 捲逃 10 脇本さんの番手でお願いします
6 8 岩津 裕介 岡山 87 43 S1 追込 1 また番手で頑張ります
9 脇本 雄太 福井 94 36 SS 捲逃 2 近畿4人いるんですけど僕が前で頑張りたい
推理


並び
9714 近畿  28 岡山  36 茨城 5 松本

近畿二段駆けを傍観するわけにもいかずアトランタの弟子(3)吉田が番手もしくは3番手あるいは4番手を攻めてるうちに打鐘前から最強ロボ(9)脇本ペース駆け。
脚溜めてる世界と戦う(2)太田が不気味に待機。

 
2車単
 
7=2,7−3,7−4
7−8,2−3,2−8

結果
line

号砲鳴るやマウンテン(1)古性がS取って近畿前受け。関東が中団獲って、いかつかった(5)松本を挟んで岡山後方で周回。
青板バックを世界と戦う(2)太田が踏み上げるが、最強ロボ(9)脇本がツッパリ先行。四角い(8)岩津が早々に車を下げてるのに(2)太田が一瞬3番手にハマってしまうが、(1)古性が外から追い上げ3番手確保。ここで打鐘が鳴って(9)脇本がピッチを上げる中、(2)太田がずるずる後退しながら最終ホーム通過。
(2)太田がずるずる後退するの見てるうちに5番手を(5)松本にすくわれたアトランタの弟子(3)吉田無策のまま最終2コーナーから捲り発進。が、バックから捲り一辺倒(7)寺崎が番手捲り。そのまんま(7)寺崎押し切り特別(GI)どころか記念(GIII)以上初優勝。(1)古性−アテにならない(4)南が続いて2着3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 7−1 370円 (1)
3連単 7−1−4 730円 (1)
抜目

line

入場 8,342人 総入場 33,463人
(対前年[平塚]76%)
売上 3,807,027,200円 総売上 15,946,048,300円(対前年103%)

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第68回オールスター競輪[GI/函館]準決勝
  
2025. 8. 16 (Sat.)

9R 3走目から本気出した脇本だが
選手 登録 戦法
1 1 郡司 浩平 神奈川 99 34 SS 自在 6
2 2 浅井 康太 三重 90 41 S1 追捲 0
3 3 脇本 雄太 福井 94 36 SS 捲逃 2
4 4  南 修二 大阪 88 43 S1 追捲 3
5 太田 海也 岡山 121 26 S1 逃捲 15
5 6 鈴木 玄人 東京 117 29 S1 自在 4
7 取鳥 雄吾 岡山 107 30 S1 逃捲 10
6 8 和田健太郎 千葉 87 44 S1 追込 0
9 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
並び


92 中部
18 南関東
34 近畿
57 岡山
6 鈴木好位狙い

世界と戦う(5)太田の先行にプロ(6)鈴木が乗り、最強ロボ(3)脇本が中団にこだわったらヘタレダービー王(9)山口に飛ばされ、後方から盛夫の子(1)郡司が巻き返す。

 
2車単
 
7=1,1−8,1−6

結果
line

後方から最強ロボ(3)脇本が上昇しヘタレダービー王(2)山口が続くと、前受けの世界と戦う(5)太田が青板バックから車を下げて3番手で粘り(2)山口と並走。
打鐘前に誘導を交わした(3)脇本が鐘を聞きながらペース駆け。3番手は(2)山口を飛ばした(5)太田で、ジグザグ(2)浅井が逆の(7)取鳥をキメて(5)太田後位に上昇の最終ホームから盛夫の子(1)郡司発進。これを引きつけ(5)太田が最終2コーナーから捲ると、(1)郡司とジグザグ(2)浅井がやりあって両者離れる
3コーナーから4コーナーのつばぜり合いを制して(5)太田1着。(3)脇本−アテにならない(4)南が続く。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 5−3 6,800円 (30)
3連単 5−3−4 38,420円 (160)
 

line

10R ずっとしょうもない犬伏だが
選手 登録 戦法
1 1 犬伏 湧也 徳島 119 30 SS 逃捲 19
2 2 荒井 崇博 長崎 82 47 S1 追捲 1
3 3 眞杉 匠 栃木 113 26 SS 捲逃 8
4 4 岩津 裕介 岡山 87 43 S1 追込 1
5 纐纈 洸翔 愛知 121 23 S1 自在 1
5 6 脇本 勇希 福井 115 26 S1 捲逃 3
7 吉田 拓矢 茨城 107 30 S1 自在 2
6 8 佐藤 礼文 茨城 115 27 S2 追込 0
9 嘉永 泰斗 熊本 113 27 S1 捲逃 6
並び


378 関東
92 九州
14 中四国
5 纐纈単騎
6 脇本単騎

たまにしょうもない(1)犬伏の先行に単騎勢やらが続いて中団争い。自在性ある(3)眞杉が自在性発揮して中団制圧から早めに出る。

 
2車単
 
3=7,7=9,7−2

結果
line

赤板ホームでスローダウンしたたまにしょうもない(1)犬伏を叩いて自在性ある(3)眞杉が先行態勢。4番手まで下げた(1)犬伏とピアス(9)嘉永が並走する打鐘から(3)眞杉ペース駆け。
最終2コーナーから捲る(9)嘉永を車間を切ったアトランタの弟子(7)吉田があわせ3コーナーから二発ブロック。(9)嘉永がしぶとく食い下がり直線(7)吉田が本気で追込み1着(3)眞杉の内から(8)佐藤が追込み2着で(9)嘉永の内から四角い(4)岩津が追込み3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 7−8 1,460円 (3)
3連単 7−8−4 16,930円 (58)
抜目

line

11R 3走目から本気の寺崎だが古性不調
選手 登録 戦法
1 1 古性 優作 大阪 100 34 SS 自在 1
2 2 新山 響平 青森 107 31 SS 逃捲 14
3 3 深谷 知広 静岡 96 35 S1 捲逃 9
4 4 松本 貴治 愛媛 111 31 S1 自在 1
5 伊藤 颯馬 沖縄 115 26 S1 捲逃 3
5 6 佐々木 龍 神奈川 109 34 S1 追込 0
7 山田 庸平 佐賀 94 37 S1 自在 2
6 8 松谷 秀幸 神奈川 96 42 S1 追込 0
9 寺崎 浩平 福井 117 31 S1 捲逃 10
並び


24 新山松本
91 大阪
386 南関東
57 九州

ここんとこ単騎ばかりだったツッパリ(2)新山が突っ張って逃げる。突っ張られた(5)伊藤が中団に降りてきたら(2)新山ペース。

 
2車単
 
4−2,4−1
4=3,4−7

結果
line

赤板ホームを(5)伊藤が駆け上がると誘導との車間を切っていたツッパリ(2)新山が突っ張ると見せかけて3番手におさまり、そのまま(5)伊藤が打鐘先行。
最終ホーム5番手から捲り一辺倒(9)寺崎が捲りかけるが、1コーナー(2)新山の発進で捲り中止。(2)新山にあわせてトリック弟(7)山田が番手捲り。
満を持してその上を捲った(9)寺崎がそのまま押し切り、追走マウンテン(1)古性と近畿ワンツー。
近畿を追った太り始めた(3)深谷が前団に迫るが、これに切り替えたいかつかった(4)松本が直線伸びて3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 9−1 1,550円 (3)
3連単 9−1−4 9,210円 (22)
 

line
第68回オールスター競輪[GI/函館]
準々決勝A  
2025. 8. 15 (Fri.)

今年から準々決勝A(4着権利)と準々決勝B(2着権利)。

9R 逃げ一太田
選手 登録 戦法
1 1 北津留 翼 福岡 90 40 S1 逃捲 11
2 2 太田 海也 岡山 121 26 S1 逃捲 15
3 3 坂井 洋 栃木 115 30 S1 自在 3
4 4 和田真久留 神奈川 99 34 S1 自在 1
5 武藤 龍生 埼玉 98 34 S1 追込 0
5 6 山田 久徳 京都 93 37 S1 追捲 1
7 松谷 秀幸 神奈川 96 42 S1 追込 0
6 8 岩津 裕介 岡山 87 43 S1 追込 1
9 伊藤 颯馬 沖縄 115 26 S1 捲逃 3
並び


47 神奈川
35 関東
28 岡山
91 九州
6 切れ目に山田

世界と戦う(2)太田が若さで先行一車の利を活かす。四角い(8)岩津が仕事したときのイン突きに要警戒。

 
2車単
 
2−8,2−6
2−4,2=9

結果
line

赤板ホームを前に世界と戦う(2)太田がスローダウン。後方から捲られてた(4)和田が前団抑え、続いたバンジー(3)坂井が抑え、さらに(9)伊藤が抑えたところを(2)太田が打鐘カマシ。
最終ホーム8番手から(4)和田が捲り上げるが、3コーナー四角い(8)岩津の牽制で不発。
直線、粘る(2)太田を(8)岩津が追込み1着。岡山勢に切り替えたヤクルト(7)松谷3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 8−2 1,380円 (4)
3連単 8−2−7 5,500円 (10)
裏

line

10R 先行争い
選手 登録 戦法
1 1 中野 慎詞 岩手 121 26 S1 逃捲 12
2 2 岩本 俊介 千葉 94 41 SS 自在 1
3 3 嘉永 泰斗 熊本 113 27 S1 捲逃 6
4 4 諸橋 愛 新潟 79 48 S1 追込 0
5 佐藤慎太郎 福島 78 48 S1 追込 0
5 6 脇本 勇希 福井 115 26 S1 捲逃 3
7 和田健太郎 千葉 87 44 S1 追込 0
6 8 菊池 岳仁 長野 117 25 S1 逃捲 14
9 荒井 崇博 長崎 82 47 S1 追捲 1
並び


84 関東
15 北日本
27 千葉
39 九州
6 脇本単騎

世界と戦う(1)中野が逃げると見せかけて(8)菊池に叩かれ好位確保。叩かれずに逃がされたらピアス(3)嘉永が捲る。

 
2車単
 
1−5,1−4
1=3,3=9

結果
line

柔和大器(2)岩本を突っ張った(8)菊池を叩いて世界と戦う(1)中野が打鐘カマシ。(6)脇本弟が北日本追走。
最終ホームを前に8番手からピアス(3)嘉永がロング捲り。2コーナーで限界?気のせい佐藤(5)慎太郎の牽制を乗り越え、3コーナーから4コーナーで(1)中野をとらえて直線。
ビッグボス(9)荒井が粘る(3)嘉永を追込み、九州に切り替えた(6)脇本3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 9−3 770円 (1)
3連単 9−3−6 5,420円 (6)
的中

line

11R 古性不調
選手 登録 戦法
1 1 古性 優作 大阪 100 34 SS 自在 1
2 2 守澤 太志 秋田 96 40 S1 追込 1
3 3 取鳥 雄吾 岡山 107 30 S1 逃捲 10
4 4 鈴木 玄人 東京 117 29 S1 自在 4
5 阿部 力也 宮城 100 37 S2 追込 0
5 6 神山 拓弥 栃木 91 38 S1 追込 0
7 松井 宏佑 神奈川 113 32 S1 捲逃 6
6 8 佐々木 豪 愛媛 109 29 S1 捲追 2
9  南 修二 大阪 88 43 S1 追捲 3
並び


38 中四国
19 大阪
752 南北
46 関東

逆の(3)取鳥が逃げて捲り合戦。

 
2車単
 
7−5,4−6
7=8,4=8

結果
line

マウンテン(1)古性が前団抑えると、前受けから引いた番長(7)松井とプロ(4)鈴木が3番手並走の打鐘から逆の(3)取鳥がゆるりとカマして逃げる。
7番手に引いた(7)松井が最終ホームから捲って前団に迫る。いかつかった(8)佐々木が牽制する内を(1)古性がついて3コーナー。(7)松井を飛ばすとともに(8)佐々木後退内を(4)鈴木が突いて4コーナーから直線。
後続のもつれをしり目に(3)取鳥逃げ切り。内突いた(4)鈴木が(1)古性を飛ばして2着。(1)古性後位からアテにならない(9)南3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 3−4 20,820円 (57)
3連単 3−4−9 180,510円 (370)
 

line
第68回オールスター競輪[GI/函館]
優秀「シャイニングスター賞」  
2025. 8. 14 (Thu.)

11R 失格とかなければ全員準決勝進出
選手 登録 戦法
1 1 犬伏 湧也 徳島 119 30 SS 逃捲 19
2 2 眞杉 匠 栃木 113 26 SS 捲逃 8
3 3 深谷 知広 静岡 96 35 S1 捲逃 9
4 4 浅井 康太 三重 90 41 S1 追捲 0
5 新山 響平 青森 107 31 SS 逃捲 14
5 6 山田 庸平 佐賀 94 37 S1 自在 2
7 郡司 浩平 神奈川 99 34 SS 自在 6
6 8 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
9 吉田 拓矢 茨城 107 30 S1 自在 2
並び


84 中部
29 関東
16 犬伏山田
37 南関東
5 新山単騎

たまにしょうもない(1)犬伏が逃げやすいメンバーだが、カマシに乗れたらツッパリ(5)新山が単騎捲り。(1)犬伏が流したら自在性ある(2)眞杉がドカン。

 
2車単
 
5=6,5=2,5=8
9−2,9−5,9−8

結果
line

後方から上昇する自在性ある(2)眞杉を前中団のヘタレダービー王(8)山口が牽制して赤板ホーム通過。5番手からツッパリ(5)新山が3番手に上げて前受けの太り始めた(3)深谷がピッチを上げると(8)山口が4番手に降りて打鐘前2コーナー、(2)眞杉がカマすがたまにしょうもない(1)犬伏は追わず後方ママのしょうもない競走
最終1コーナーから(5)新山が捲るがすぐ不発。2コーナーから捲った(3)深谷が3コーナーまでに関東勢を飲み込み、アトランタの弟子(9)吉田の切り替え阻んだ盛夫の子(7)郡司が直線追込み1着。
(5)新山に続いて南関勢を追った(8)山口後位からジグザグ(4)浅井3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 7−3 1,200円 (2)
3連単 7−3−4 11,670円 (26)
 

line
第68回オールスター競輪[GI/函館]
「オリオン賞レース」  
2025. 8. 13 (Wed.)

今年からオリオン賞2個。

10R 2着まではシャイニングスター賞
選手 登録 戦法
1 1 中野 慎詞 岩手 121 26 S1 逃捲 12
2 2 嘉永 泰斗 熊本 113 27 S1 捲逃 6
3 3 寺崎 浩平 福井 117 31 S1 逃捲 10
4 4 佐藤慎太郎 福島 78 48 S1 追込 0
5 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
5 6 窓場千加頼 京都 100 33 S1 自在 0
7 取鳥 雄吾 岡山 107 30 S1 逃捲 10
6 8 纐纈 洸翔 愛知 121 23 S1 捲逃 1
9 山田 庸平 佐賀 94 37 S1 自在 2
並び


58 中部
36 近畿
29 九州
14 北日本
7  取鳥単騎

世界と戦う(1)中野の先行を捲り一辺倒(3)寺崎が叩く。

 
2車単
 
3−6,3=5,3=2

結果
line

ピアス(2)嘉永の上昇を制して前中団3番手の世界と戦う(1)中野が赤板ホームでヘタレダービー王(5)山口を抑えて先行態勢。(2)嘉永が6番手におさまり8番手になった捲り一辺倒(3)寺崎が打鐘カマシ。追った逆の(7)取鳥が叩かれ3番手の(1)中野にからんでから1車上げた最終2コーナーから(5)山口発進。最終ホームから巻き返してた(2)嘉永がヤングラ(8)纐纈を締めて(5)山口に続き、4コーナーで(3)寺崎を捲ってた(7)取鳥をとらえて直線。
そのまんま(5)山口が押し切り、(2)嘉永後位からトリック弟(9)山田2着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 5−9 3,450円 (16)
3連単 5−9−2 23,710円 (100)
 

line

11R 2着まではシャイニングスター賞
選手 登録 戦法
1 1 岩本 俊介 千葉 94 41 SS 自在 1
2 2 吉田 拓矢 茨城 107 30 S1 自在 2
3 3 浅井 康太 三重 90 41 S1 追捲 0
4 4 北津留 翼 福岡 90 40 S1 捲逃 11
5 守澤 太志 秋田 96 40 S1 追込 1
5 6 伊藤 颯馬 沖縄 115 26 S1 捲逃 3
7 坂井 洋 栃木 115 30 S1 捲追 3
6 8 藤井 侑吾 愛知 115 30 S1 逃捲 18
9 松井 宏佑 神奈川 113 32 S1 捲逃 6
並び


64 九州
915 南関守澤
27 関東
83 中部

(8)藤井のカマシの3番手に飛びつくのに(6)伊藤が脚使って、その後ろからアトランタの弟子(2)吉田が捲る。

 
2車単
 
2−7,2=3

結果
line

(6)伊藤の上昇にアトランタの弟子(2)吉田が続いて赤板ホームで太眉先行(8)藤井を抑え、さらに番長(9)松井が叩いて打鐘。前々踏んで(2)吉田が4番手に上げたところで(8)藤井が打鐘カマシ。
最終1コーナーで(8)藤井が出切るが、(9)松井4番手から動けず、バックから(2)吉田が捲る
直線追い込むジグザグ(3)浅井をゴール前とらえて(2)吉田1着。(2)吉田追走バンジー(7)坂井が3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 2−3 1,500円 (6)
3連単 2−3−7 4,790円 (12)
的中

line
第68回オールスター競輪[GI/函館]
「ドリームレース」  
2025. 8. 12 (Tue.)

11R 松浦欠場。5着まではシャイニングスター賞
選手 登録 戦法
1 1 古性 優作 大阪 100 34 SS 自在 1
2 2 郡司 浩平 神奈川 99 34 SS 自在 6
3 3 新山 響平 青森 107 31 SS 逃捲 14
4 4 犬伏 湧也 徳島 119 30 SS 逃捲 19
5 眞杉 匠 栃木 113 26 SS 捲逃 8
5 6 深谷 知広 愛知 96 35 S1 捲逃 9
7 清水 裕友 山口 105 30 SS 捲追 4
6 8 太田 海也 岡山 121 26 S1 逃捲 15
9 脇本 雄太 福井 94 36 SS 捲逃 2
並び


87 中国
62 南関東
3 新山単騎
5 眞杉単騎
91 近畿
4 犬伏単騎

世界と戦う(8)太田が逃げてふてぶてしい(7)清水が車間を切る。自在性ある(5)眞杉が立ち回って好位に。
後方から一発捲るとしたら太り始めた(6)深谷。

 
2車単
 
7−8,7=5,7−2
7=6,6=2

結果
line

後方7番手で周回の太り始めた(6)深谷の上昇にツッパリ(3)新山が続いて赤板ホームで世界と戦う(8)太田を抑えると、最強ロボ(9)脇本が踏み上げ出切った打鐘前2コーナーから(8)太田がカマす。周回中から中国後位を主張した自在性ある(5)眞杉は続けず8番手ママ。
最終ホームで(8)太田が出切るが、ふてぶてしい(7)清水に(9)脇本がからむ(バックまで)。
2コーナーから捲った(6)深谷が3コーナーで前団飲み込み、直線盛夫の子(2)郡司が優しく追込み1着。南関追走(3)新山3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 2−6 2,610円 (6)
3連単 2−6−3 20,650円 (71)
的中

line
第14回協賛競輪[GIII/小倉]
第19回吉岡稔真カップ争奪戦決勝  
2025. 8. 11 (Mon.)

12R 九州多過ぎ
選手 登録 戦法
1 1  林 大悟 福岡 109 30 S1 捲逃 0
2 2 嶋津 拓弥 神奈川 103 39 S1 追込 0
3 3 原田研太朗 徳島 98 34 S1 捲追 5
4 4 林 慶次郎 福岡 111 28 S1 捲逃 5
5 小林 弘和 佐賀 91 41 S2 追込 0
5 6 阪本 和也 長崎 115 30 S1 追込 0
7 上野 優太 熊本 113 28 S2 追込 0
6 8 柳詰 正宏 福岡 97 38 S2 追込 0
9 櫻井 正孝 宮城 100 38 S1 追込 0
並び


4187 福岡熊本
 9 林後位競り
32 原田嶋津
65 西九州

前団ごにょごにょもつれてるうちに奇面組(3)原田がドカン。

 
2車単
 
3−2,3−1

結果
line

正和の子(6)阪本を制して前受けから(4)林弟が赤板ホームから先行態勢。西九州勢が中団に降りて奇面組(3)原田は8番手の打鐘から(4)林弟が加速して逃げる。
番手は(1)林兄が割とあっさり死守して(9)櫻井が5番手に後退して最終ホーム通過。
2コーナーから(3)原田が猛然と捲り上げるが、まだ中団の3コーナーから車間を切っていた(1)林兄が番手捲り追い込み。
直線、(1)林兄後位から(8)柳詰−(7)上野がズブズブっと追い込む外を(3)原田が迫るが2着まで。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 8−3 4,770円 (16)
3連単 8−3−7 20,170円 (58)
 

line

入場 7,298人 総入場 16,801人
(対前回[3月前橋]290 %)
売上 1,541,810,000円 総売上 4,899,438,300円(対前年97%)

line
第1回女子オールスター競輪[GI/宇都宮]
決勝  
2025. 8. 10 (Sun.)

12R ガールズ初代グランプリスラムへ佐藤水菜
選手 登録 脚質
1 佐藤 水菜 神奈川 114 26 L1 捲逃 0 3
2 小林 莉子 東京 102 32 L1 追込 0 0
3 柳原 真緒 福井 114 28 L1 自在 1 5
4 児玉 碧衣 福岡 108 30 L1 捲逃 0 12
5 仲澤 春香 福井 126 24 L1 逃捲 1 13
6 太田 美穂 三重 112 29 L1 逃捲 0 21
7 久米 詩 静岡 116 25 L1 自在 3 7
推理


5436712

サトミナ(1)佐藤の発進に初代女王(2)小林がマークしきれるかどうか。

 
2車単
 
1−2,1−6,1−7

結果
line

号砲鳴って康徳の娘(7)久米がS取って(6)太田を迎え入れ、673124で周回。(5)仲澤はどこにも入れてもらえず中団アウトで打鐘。
最終ホームから踏み上げる(6)太田と(5)仲澤のアウト(5)仲澤に乗ったツヨカワ(4)児玉がそのまま踏んで最終2コーナーで出切って逃げ、その後位に(7)久米が切り替える。
後方待機のサトミナ(1)佐藤が2コーナーから後続ちぎって捲るや、3コーナーで前団飲み込み後は一人旅でグランプリスラム達成
(4)児玉後位から(7)久米−女最強ロボ(3)柳原が2着3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 1−7 820円 (4)
3連単 1−7−3 6,400円 (22)
的中

line

入場 6,448人 総入場 13,794人

売上 1,331,679,900円 総売上 3,483,445,400円

line
第1回女子オールスター競輪[GI/宇都宮]準決勝
  
2025. 8. 9 (Sat.)

10R 太田の先行を太田が捲る
選手 登録 脚質
1 太田 りゆ 埼玉 112 30 L1 捲逃 0 12
2 河内 桜雪 群馬 122 22 L1 追込 2 0
3 梅川 風子 東京 112 34 L1 逃捲 3 12
4 太田 美穂 三重 112 29 L1 逃捲 0 21
5 那須 萌美 宮崎 114 34 L1 追捲 1 0
6 吉村早耶香 静岡 112 28 L1 捲逃 1 7
7 柳原 真緒 福井 114 28 L1 自在 1 5
推理


3256417

前々踏み上げるとっとこ(3)梅川を(4)太田が叩いて逃げる。そこを目力(1)太田が捲るが、(3)梅川も侮れず。

 
2車単
 
1−4,3−4

結果
line

4712356で周回。打鐘を聞いて目力(1)太田が車間を切って後方警戒。とっとこ(3)梅川動けず最終ホームを過ぎて2コーナーから(4)太田が成り行き先行。
バックで車間を詰めた(1)太田の外に(3)梅川も迫るが、一杯の気配で3コーナーから4コーナー。開いた内を(6)吉村が進出。
直線、粘る(4)太田を女最強ロボ(7)柳原が追込み1着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 7−4 14,280円 (21)
3連単 7−4−6 135,240円 (124)
抜目



11R 2着探し
選手 登録 脚質
1 佐藤 水菜 神奈川 114 26 L1 捲逃 0 3
2 石井 寛子 東京 104 39 L1 捲追 0 1
3 仲澤 春香 福井 126 24 L1 逃捲 1 13
4 松本 詩乃 東京 122 26 L1 自在 1 3
5 永禮 美瑠 愛知 118 25 L1 追捲 3 3
6 青木 美保 埼玉 118 27 L1 捲逃 0 6
7 坂口 楓華 愛知 112 27 L1 捲逃 1 13
推理


5431267

サトミナ(1)佐藤の一人旅を追う(3)仲澤後位から2着を探す。

 
2車単
 
1−2,1−4
1−6,1−7

結果
line

5341627で周回。小悪魔(2)石井−出て行った(7)坂口が2番手3番手に追い上げ打鐘。4番手に引いた(3)仲澤とサトミナ(1)佐藤が最終ホーム手前からスパート。あわせて各車踏み上げるが、(1)佐藤が2コーナーで出切って(3)仲澤が番手にハマり、(5)永禮と(6)青木が離れて第二先行
直線、(3)仲澤の追込みを振り切り(1)佐藤逃げ切り。バックから捲った(7)坂口3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 1−3 190円 (1)
3連単 1−3−7 490円 (1)
抜目



12R 児玉の積極策
選手 登録 脚質
1 久米 詩 静岡 116 25 L1 捲逃 3 7
2 児玉 碧衣 福岡 108 30 L1 捲逃 0 12
3 荒川 ひかり 茨城 110 30 L1 追込 0 1
4 小林 莉子 東京 102 32 L1 追込 0 0
5 尾崎 睦 神奈川 108 40 L1 捲逃 0 13
6 吉川 美穂 和歌山 120 32 L1 自在 2 1
7 藤田 まりあ 埼玉 116 25 L1 追捲 0 1
推理


6172345

ビーチ(5)尾崎いるがツヨカワ(2)児玉がドリームレースに続いて早駆けから残れるかどうか。

 
2車単
 
1=2,1=4,5−1

結果
line

7152436で周回。変幻自在(6)吉川がツヨカワ(2)児玉にフタをして打鐘。引いた(2)児玉が最終ホーム過ぎ1センターからカマして逃げる。好マーク初代女王(4)小林が粘る(2)児玉をゴール前追込み1着ただし(2)児玉を1番車と思い込んでの買い間違い
追った康徳の娘(1)久米がビーチ(5)尾崎との捲りあいを制し前団に迫るが3着まで。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 4−2 2,110円 (9)
3連単 4−2−1 6,640円 (23)
的中ミス

line
第1回女子オールスター競輪[GI/宇都宮]
「ガールズドリームレース」  
2025. 8. 8 (Fri.)

12R 児玉が9年連続ファン投票1位
選手 登録 脚質
1 児玉 碧衣 福岡 108 30 L1 捲逃 0 12
2 太田 りゆ 埼玉 112 30 L1 捲逃 0 12
3 佐藤 水菜 神奈川 114 26 L1 捲逃 0 3
4 久米 詩 静岡 116 25 L1 自在 3 7
5 石井 寛子 東京 104 39 L1 捲追 0 1
6 荒川 ひかり 茨城 110 30 L1 追込 0 1
7 河内 桜雪 群馬 122 22 L1 追込 2 0
推理


7546123

長走路でサトミナ(1)佐藤がじっくり捲り追込み。2着はツヨカワ女王(1)児玉後位から。

 
2車単
 
3−2,3−4,3−5

結果
line

7451263で周回。赤板ホームから上昇したサトミナ(3)佐藤を小悪魔(5)石井が迎え入れて打鐘。
最終ホームを前に(5)石井が少し上げたのに続いてツヨカワ(1)児玉が車を上げ、前団抑えて後方を見る。
1センターから(3)佐藤−目力(2)太田がカマすのにあわせて(1)児玉が踏み上げるが、バックで出切った(3)佐藤が(2)太田の追込みを寄せつけず1着。(1)児玉後位から康徳の娘(4)久米3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 3−2 540円 (2)
3連単 3−2−4 2,200円 (7)
的中

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石川雅規の"カツオ"節おにぎりと稲庭風ぶっかけうどん弁当  2025. 8. 7 (Thu.)

先日の神宮球場の夕飯ですが、サクっと買えそうな弁当の中から、来年もあるかどうかビミョーということで表題のものを選択しました。1,500円。
煮物のほかに鰹節がまぶされたおにぎり2個。なぜかうどんが2か所に分けられていて、それぞれに異なる風味のつけ汁と炊いた肉がついてます。 炊いた肉とうどんを同時に食べるのはいかがなものかと思いまして、肉はかつおおにぎりとともに食べました。
つけ汁の1種はフツーでしたが、もう1種はボンズおろしでなかなかイケてたのですが、かつおおにぎりもこのつけ汁で食えば美味かったはずと気づいたときには後の祭り。まるで石川の老獪な投球術にしてやられた気分になりました。



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Fuji Rock Festival 2025
4日目_保よし  
2025. 8. 6 (Wed.)

2年ぶりに越後湯沢駅付近で昼飯をいただいて帰ることになりまして、猛暑のなか迷わず保よしへ。舞茸天そばのランチセットAたしか1,280円をたいへんおいしくいただいて機嫌よく帰ってこられました。



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Fuji Rock Festival 2025
3日目_佐野元春 & THE COYOTE BAND
  
2025. 8. 5 (Tue.)

この日も昼から雨予報だったんで、1杯目のハイネケンはやめといてRED HOT CHILLI PIPERS登場と同時にところ天国へ移動。ナチョスモヒートで一息つきました。このモヒートが出来合いのじゃなくてかなり濃厚。若干へべれけでグリーンステージに戻ってきたら森山直太朗が始まりました。



うつらうつら聴いてたのですが、ずっと「どこもかしこも駐車場」と歌われていたような気がします。
このあと結局雨は降らず、最高の曇天の時間が長かったのですが、晴れ間は猛暑。今日も昨日のとは違う店のマンゴーアイス的なもので生きながらえました。



新野新みたいな高音早口関西弁でしゃべくるCreepy Nutsを少し聴いてからホワイトステージへ。



最前列は遠慮してPAブース脇のもたれられるところに陣取って佐野元春 & THE COYOTE BAND。今年、昔のヒット曲のリメイクCDを出されているので少しは期待していましたが、パンク・テクノポップ期にこっちは「子供たちどうも」や「二十世紀の終わりに」、百歩譲って「すみれSeptember Love」や「君に,胸キュン」とかを聴いてたときに「アンジェリーナ」「ガラスのジェネレーション」「サムデイ」。パンク終了後の「Visitors」で少し見直したところでスタイルカウンシルからの引用。ということで愛憎相半ばする佐野元春を一度ちゃんと聴いておこうと考えた次第です。持ってるCDは初期10年ぐらいのベスト盤のみ。
そんなわけで、1曲目は実は古い曲ながらよく知らなかったのですが、2曲目「Young Blood」から3曲目「ガラスのジェネレーション」改め「つまらない大人にはなりたくない」。バックの映像はリメイク時の新録と当時のプロモーションビデオなどが入れ替わり立ち代って我々爺さん婆さんの感受性を揺さぶってきます。知ってる歌詞のところを歌おうとすると不覚にも泣きそうになりました。
中盤、社会性や時代性を持つ楽曲で現在の問題を考えさせ、終盤は「NEW AGE」「約束の橋」「サムデイ」そして「アンジェリーナ」で大団円。
「アンジェリーナ」で飛び跳ねる45年後のわたくしを、45年前の俺様が見たら眉間にしわを寄せてあんぐり口を開けることでしょう。



そんなわけで、佐野元春を期待以上に堪能したんで、羊文学もTHE HIVESも「もうええわ」ということで晩飯食って退散。今年はTシャツも買わなかったんで最後に苗場プリンスホテルが出店するオアシスの店でステーキ丼2,200円大奮発をたいへんおいしくいただいてから帰りました。



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ヤ 8 - 1 神  2025. 8. 4 (Mon.)

T 000 001 000 | 1
S 000 230 03X | 8

勝)奥川(3勝4敗)
敗)ビーズリー(1勝3敗)

T ビー−門別−木下−岩貞
S 奥川−荘司−矢崎

佐藤輝ポップフライ落球以来の神宮球場。高橋悠人を中9日、大竹を登録抹消して広島戦にあてる都合でビーズリー先発。蒸し暑いなか毎回毎回毎回毎回先頭打者を出塁させる暑苦しいピッチングでしたが、三回までは毎回幸運や中野好守の併殺に恵まれ無失点。が、二回り目の四回裏につかまり2失点。これが見納めになるかもしれない残念な内容でした。
五回に門別が3失点。さらに八回裏これも見納めになるかもしれない岩貞3失点でダメ押し。
攻撃も大山6号ソロの1点のみでほぼ毎回走者を出しながら奥川他に粘られました。接戦をモノにして負けるときは大敗という強いチームらしい負け方でしたよ。


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富山記念[瑞峰立山賞争奪戦]
決勝  
2025. 8. 3 (Sun.)

12R 単騎多過ぎ
選手 登録 戦法
1 1 村上 博幸 京都 86 46 S1 追込 0
2 2 和田真久留 神奈川 99 34 S1 自在 1
3 3 松本 貴治 愛媛 111 31 S1 自在 1
4 4 菊地 岳仁 長野 117 25 S1 逃捲 13
5 山口 拳矢 岐阜 117 29 S1 自在 3
5 6 岸田 剛 福井 121 26 S1 逃捲 11
7 犬伏 湧也 徳島 119 30 SS 逃捲 16
6 8 山形 一気 徳島 96 36 S1 追込 0
9 伊藤 旭 熊本 117 25 S1 捲逃 4
並び


738 四国
61 近畿
2 切れ目に和田
4 菊地単騎
5 山口単騎
9 伊藤単騎

たまにしょうもない(9)犬伏が引いたら7番手。そこからでも届くと思ってたら単騎勢の先捲りで決着。

 
2車単
 
4=5,5=9,9=4

結果
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偉大な兄の(6)村上弟がS取って近畿前受け。3番手のいかつかった(3)松本のところにヘタレダービー王(5)山口が競りこみ四国勢に囲まれるが動かず、四国ラインは4番手以降へ。
青板バックで7番手(9)伊藤が1車上げて(8)山形に競りこむが、たまにしょうもない(7)犬伏動かず、赤板ホームから(6)岸田がペース駆け。
(9)伊藤がさらに1車上げて(3)松本を飛ばした打鐘前から(7)犬伏発進。あっさり出切って続く(9)伊藤をけん制して(1)村上落車。(7)犬伏を追う(6)岸田後位に(9)伊藤がハマり、4番手(5)山口、5番手捲られてた(2)和田で最終ホーム通過。
2コーナーから(5)山口が捲り、2センターで(7)犬伏に追いつくと直線一人旅。(7)犬伏が2着に残り、(5)山口を追った(2)和田3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 5−7 2,890円 (7)
3連単 5−7−2 17,810円 (52)

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入場 2,474人 総入場 6,131人
(対前年84%)
売上 1,947,610,300円 総売上 6,551,747,700円(対前年114%)

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Fuji Rock Festival 2025
2日目_NEWDAD/ego-wrappin'  
2025. 8. 2 (Sat.)

2日目冒頭はハイネケン1杯のあとCA7RIEL & PACO AMOROSO(カトリエル&パコ・アモロソ)というアルゼンチンの二人組。現場の人が着るファン付き作業服みたいなのを膨らませての歌唱。一人は黒でもう一人はピンクの水玉。この日も酷暑だったんで途中中座してトイレと喫煙のついでに800円ぐらい奮発してマンゴーアイス的なのを買って帰ってきたら、黒い人は上半身裸になってましたが、ピンクの人は最後まで風船状態でした。



昼から雨予報だったんで降雨の前に昼飯。去年も頂戴したプルドポークライス1,300円。去年はクラフトワークがプルドポークライスを食べてる看板でしたが、今年はフツーでした。



昼飯にトイレも一服も終えて一息ついてたら突然の豪雨とともにSTUTS登場。まだ昨日のイキリキャラVAUNDYの印象が残る中、天才ゆえかコミュニケーションの難を人柄の良さで精一杯補おうとしておられる姿勢に心洗われました。知ってる人はスチャダラパーと辛うじてのPUNPEEだけでしたが、多くのヒップホップ関連の皆さんがかわるがわる出てきてSTUTSさんを支えておられました。
そんなSTUTS終演を待たずレッドマーキーのNEWDADへ。アイルランドのシューゲイザー(靴を凝視するやつ)バンドで女声ヴォーカル。SLOWDIVEのちょっといいとこを集めたみたいな極上の昼寝サウンドに期待が高まります。雨宿りで居座る客も含めて開演20分前にほぼ満員。辛うじて後ろから3列目ぐらいで直接の雨には打たれないところに入り込めて極上の昼寝サウンドを立ったまま楽しませてもらいました。惜しむらくはステージから遠すぎて女声ヴォーカルのアイドル性はわからずじまいだったことです。
トイレや一服を済ませておやつのポテトフライを食べたりしてたら案外長引いた雨も上がって日も暮れて山下達郎。極上シティポップのリズムパタンがだいたい同じで飽きてきた後半になって竹内まりや登場。1曲の半分弱歌って退場かと思いきや、その後もコーラスで参加されてましたが、途中で中座して奥地方面へ。

レッドマーキーにはサンボマスターが出てたりで各所が盛り上がってる時間帯だったのでしょう。空いてるアヴァロンフィールドで舞茸天丼1,000円の夕食。新潟の舞茸は概ね一回り美味く感じますが、ここでもたいへんおいしくいただきました。
奥地でトイレと一服してから引き返してきてのフィールドオブヘヴンでego-wrappin'に備えます。



大川端探偵社が懐かしい「NEON SIGN STOMP」で開演。大トリ(ヘッドライナー)ということで硬軟緩急織り交ぜた演目でしたが後半に入ったあたりの「色彩のブルース」を拝聴しながら帰り道が混む前に退散。

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Fuji Rock Festival 2025
初日_マルゲリータ  
2025. 8. 1 (Fri.)

去年のような渋滞なく無事に11時前にいつものとこに着陣してまずハイネケンを1杯。USが始まりかけるところでしたが、空いてるうちに昼飯を食おうとOASISエリアへ。空いてるときにしか食えそうにない窯焼きピザマルゲリータ1,950円にありつきました。20回以上通ってて2食目。毎年大勢の客が来るにもかかわらず、同時に2枚か3枚ぐらいしか焼けない小さな窯で頑張っておられます。



そんなわけで注文してから食べ終わってグリーンステージに戻ったらRED HOT CHILLI PIPERSは完全に終わってて、寝そべってうとうとしいるうちにROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA登場。夢見心地の中で山下久美子や甲本ヒロトが歌ってました。甲本ヒロトが帰り際に「バイクに乗るときは気をつけろよ」とおっしゃってましたが、足を怪我してのステージだった模様。まったくステージは見てなかったので見逃してしまいました。
グリーンステージの後ろの方でゴロゴロしてるだけでも熱中症が気になる猛暑。冷たいものとトイレと喫煙所を求めて奥地に旅立ちました。

近年オレンジコートと呼ばれてた最奥地は今年からオレンジエコーとなって小さなステージができました。小さいと言っても突然段ボールや太陽肛門スパパパーンを見た時より立派なやつ。HOMEという悪そうな若者3人組のワイルドな演奏を拝聴しながら広島オレンジスカッシュで精気を取り戻して一服。
予習段階では、初日はとくにこれといって見たいものもなかったんで、フィールドオブヘヴンで現代的なジャズ4連発を聴くのもアリかと考えてましたが、結局一つも見ずじまい。ヘヴンを素通りしてグリーンステージで一息ついてたら雨が降ってきて熱中症の恐怖から解放。ひとしきり雨に打たれた後、おやつとトイレと喫煙所を求めて入口側のイエロークリフへ。



ナポリピッツァドッグの中でいちばん安いマルゲリータ千円。ここでまた精気を取り戻してグリーンステージに帰って寝転んでたらVaundyが始まりました。なんか曲間のしゃべりが昭和のビジュアル系ロックンローラーみたいなイキリキャラのそれ。
後半メタル度が増してきていつ「動物さんたち大集合だわいわい」みたいなお笑いに方向転換するかと思いながら寝転んで聴いてましたが、まったく方向転換しないまま終わってたいへん残念に思いました。そんなわけで、まだ20時過ぎですが初日なんで帰り支度を整え、イエロークリフに出店の湯沢東映ホテルの雷神カレーにカツまで載せた1,500円を奮発してから撤収。

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石庭石庭
石庭石庭
石庭石庭
 
いまわし部族 space
(19/10/22)
競輪人類学 (25/08/31)
文化研究 (24/12/27)
日報録  

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1背番号[1]の名選手列伝
創設期の名プレイヤー伊賀上良平。合宿設立とともに初代寮長兼任。復員後は大映で活躍。
毎日大量引き抜き直後のエース梶岡忠義
吉田義男入団でセカンドにまわり二遊間を固めた白坂長栄
三宅故障後の三塁手朝井茂治
佐野、掛布入団前に後藤とサードの定位置を争った大倉英貴。佐野、掛布の入団で若くして引退。
中日、近鉄で活躍した巧者一枝修平。近鉄時代、筆者が西京極だけで会う顔馴染小学生が試合前に一枝からサインバットをもらった縁で、阪急側から一枝の代打の打席のみ近鉄応援。ピッチャーゴロに終わった一枝だったが、ベンチに戻り際に我々に手を振って応えてくれた。いいやつ。引退後、阪神コーチと中日コーチと毎日放送解説を順繰りに務め、ちょくちょく監督候補に浮上。結局、村山の2回目に落ち着く直前は、一枝監督で決まりかけてたが、会社情報より外部情報が先行する毎度のドタバタを嫌気して固辞。
何を思ったか監督就任時の吉田義男。「一から出直し」と第2次後藤クマさんで最下位のあとに1番で登場。
法政黄金時代の好打者植松精一。プロでは好打者ぶりは発揮されずじまい。
ロッテで日本シリーズMVPの実績を持つ小兵弘田澄男。ジュニアオールスターMVPの藤倉とのトレードで移籍。85年史上最強の2番打者の一人。日本シリーズでは2番DHで登場。西武の緻密なバントシフトをあざ笑う強攻策でヒットを放ち、3番バースの決勝ホームランを呼ぶ。よみうりコーチとしてローズを叱り飛ばして帰国退団に追込んだ陰の功労者。
九州産交でバスの運転手の勤務ローテーションを編成していた野田浩司。第2次村山監督就任時にドラフト指名されてしまい、1番をつけさせられてしまう。村山辞任後は18番に変更して先発に救援に開幕投手にとエース級の大活躍。史上最悪のトレードでオリックスへ。
90年代最高のアメリカ人トーマス・オマリー。「ハンシンファンはイチバンやー」という本当の真実をヒーローインタビューのシメの言葉として人気を博す。他球団がどこもレギュラー不在とか一茂とかのときにサードでゴールデングラブという意外な受賞歴。契約でモメてヤクルトに移籍してMVP獲得。02年から特命コーチとしてジャージでベンチ入り、アリアスの相談相手を務め、03年ようやく発足したファンクラブのイメージキャラクター。
球団職員で入団中込伸。今はカットボールと言う真っスラを武器に99番で92年準優勝などに貢献するが、ヒジを痛めてから1番で再起。巨体を利した若手いぢめで山村や中谷をつぶし、台湾に渡る。
西武で鳴かず飛ばずだった谷中真二が平尾との交換で移籍。帽子をかぶるとオッサンづらだが、ベンチでいつも帽子を脱いでる顔は若い。先発で意外と安定したピッチングだったが星野にリリーフにまわされ不安定。オリックスに移籍してパリーグなら10勝は固いと思われたが、投壊現象に巻き込まれ、楽天になって先発ローテは固いと思われたがあまり出番なし。
04年大規模争奪戦の末早稲田から入団の安田大サーカス団長鳥谷敬。外角速球に間に合わず内角速球に差し込まれるへっぴり腰フォームでこりゃえらいカスつかまされた、と岡田以外の誰もが思うが岡田監督は我慢して起用し続け、年々打力、守備力を向上させ元々よかった選球眼でほぼ15年間不動のレギュラー。藤田平とかの持つ数々の記録を塗り替え衣笠に次ぐ連続試合出場達成。死球による顔面骨折の翌日からも出場して平気でヒットを放つ。最後は矢野に干されてからの引退勧告をけってロッテへ。
浅野のハズレ1位で中大から入団の森下翔太。2割3分台ながらいいとこで打つ勝負強さを1年目から発揮して三番定着。
2背番号[2]の名選手列伝
初代正捕手小川年安。在籍1年で召集、戦死。
戦前戦後の主戦投手藤村弟(隆男)藤村排斥事件の余波を受け広島に移籍。
阪急の名遊撃手本屋敷錦吾。二塁に転向して吉田義男と二遊間を固める。
細身の二塁手野田征稔。2割ちょいの打率ながら2番打者として安藤から定位置奪取。73年のよみうり戦では、9回一死一塁から併殺を取れるボテボテのゴロを二塁に送球せず、長嶋をタッチしに行き、逃げる長嶋を追って併殺を取り損ねる。直後に池田の落球伝説。引退後はコーチ、球団職員を長く務める。
西鉄の強打者東田正義が日ハムを経て移籍。池田にかわりレフトを守る。ラインバック、田淵、ブリーデンの後ろの6番打者として睨みをきかしたが活躍は1年だけ。
死球王竹之内雅史。西鉄太平洋クラウンから田淵がらみの大量トレードで真弓、若菜らとともに入団。バットを肩にかついだ豪快な打撃フォーム。狭いスタンスから左足を大きく踏み出すからデッドボールはよけきれない。85年並木輝男とともに打撃コーチとして優勝に貢献するが、吉田義男と仲間割れして退団。
敬遠球ホームランの柏原純一が日ハムから金銭トレードで86年入団。移籍1年目の開幕戦、逆転のチャンスで低めのくそボールを新ゾーンにとられて見逃し三振。この時点で連覇を逃す。退団後、コーチとして新庄を指導、敬遠球サヨナラヒットの成果を残す。
少年隊のスイッチヒッター大野久。移籍したダイエーで盗塁王。
ロッテで外野にコンバートされてくすぶってた高橋慶彦。中村勝広監督の存在感あるトップバッターの求めに応じ、遠山と交換で移籍。外野守備を習得できぬまま、存在感なく終わる。
野田との史上最悪のトレードで阪急色を一掃したいオリックスからやって来た松永。在籍選手のほとんどが客から愛されるチームにあって、耳、グリーンウェルとともに数少ない例外。
ウェスタンリーグの主軸打者平尾博司。一軍半のまま谷中とのトレードで西武へ。西武では準レギュラー。
ドラフト1位遊撃手的場寛壱。入団以来ずーっとケガとの戦い。背番号ももう後がない99番に変更。03年からウェスタンリーグ連続出場。05年春は一軍開幕目前にしてまたまたケガで、オフには戦力外通告。
立命から入団の藤原通。ウェスタンリーグの中軸のまま05年から関本にかわって44番。
永遠の第2捕手野口寿浩が坪井と交換で日ハムから。第2捕手を長く務め横浜へFA移籍。
蕭一傑1位のときのドラフト2位入団柴田講平。1年目ウェスタンリーグで活躍するが城島入団に伴い00番へ。
魚釣り、麻雀の次に野球が好きな城島健司がアメリカ帰り後最後の3年在籍。金本、新井さんやブラゼルらと重量打線を構築するが2年目以降は怪我との戦いでファーストも守ったりしてから引退。
藤浪晋太郎1位のときのドラフト2位北條史也。藤浪より3年ほど遅れて一軍定着。インサイドを捌ける打撃術でショートのポスト鳥谷ポジション争い一番手に名を上げるが、ダイビングキャッチで脱臼。以後精彩を欠いて年々出場機会が減少。2番は梅野に譲って26番へ。
明日も勝つばい梅野隆太郎がほぼ正捕手となって44番から変更。梅バズーカと呼ばれた強肩やワンバウンド捕球の壁っぷりで守りを固める。足指骨折で力が抜けていよいよ打てるキャッチャーになりかけてたところが矢野の坂本起用でやや正捕手に。ヒットのほとんどがライト前単打になってきたのにブルンブルン振り回す打撃改まらずランナーいるときは併殺覚悟。
3背番号[3]の 名選手列伝
73年優勝争い前後の三塁手後藤和昭。三宅の抜けた穴を埋めきれぬまま掛布、佐野の入団で日ハムへ。
南海からやって来た左腕投手上田卓三。1年か2年ですぐまた南海へ。
よみうりがボイコットしたドラフトで4球団競合のなか岡崎代表が当たりクジを引いて入団の。魔法使い小津と入団記者会見の翌日、小林とトレード。
虎ボルタ中田大活躍のジュニアオールスターでサヨナラヒット、MVPと賞金百万円をせしめた藤倉一雅。ロッテに移籍してイースタンリーグ首位打者。
変化球のキレがなくなった池内とのトレードで大洋からやって来た長崎慶一(啓二)。高木由とともに近藤和江尻中塚譲りのヘンなバッティングフォームの左の好打者。田尾連続敬遠で獲得した首位打者時代のハイアベレージは望めないものの、オールスター以降、代打の切り札に留まらず佐野のレフトの定位置を脅かす。日本シリーズ第6戦1回裏二死満塁、球史に残る逆風を切り裂く弾丸ホームラン。退団後、焼肉店開業。コーチとして復帰後、高校教諭、区会議員など多方面で活躍。
代打の神様八木裕。ポスト掛布の呼び声高く、若くしてサードのレギュラー獲得。オマリー入団、ラッキーゾーン撤廃を受け、外野に転向後も中軸を打ち92年準優勝に貢献。亀新コンビと守備範囲の広い外野陣を形成してチーム防御率を1点は押し下げた。フェンス直撃打球がそのままスタンドに入るホームランを一度は認めた平光が判定を覆し、幻のサヨナラホームランとなる。この試合の引き分けがたたって92年は準優勝に留まる。その後、ケガの回復がおもわしくなくレギュラーを石嶺、桧山らに奪われ代打要員に。ところが4割をくだらない驚異的な代打成功率でいつしか神様と呼ばれ崇め奉られる。それでもたまにはファーストでスタメン4番などで出場し、とくに倉敷マスカットスタジアムで大活躍。惜しまれつつ04年までで引退。
デカい体に似合わぬアベレージヒッター関本健太郎がバースのつけてた44番を脱ぎ捨て05年から。鳥谷起用のあおりで出場機会が減った準レギュラーの一人。出場機会に恵まれない選手を贔屓するがゆえ、贔屓選手が次々と放出されるというますだおかだのますだのいちばんの贔屓選手だったがバントや軽打の技を磨き遊撃から二塁、三塁、さらに代打の切り札と持ち場を替えてしぶとく長く現役を務める。守備も堅実で連続守備機会無失策記録を更新。引退後はますだおかだのますだと番組を持つ。
生え抜きレギュラー野手を増やしたい金本ドラフトで1位指名、会場の客から「え〜っ」と声を上げさせた大山悠輔。1年目途中から頭角を現し四番も務める。金本曰く「品のある」風格で将来の大砲候補として年々打力向上も波があって「春の大山」は小学生の詩作によっても人口に膾炙。新井さん同様ファーストは上手いがサードは…、とくに送球に難あってレフトもやらされるが岡田復帰とともに一塁固定。バットの先をピッチャーに向けるブランコ打法が板についてきて、かつまた初球を無造作に振る悪癖をやめ不動の四番打者に。
4背番号[4]の名選手列伝
スネークボールジーン・バッキー。テスト入団から年々力をつけ、64年村山との両輪で優勝に大きく貢献。甲子園までは自転車通勤。異常な愛妻家ゆえ、伊予狸藤本監督は登板前日に嫁はんに電話して夫婦和合を遠慮してもらう。王に2球続けてインコースに投げたことからバッキー荒川乱闘事件に発展。鉄拳制裁で荒川を流血に至らしめるが同時に指を骨折して選手寿命を縮める。稼いだ金で牧場経営。
浪花の春団治川藤幸三。俊足好守強肩の代走守備要員。レフト線フェンス直撃の二塁打性のヒットをクッションボールを捕るや否や鉄砲肩の送球で打者走者をセカンドで殺すこと度々。準レギュラーまで伸びるがケガで二軍生活逆戻り。ただし、この頃から打席に向かうときは肩をゆすったヤクザ歩きで。いつの間にやら代打成功率が急上昇、守らず走らず代打稼業に専念。敗色濃厚の九回二死、ひょっとしたらという場面でデカい態度で出てきてやっぱり三振するも、ええもん見せてもろたような気にさせてくれる。代打成功率も下がり引退勧告をもらったときに「銭はいらんから残らせてくれ」の名文句で春団治の異名を勝ち取る。帰宅後プロ野球ニュースを見ると「一番いい席で見てきてまた見るんか?」と嫁はんに言われる。一瞬、代打で復活した後はもっぱらグローブも持たない、文字通りのベンチウォーマーとして85年の優勝に貢献。翌年オールスター出場を果たして引退。若いころからキャッチャーが3アウト目の打者でチェンジになった際、キャッチャーが防具をつけてる間、キャッチャーミットを持って出て行って投球練習の相手を務める。結構オッサンになっても。バースに将棋を教える。2年ほど無責任コーチとしてベンチを暖め、退団。シニアリーグ大阪ロマンズでは桜吹雪ユニフォームが最も似合う男。モルツ球団の代打要員に転じつつOB会長を長く務める。
第2次吉田義男監督の3年目からの最弱時代のアフロエースマット・キーオ。強いチームなら20勝はしたであろう孤軍奮闘ぶり。
在籍年数の長さのわりに印象に残らない永遠の一軍半山脇光治。何故かこの人だけ甲子園ではヤではなくマに強勢ある関西アクセントで場内アナウンスされてた。
ウェスタンリーグ不動のトップバッター高波文一。代走守備要員で一時一軍定着もF1セブンなどに押し出されパリーグへ。西武では準レギュラー。
18番を返上した後の藪恵壹が3年4番で最後のひと花を咲かせて渡米。
05年広島からやって来たアンディシーツ。米製戦争映画のどの作品にもソックリさんが一人は出てそうな軍人フェイスでリーグ随一のショートストップだったが、移籍後はもっぱらファーストで日本球界史的にも随一の守備力で貢献。晩年外角スライダーを見極められなくなって駐米スカウトに。
たまにホームランも打つ外国人投手ライアン・ボーグルソンが36番から変更も1年でオリックスへ。
1年からレギュラーの早稲田で主将も務めたウエポン上本博紀がドラフト3位入団。俊足好打の小兵なのに守備不安。レギュラーを獲りかけては故障離脱を繰り返し00番に変更。
立教で主将も務めたイケメン熊谷敬宥がドラフト3位入団。上本とは逆に打撃に課題も代走守備要員として一軍定着。二遊間だけでなく三塁や外野の守備も固める。

5背番[5]の 名選手列伝
打てない時代を支えた4番打者藤本勝巳。ON全盛直前にホームラン王、打点王。62年優勝の打の中心。63年島倉千代子と結婚して成績を下げ、引退後離婚。多くを語らない。
俊足好守の守備代走要員末永正昭。勝負を決めるホームスチールを成功された新聞1面を見た記憶があるが定かではなし。
史上最高の外野守備北村照文。対よみうり千試合シリーズの後楽園で9回裏勝負を決める本塁返球で名を売る。守備範囲の広さ、返球の速さ、球際の強さなどなど、北村の守備だけで入場料分の見ごたえあることもしばしば。バッティングは打撃フォーム固まらぬままなれど85年史上最強の2番バッターの一人。ただし、開幕戦は代走出場で隠し球タッチアウトで鼻から出血。村山の少年隊起用に腐って移籍志願。当時もっとも外野陣磐石な西武に出されてしまう。
北村とのトレードで西武からからやって来た爆笑死球王金森永時。代打でそこそこ活躍するも、フィルダーなき後の一塁を守らされたりして、見てるほうもハラハラ。打撃もひっかけた一塁ゴロばかりになり退団。ヤクルトに雇ってもらえて野村再生工場で代打で復活。
新庄シャーペン宇宙人新庄剛。準優勝の92年、規定打席未満ながら久慈の新人王の次点。中村監督時代は伸び伸びやってたが、鬼平藤田監督になって遅刻して正座させられたりしてオフに引退宣言。数日で撤回。野村監督の差金で投手兼任。キャンプとオープン戦のみ。これで多少打撃に頭を使いはじめる。柏原コーチ譲りの敬遠球サヨナラヒットを槙原から放ち、ヒーローインタビューで「明日も勝つ」と宣言して翌日負ける。FA宣言で地球人には理解不能な交渉を経て、アメリカに渡るが、ダメジャーリーグから日ハムに復帰。引退後顔を変えて日ハム監督(ビッグボス)。甲子園での交流戦では阪神ユニフォームでメンバー表交換に登場。
ウェスタンリーグで少し活躍したエバンス。西武で準レギュラーとなるも1年で帰国。
30を目前にしてプロ入り沖原佳典。レギュラー扱いのときは、打てないし、うまいはずの守備でもちょくちょくエラー。控えにまわるとサヨナラヒットやら守備固めで出てきてから猛打賞やら俄然活躍。04年鳥谷起用で出番なく、東北楽天に移籍するやほとんどの得点機にからんでチーム100敗回避の立役者的大活躍。
沖原とのトレードで楽天から来た前田忠節が1年弱だけ5番をつけて32番に変更。
右肩手術で快方に向かった濱中治が31番から変更して復活するも1年だけで翌年末オリックスへ。
濱中を欲しいというオリックスに「平野くれるんやったらええわ」と岡田が言ってみたら本当にトレード成立でやってきたガッツマン平野恵一。セカンドのレギュラー争いを制すると赤星の次の二番で盗塁をアシストしつつクリーンヒット連発。外野も兼務するなか二塁手部門でベストナインやダイヤモンドグラブ賞受賞。真弓の上本重用や西岡らの大型補強を前にFAでオリックス復帰。
8番を福留に譲った浅井良の最後の1年。
マートンに続いて当たりの外国人打者マウロ・ゴメス。後にマルテやドリスらドミニカ共和国出身外国人の先鞭。全試合四番を務め打点王。CSでも打ちまくって日本シリーズ進出。毎年キャンプには遅参してたが3年目に初めて初日に間に合ったと思ったら打棒不振で三振王となり退団。
7番を糸井に譲った西岡剛が最後の2年。外野や一塁も守ってしぶとく出場機会を追求するも独立リーグへ。
新スピードスターのように見えてじつは打撃職人近本光司。どうしても左打の外野手が欲しかったらしい矢野1年目ドラフトで藤原・辰巳の外れ外れ1位。オールスターでは新人初の先頭打者本塁打、サイクル安打でMVP。盗塁王獲得、リーグ新人最多安打記録などを塗り替えるが新人王は交流戦期の不調が響いて他に譲る。ルーキー中野に譲った年以外は盗塁王。
背番号[6]の名選手列伝
戦前の凄いピッチャーでバッター、闘将景浦将。タテについていた目で沢村のドロップを打ち崩したという。気に食わないことがあるとあからさまな怠慢プレーもする豪傑。当時の監督の日誌に「景浦、本日もボールを追わず」。戦死。
富樫代表の息子富樫淳。投打にわたり戦後の復興に尽力。
投手時代の田宮謙二郎
阪神戦でノーヒットノーランを達成した真田重蔵が松竹からやって来て2度目のノーヒットノーラン。
最初のころの小山正明
64年優勝の翌々年入団、85年優勝前年引退と、優勝しなかった21年のうちの20年在籍藤田平。1年目から吉田義男をセカンドに追いやりショートでレギュラー。現役前半は華麗な遊撃手で3番までの上位打線。イージーゴロはファーストに緩ーく送球し客をハラハラさせてギリギリでアウトを取る。鉄仮面藤井譲りのどこにも力の入ってない脱力スイングで巧打を連発するが、チャンスで打席に立つと必ずポップフライ。なかなか3割を打てない。(広義の)阪神相撲部屋に所属して現役後半、一塁転向。吉田義男の連続打席無三振記録を塗り替え、イチローに抜かれるまで記録保持。神宮球場でショートバウンド送球を足を伸ばして捕球する際に大怪我。ほぼ1年治療して復帰後6番打者で大ブレイク。悲願の首位打者をシーズン終盤はものもらいで休みがちのなか獲得。それでもチャンスではポップフライ。横浜球場ではそのチャンスのポップフライから柴田島野両コーチの正義の鉄槌事件に発展。その後、安藤による守備固め的起用にやってられんなか、筆者の観戦する後楽園でチャンスにポップフライを打ち上げた後、敗色濃厚のどうでもいい場面で二千本安打達成。安藤留任気配を察して引退を表明するが直後に安藤辞任。二軍監督を経て、中村のあと監督就任。鬼平と化す恐怖政治で新庄が引退宣言。会社の辞任要求をつっぱね深夜に及ぶ交渉の末、解任。子供たちに「かつや」「さだはる」「ひろみつ」と大打者と同じ読みの名をつける。「ひろみつ」は門田の方で落合ブレイク以前。
85年優勝時のルーキーで03年の前々年まで在籍和田豊。優勝決定試合は平田に代打佐野が出た後、ショートを守り震える足で打球処理。第2次村山監督時代に大野、中野と少年隊結成。90年代大低迷時代をチームリーダーとして牽引。よみうり戦引退試合はヒットを打って同点だか逆転のホームインをしたりの大活躍で長嶋勇退試合を打ち消す。引退後は田淵、オマリーら3人いる打撃コーチのひとりや小さい正田の陰に隠れながらの打撃コーチ、内野守備走塁コーチなどを歴任して真弓の後に監督就任。少しのスパイスを加えて優勝を目指すが実績重視の選手起用でいつの間にか鳥谷以外のレギュラー全員補強選手に。それでもゴメス・マートン・メッセンジャー・呉昇桓らの活躍で日本シリーズ進出もあって4年留任。シニアアドバイザー、テクニカルアドバイザーなどの謎の要職を歴任後「いつまでネクタイしとんねん」と岡田によって二軍監督就任。岡田退任後は1・2軍打撃巡回コーディネーターなる謎のコーチングスタッフとしてベンチ入り。
内角低目がまったく見えないおかげでサヨナラ押し出し四球などを選んだホワイト。弱点を見破られて1年で帰国。
野村後継路線まっしぐらの広島からFAでやって来たアニキ金本知憲。伊良部、下柳らケンカの強そうな03年補強選手の一人。星野の4番示唆に返事を濁して3番打者として新境地を開き03年つないで打ち勝った優勝に大いに貢献。三宅の連続フルイニング出場記録を、右手に死球を受けた後数試合左手一本で打ちながら更新。04年からは4番に座り、05年MVP。40歳を超えても打ちまくり連続フルイニング出場を1492試合まで続けるが、練習中に藤川俊介とぶつかって痛めた右肩悪化で10年近く守り続けたレフトを葛城らに譲る。その後も代打でつづけた連続試合出場を藤川俊介の盗塁失敗で阻まれる。引退試合では盗塁も決め長いスピーチで現役を締めくくる。3年ほどふらふらした後、6番で監督就任。超変革を掲げ山・横田の1,2番で開幕を迎えるも打撃コーチを片岡に任せたせいか日替わりオーダーで調子に乗れず、2年目改善するが3年目最下位で辞任。一芸に秀でた面白いやつを獲得するドラフト戦略は数年後に奏功する。
7背番号[7]の名選手列伝
ダイナマイト打線で首位打者金田正泰。戦後すぐは野球より金になるブローカーとして過ごすが復帰。50年代は主将としてチームを引っ張り藤村排斥運動などを統率後、引退してコーチを経て監督。村山監督就任時にヘッドコーチとして復帰。成績不振で指揮権を返上した村山に代わり監督代行。成績回復後も指揮権を戻さぬまま村山退団で監督就任。江夏と「ゆたか」「おじき」と呼び合う間柄になるが、いつのまにやら冷却。口も聞かぬ仲になり、何ヶ月ぶりかに「どや?」「まぁまぁや」と交わした会話がスポーツ紙1面ネタになる。鈴木、権藤に殴られた73年優勝しかけるが、会社意向を受け、中日戦の上田登板回避。最終戦で負けて王をゲタで殴るなどして荒れる客にスピーカー片手に詫びる。
50〜60年代の中軸打者並木輝男。62年64年の優勝時3番など打つ。第2次吉田義男監督で打撃コーチ。自分が3番を打つことが多かったせいか、3番最強打者説を唱え、3番バース4番掛布の並びに客と「コーチの言うことより4番にこだわる」掛布らを納得させる。
落球伝説池田純一。強打強肩の外野手で、インコース膝元の変化球を決まって空振りするのに、勝負強いバッティングで6番あたりを固める。筆者もラジオで聞いてた73年夏のよみうり戦。九回二死からの黒江のセンターフライを、芝に足をとられて後逸。後に、中日戦上田登板回避から世間の目をそらす意図から、優勝を逃した世紀の落球という伝説が捏造される。引退後も池田ファンを公言してはばからなかった筆者同級生の野球部員Kは京都府大会準決勝でセンターフライを見失う。
太平洋から田淵がらみの大量トレードでやって来た男前遊撃手真弓明信。中西譲りの前に構えたバットを引きながらタイミングをとる眠狂四郎の円月殺法のような打撃術を習得して、まったく打てなかった外角変化球を克服して首位打者。ホームラン王争いにも参加。岡田怪我のときに平田を使いたい安藤監督によってセカンド転向。さらに、岡田を使いたい吉田監督になってライト転向。ライトでも軽快な動きで槙原をライトゴロにしとめたりする。85年は史上最強のトップバッター。日本シリーズでも初球二塁打でほとんど勝負を決める。引退後、近鉄で梨田、小林と男前首脳陣を形成。岡田辞任後監督復帰。城島ブラゼル補強で最強打線をつくるが飄々としたままどうせ判定覆らないと滅多に抗議に行かないナイスミドルっぷりを発揮して士気上がらず勝機を逃す。
ミスターツーベース改めポイントゲッター今岡誠。久慈や和田の抜けた穴を埋めるが、読み打ちが裏目ったときの気の無いスイングとかで野村に干されたりして不遇。岡田二軍監督にお願いして一軍復帰を回避したりしていたが星野が来て復活。高目を取るようになったストライクゾーン変更にも助けられて、03年は内野安打がほとんど無いにもかかわらず首位打者独走。が、死のロード10キロ減量夏バテでMVPを取り損なう。05年は5番起用で打点王独走。指の故障が治らず急速に打撃不振に陥りロッテへ。岡田監督再就任で打撃コーチで復帰。
ドラフト5位指名ながら「4位以下なら社会人」という条件を苦労してクリアして藤川俊介が近大から入団。1年目から頭角を現すも盗塁失敗で代打金本の連続試合出場記録に終止符を打って68番に変更。
ロッテから渡米していたスイッチヒッター西岡剛がロッテ時代と同じ7番で帰国。両リーグベストナインを獲得するも福留と激突して東京ドーム内に救急車を呼び込む大負傷。復帰後はサードや外野も守って出場機会をどん欲にうかがう。日本シリーズでは三塁ゴロまさかのツーバウンド送球で第1戦を締めくくると、その後もまさかの送球ミス、まさかの走塁ミス、最終的にはまさかの守備妨害でシリーズを締めくくる大活躍。故障との戦いとレギュラー争いをしぶとく続けたのち糸井に譲って5番に変更。
オリックスから数々の伝説をひっさげFA移籍の超人糸井嘉男。さすがに大ベテランになって新たな伝説は特に生み出さず右ひざの古傷と闘いながら41歳まで中軸を務める。
一日一善シェルドン・ノイジー。固め打ちすることなくポップフライの合間にヒット(おもにライト前)を放って2割5分。打撃での役立たずぶりを守備でカバー。巨体をナメて進塁をねらう走者を度々強肩で補殺。日本シリーズ第7戦宮城から奇跡のスリーラン。
8背番号[8]の名選手列伝
和製ディマジオ山口政信。球団創設時の俊足巧打の美男子外野手。和製ディマジオの通称は後に松竹の小鶴誠に奪われる。戦後、退団して北海道のノンプロチームに兼任監督として招かれるが愛人同伴の単身赴任
50年代の主戦投手大崎三男。明大時代は後輩の秋山がエース起用されるのに不満爆発、中退してプロ入り。プロ野球ニュースでは無用に汗をかきながら解説。
24番になる前の田淵が認める史上最強打者遠井吾郎
お祭り男山内一弘。小山と世紀のトレードでロッテから移籍。64年優勝時のクリンナップ。引退後数々のチームを監督、コーチとして渡り歩き掛布、落合ら大打者を輩出。教え出したらとまらないかっぱえびせんの異名を誇る。
俊足好守の守備代走要員佐藤正治
江夏がらみの大量トレードで南海からやって来た俊足好守の守備代走要員島野育夫。引退後コーチとして、横浜スタジアムで柴田コーチとともに岡田審判らに正義の鉄槌をくだし、無期限出場停止。翌年解禁。その後、阪神と中日のコーチを交互に務め星野とともに02年復帰。星野の右腕。(02年から左腕は平田)。星野SD就任に伴い現場を離れるが1年だけで05年現場復帰。
俊足巧打の打って走れるコメディアン加藤博一
85年史上最強の2番打者の一人吉竹春樹。野手としてテストを受けに来たが、外野からいい返球するし左やし、というので投手として入団。即野手転向。俊足好守の守備代走要員から準レギュラーへ。ラッキーゾーンを越える本塁打性の飛球を幾度となくキャッチ。田尾とのトレードで西武へ。引退後、コーチとして復帰。三塁ベースコーチとして思い切りの悪さを幾度となく露呈。
本人と客の十年越しの念願かなって田尾安志が西武から移籍。往年の俊足巧打好守の面影無く代打要員なるも年間サヨナラホームランの記録など達成。
92年準優勝の年の新人王久慈照嘉。今牛若二世として球界一の遊撃手となる。筋力アップで打球が飛ぶようになり、それまでのヒットが外野ライナーになってしまい打率を下げる。大豊、矢野らとのトレードで関川とともに中日移籍。中日では星野に干されてた感なきにしもあらずなれど、03年復帰して守備要員なのに打率3割キープ。05年日本シリーズで代走起用も飛び出しアウトを最後に戦力外通告。引退後の内野守備コーチ時代は失策数リーグ最多を改善できず。
ヘルメット西武時代は筆者の家の近くに住んでた佐々木誠
30目前で思い切ってプロ入り沖原佳典。片岡の入団で5番に変更。
日ハムビッグバン打線の中軸片岡篤史がFA移籍。移籍決断直後にフライデーに載ったキャバ嬢かなんかの乳をもんで破顔一笑写真の影響か、1年目は不振で客の目は松永に対するそれになりかけるが、03年故障がちながらそこそこ活躍。以降も故障がちながら忘れられた頃合をみはからって活躍。稼いだ金で実家をリフォームするが真実とは異なる檜風呂の俗説が広まる。引退後のコーチ時代はつねにチーム全体打撃不振。立浪に請われた中日二軍監督ではおそろしく負ける。
本格的に外野手(兼第3捕手)転向の浅井良が12番から変更。金本負傷、桜井不調時などの穴を少し埋めた後、福留帰国に譲って5番に変更。
高卒時ドラフトでゴネて日生経由で中日から渡米していた偶然だぞ福留孝介が帰国入団。晩節を1,2年汚して終わりと見えたのに和田監督が粘り強く起用、2年弱のリハビリ期間を経て打ち方を思い出すしてもう一花咲かすや長きにわたって中軸の厳しいベテランとしてにらみをきかす。最後中日に復帰してさらに2年頑張って引退。
矢野がドラフト1位で引き当てた佐藤輝明が近大から入団。1年目から大ベテランみたいな振る舞いで新外国人並の打棒発揮。横浜スタジアム場外ホームラン含む24本塁打を記録するが高目釣り球に手を出す悪癖治らず新人王は他に譲る。5年目の25年悪癖少し治まるやリーグ内の強打者軒並み故障欠場の間隙をついて本塁打打点の二冠王独走。
10_9背番号[9]の名選手列伝
タイガースの生い立ち明治のスラッガー松木謙治郎がノンプロを経て入団。初代主将。空前の1番打者。腕相撲球界一でついたあだ名が仁木弾正。兼任監督を経て招集で退団。戦後、鉄工所を経営するが毎日大量引き抜き事件の窮地に監督として復帰。藤村とともに退場となった大阪球場事件で退団。OB会発足時に阪神球団史「タイガースの生い立ち」執筆。佐野、掛布入団直前までの球団史は当連載コラムの主たるタネ本であり、筆者小学生時代のバイブル。
戦前戦後の主戦投手藤村弟(隆男)。藤村排斥事件の折に退団。
ダイナマイト打線の8番打者長谷川善三
球団史の中でも珍しい慶應から入団した安藤統男。吉田三宅鎌田本屋敷藤田平ら名選手ひしめく内野で、永遠の準レギュラー。1年だけほぼフル出場した年は打率ベストテン上位でオールスター出場、ベストナイン。その後すぐ、野田、中村勝らにレギュラーの座を追われ、引退。コーチを経てナイスミドルとなった82年中西の後を受けて監督就任。小林、工藤、伊藤の中3日ローテーションで11連勝、次の試合から9連敗。岡田と藤田平の起用に悩んで白髪を増やして辞任。
三宅の後、長くレギュラーが固まらなかったサード候補として中大からドラフト1位入団の佐野仙好。が、サードのレギュラーはドラフト6位の高卒同期、掛布に譲る。外野に転向して春先から3割打ってレギュラー確保に見えたところで川崎球場フェンス激突事件で瀕死の重傷。奇跡の生還後、毎年現れる新外国人ライバルとのポジション争いに打ち勝ちファーストかレフトでスタメン出場。レフト線のフライ打球は必ず帽子を飛ばして捕球した。初代勝利打点王。チャンスに強いいぶし銀のバッティングで優勝決定試合も9回同点犠飛。引退後長くスカウトとして貢献。
ウェスタンリーグの正捕手北川博敏。移籍した近鉄で代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを放ち、パリーグを代表する大打者に。
若いのに苦労人モンキー藤本敦士。高校野球は自分のエラーで敗退。大学野球は中途退学。野球のできる専門学校で滋賀県一の遊撃手と評されノンプロを経てムース野村の目にとまり入団してF1セブン形成。数少ないモノになったF1セブンで03年恐怖の8番打者。吉田藤田平真弓平田久慈と、阪神のショートは日本一のショートだった球団史的には守備に多く課題を残していたが、03年後半からうまくなりだすや04年鳥谷入団でセカンドにまわされる。関本らとレギュラー争いを繰り広げてヤクルトにFA移籍。引退後しばらくしてコーチ復帰。小さい三塁ベースコーチとして高代を後継する。
赤毛の安打製造機カミサマハワタシノチカラデスマット・マートン。朝飯前にヒットを打ちまくって最多安打、首位打者など獲得。メモ魔で研究熱心、信仰心も強いのに球審との戦い、本塁クロスプレー時のボディアタック、アウトカウント間違えてスタンドにボールプレゼント、アイドントライクノウミサンの洒落が通じないなどで物議をかもして存在感を高める。晩年アウトコースの球審との戦いが高じて帰国。
最初の金本ドラフト当たり1位山俊。実力拮抗のため1勝1敗で第3戦にもつれることが多かった東京六大学野球で最多安打の記録を更新して明治から入団。骨折の影響で1年目は二軍安芸キャンプ。金本片岡の指導を受けず開幕1番起用で初回いきなり初打席初安打。その後もヒットを重ね球団新人安打数で坪井を上回り新人王。2年目金本片岡の指導を受けたせいか飛距離が伸びるがよかったのはオープン戦までで以後課題の守備力向上に反比例して打撃不振。代打逆転サヨナラホームランやサヨナラのピンチで背走キャッチなどでたまに目立つ一軍半時代を経て二軍定着。23年岡田再任でオープン戦積極起用の期待に応えられずついに出場ゼロでオイシックス新潟へ。
背番号[10]の名選手列伝
男なりやこそ初代ミスタータイガース藤村富美男。球団創設時からの凄いピッチャーでバッター。投手陣充実後はサードに専念。戦後、青バット、赤バットに対抗する物干し竿でホームラン量産。ダイナマイト打線の四番として君臨する。毎日大量引き抜き事件で低迷するチームにありながらMVP獲得。レコードも発売し、当時あった開幕前の前夜祭ではステージで歌声を披露。このときばかりは普段飲まない酒を一杯ひっかけて舞台に立つ。わざと空振りして大尻餅をついておいて、同じ球を狙って本塁打するなどの田舎芝居やスタンドプレイなども得意。兼任監督になって藤村排斥運動をチームメイトに起こされてしまう。三塁ベースコーチに立って指揮、ここぞという場面では「代打、オレ」と審判に告げて打席に向かう。引退後、必殺シリーズで元締めの虎を好演。そんなわけで10番は永久欠番。
11背番号[11]の名選手列伝
プロ野球第1号ホームラン藤井勇。戦前の好打者。復員後は大洋などで選手、監督として活躍。70年代初頭、金田村山確執のなかでコーチ。
ザトペック投法の二代目ミスタータイガース村山実。よみうりの提示する数倍の契約金をけって阪神入団。1年目天覧試合にリリーフしてファールをホームランと判定され、サヨナラ負けを喫す。以後、死ぬまで「ファールや」と言い張り続ける。涙の抗議などする熱血漢。1年目に防御率1位と沢村賞のタイトルを獲るが新人王は他に譲る。その後、防御率1位、最多奪三振、最多勝、最高勝率、沢村賞など数々のタイトルをゲットして62年64年の優勝に貢献。無安打ながら失点を許すノーヒットありランも記録。「財布を拾たような、落としたような」の名言を吐く。稼いだ金でマンション11を建設し経営。62年MVP受賞。勝ち星で上回っていた小山がすねて日本シリーズ入浴事件。小山は翌年山内と世紀のトレードでロッテへ。速球だけでなく、フォークボールに磨きをかけ、スライドしたりシュートしたりまっすぐ落ちたりと投げ分ける。1500、2000の節目の奪三振を長嶋から取ると宣言してその通りに実行。30ちょいで監督兼任を任されてしまい、吉田派が去ったりふてくされるなか、その年の防御率は0.98のミラクル。兼任2年目、チームの不振で金田正泰ヘッドコーチに指揮権を譲り投手に専念。が、チーム成績回復後も指揮権を返上してもらえぬまま失意のなか引退し同時に監督辞任。引退試合は江夏らの騎馬に乗って登場。よみうりV9暗黒打線を三者三振。大卒唯一の200勝投手。第2次吉田義男監督の85年から優勝、3位、6位の後を受け、2度目の監督就任。このとき吉田義男と歴史的和解。球団創設以来2度目の最下位という窮状打開のために選手の背番号大量変更などを行うが、6位、5位で終わる。そんなこんなで11番は永久欠番。
12背番号[12]の名選手列伝
サンデー若林の高校の先輩で球団創設時の正捕手、カイザー田中義雄。戦後は監督も務める。
クマさん後藤次男。1試合最多塁打の記録を樹立するなどの好打者で50年代のリードオフマン。伊予だぬき藤本監督が辞めたあとと、第1次吉田義男監督のあと、誰もやる人がいないときに断りきれずに2度、監督就任。いずれも1年こっきり。2回目の78年はぶっちぎりで球団史上初の最下位。90年代大低迷の予行演習。サンテレビの解説を長く務める。筆者が阪神電車で甲子園に向かうクマさんに遭遇したときはボロボロになった阪神百貨店の紙袋ひとつ下げての通勤途上だった模様。
虎風荘前寮長梅本正之。中西、亀山らやんちゃ者は今も頭が上がらない。中西が寮抜け出し時に塀から落ちてビール瓶ケースに頭から突入、流血時に「119番、何番や?」の名言を吐く。
太ったピンチヒッター和田徹。田淵がいたので捕手をやめて外野やファーストもやる。
大リーグ帰りのマッシー村上雅則が1年だけ在籍。
西鉄、近鉄で防御率1位など活躍したベテラン清俊彦が1年だけ在籍。
アンダースローの美しい投球フォーム深沢恵雄。伸び悩んで4,5年、福間とのトレードでロッテ移籍。ロッテで1年だけ大活躍して翌年の開幕投手。この川崎球場の開幕戦でリーがホームラン。プロ野球ニュースの「今日のホームラン」でライトスタンドの筆者が映る。
深沢との交換でロッテからやって来た福間納。NHKトリオが成長するまで、加藤博一とコンビのピンクレディなどで宴会を盛り上げる。移籍1,2年目は代走起用もあり。移籍2年目か3年目ぐらいから中継ぎエースの座を確立、登板試合数のリーグ記録を塗り替えるほど毎日投げる。で、ほとんどリリーフで防御率1位のタイトル獲得。85年優勝の陰のMVP。ゴルフ番組の司会もこなす。
日ハムの小さな大三塁手古屋英夫が2年だけ在籍。
松井のハズレ1位安達智次郎。90年代ハズレ続きの高卒ドラフト1位の先駆け。
長い下積み、長い一軍半を経て準レギュラーまできた星野修。打撃フォーム固まらぬまま新勢力に押し出されて近鉄移籍。移籍後しばらくはほぼレギュラー。
つねに第3捕手時々ピンチヒッター浅井良。03年ベンチでは星野そばにいるので、出場機会以上にテレビに映っていたが、04年鳥谷優遇のあおりで二軍暮らし。05年からはたまに好リードで復活も外野手兼第3捕手に転向して背番号も8に変更。
元選手整体師のはしり三東洋が最後の1年だけ12番。
新井さんに25番を譲ってなべりょ渡辺亮。くいっと曲がるスライダーを武器に長く中継ぎ、セットアッパーを務めてスカウト転身。
明治でも8番バッター謎のドラフト2位坂本誠志郎。指名後筆者が視察した法政戦では東大に打たれた相手投手のストレートに詰まらされてて高山獲得のための友達採用かと思われたが、好リードとフレーミングで頭角を現しとくに矢野に重用される。矢野が二軍監督だった金本最終年はもっばら梅野。矢野一軍監督就任後選手間投票で履正社・明治に続きプロでも主将就任。試合後の挨拶の礼で3つ数える、ホームラン選手の首にかける虎メダルの発案などで盛り上げる。23年ダブル正捕手では坂本と組む村上・大竹が大ブレイク、伊藤将も前年並の好投を繰り返す中、梅野と組む青柳・西勇・才木が前年以下。梅野負傷離脱は85年ダブルストッパーで安定感に欠けてた方の山本和さん負傷離脱を想起。25年藤川監督になってほぼ正捕手。デュプランティエらに尊敬される。
13背番号[13]の名選手列伝
毎日大量引き抜き事件の後、50年代の正捕手徳網茂
サイドスローで先発もリリーフもこなした鈴木皖武。73年優勝争いの渦中で金田正泰監督を殴って謹慎。
太平洋からやって来た小さいキャッチャー片岡新之介。田淵晩年の第2捕手。川崎球場の大洋戦で、田淵負傷退場、大島代打起用後に負傷退場して池辺がキャッチャーをやるハメになる。
片岡とのトレードで阪急からやって来たまさかの笠間雄二。83年打撃開眼して正捕手に。横浜球場の打撃練習では、ライナー性のホームランをレフトスタンドに打ち込み、筆者の牛丼弁当を撃破。スローイングに難があり、塁間の青いゴキブリ松本に20個か30個ぐらい連続盗塁を許すが、筆者が観戦する甲子園のゲームで終止符を打つ。
村山に0番にさせられる前の中野佐資
日本ハムからやって来たアフロエース岡部憲章
野茂のハズレ1位、強かった法政のエース葛西稔。2年目8勝のほとんどがヤクルト戦。翌年の開幕がヤクルト戦だったおかげで、中村監督が開幕投手に起用。が、翌年以降、アンダースローからの高目速球を見切られて伸び悩むが、リリーフで活路を見出す。復帰した遠山と相手打者に合わせて交互に一塁を守るツープラトンセットアッパー&ストッパー「葛西・遠山スペシャル」の一翼を担う。コーチ兼任を経て02年星野大量リストラで引退、二軍コーチを経て長くスカウト。
関本健太郎と奈良の橿原で小中いっしょだった中村泰広
その中村とのトレードで日ハムから移籍の金村曉。昔日の面影なく後にコーチで復帰。
ゴリラ系若獅子賞左腕榎田大樹がドラフト1位入団。先発のポテンシャルを感じさせたが1年目からリリーフで大回転。故障後先発転向もぱっとせぬまま西武移籍。
榎田とのトレードで岡本洋介が西武から移籍。ロングも含むリリーフで1年だけ活躍。
亜細亜大出の山本和さん同様国士舘大出とは思えぬクレバーな投球術と独特の球持ちの良いフォームで実績を積み上げた岩崎優が67番から変更。登板後のコメントは「0点に抑えることができてよかったです」の決まり文句を貫きタオルで商品化。「明日も勝つばい(梅野)」「タイガースファン、イツモアリガト(ガンケル)」「ミエちゃんです、お先です(ミエセス)」などヒーローインタビューでは他人の決め台詞をパクる。
14_13背番号[14]の名選手列伝
本間勝広報部長。王に強いピッチャーだったらしい。
70年代の名二塁手、トップバッター中村勝広。抜群の選球眼でフォアボールをよく選んだ。三十ちょい過ぎで兼任コーチ、三十代半ばで引退して即二軍監督というエリートコースを歩んで90年監督就任。92年準優勝。会社が取ってきたダメ外国人を使い続ける中間管理職に徹して球団異例の6年にわたる長期政権を樹立。中間管理職としての手腕を買われ、石毛でボロボロになったオリックスの再建を託されるが再生できないままGMで復帰。外国人補強が当たってCSから日本シリーズに進出するが翌年東京遠征中に急逝。
球界渡り鳥で交流戦のない時代に全12球団から勝ち星を挙げた野村収。84年開幕投手。客の差別野次に怒ったスミスに3ランを打たれる。85年優勝時は中継ぎとして活躍し、NHK特集「エースなき優勝」では「その日暮らし」の仏教説話を説く。
入団1年目の代打の神様八木裕
晩年の伊藤文隆
90年代の中継ぎエース弓長起浩。先発起用がなかったのと、リリーフカー導入が惜しまれる。池内なみにスーパーカブ二人乗りが似合ったと思われるヤンキーフェイス。
カーライルとの見分け方がわからぬままのハンセル。カーライルとは違い先発ローテーションでそこそこ活躍。
オリックスからやって来た、当たればデカいジョージ・アリアス。オマリー特命コーチの指導で打率向上とスランプで塞ぎこむ悪癖を改善するもオマリーがベンチ入りしなくなった04年再発して帰国。
最も美しいワインドアップ能見篤史。インサイド攻めのできないジェントルハートを克服して5年目にブレーク。翌年は国際大会出場で調子を崩して前半休むが後半8勝負けなし。その後開幕投手を3度務め、晩年はリリーフ転向。長きにわたってポーカーフェースを貫くが引退勧告をけって移籍したオリックスでは笑顔解禁。
中日やアメリカで活躍したチェン・ウェインがロッテから移籍。2年間二軍調整で契約解消。
リリーフで実績を上げた岩貞祐太が17番から変更。FA権行使せず1億×3年の複数年契約を勝ち取るやセットアッパーから敗戦処理または二軍調整。
15背番号[15]の名選手列伝
チーム創設時から戦後しばらくにわたる主戦投手御園生崇男。投げない日は内野も守り、晩年は野手として活躍。
大洋で新人王と連敗記録を達成して東映を経てやってきた権藤正利。軸足をひょいと曲げる投法で防御率1位を獲得。バッキー荒川乱闘事件の直後にリリーフに出てきてあろうことか王の頭に当てる。「サルでもタバコ吸うんか」発言がひきがねで金田正泰監督を殴る
安仁屋に18番を譲った谷村智啓。阪急に移籍しての引退前の最後の登板では先発であれよあれよの完投勝利。
大町と同期のサイドスロー赤松一郎。社会人出の即戦力のはずが入団4年目ぐらいでようやく一軍デビュー。筆者が観戦する横浜球場で投球の際にヒジの腱が切れて再起不能。
南海から帰って来た上田次朗
兄貴とともに入団した嶋田章弘。85年3試合ぐらい好投。打者に転向してウェスタンリーグ連覇に貢献。
ニヤけたツラしてノーヒットノーラン湯舟敏郎。新聞はスポーツ紙しか読まない野球選手が多いなか、社会人野球情報が豊富な毎日新聞を購読。近鉄移籍後すぐ引退。二軍投手コーチで帰ってくるが、ファームで調整のはずの福原が悪くなって一軍に帰ってきたという罪状で更迭。
02年芽が出て、オフの滝修行でいよいよ、という03年になって新たな故障発覚藤田太陽。05年1試合だけ先発してMVP投票で1ポイント獲得。登録名を「太陽」にしたりサイドスローに挑戦したりするものの芽が出ず在籍8年半で西武移籍。中継ぎで少し芽が出る。
藤田との交換で西武から来た水田圭介。32番に変更後新井良太とのトレードで中日移籍。
立命館からドラフト2位で入団のサウスポー藤原正典
新日鉄住金鹿嶋からドラフト1位で入団のサウスポー横山雄哉
高校BIG4の一人でドラフト1位入団の西純矢。スタメン時は捕手坂本を9番に追いやり8番を打つなどその打力にも期待されたが肘を壊して手術、リハビリ。
16背番号[16]の名選手列伝
東急で青バットの大下とケンカしてやって来た櫟信平。スカウト〜バッティングコーチとして掛布を育てる。
吉田義男と鉄壁の三遊間コンビを形成した三宅秀史。常に上位打線でフルイニング出場。金本に塗り替えられるまで連続イニング試合出場の日本記録を持つ。練習中に小山の投球が目を直撃して、選手寿命を縮める。引退後、少しだけコーチをした後は球界から身を引き、マスコミ取材も余り受けない隠れた名選手。
ドラキュラ上田二朗(次郎、次朗)。とくに中日ドラゴンズ戦に強くドラキラーとも呼ばれる。が、73年の中日球場優勝決定試合は、会社意向により微熱ということで登板回避。最終試合の甲子園で先発炎上。この年、9回二死までノーヒットノーランのあと一人というところで長嶋に打たれる。73年の大活躍以降は先発の柱の一本として活躍するも10勝するかしないか。力が落ちてきたところで南海に移籍。数年して、さらに力が落ちたところで南海からシーズン途中に復帰。復帰後最初の登板は神宮球場で先発。スローカーブの連投で5回持たずにノックアウトするも打線が打って勝つ。これを2連勝目に11連勝の偉業。が、以降次朗の登板はなし。コーチを務めたあとフロント入りし、管理部長などの要職を歴任。定年退団後テレビ解説で温厚っぷりを発揮。
岡田選手が電撃的な婚約発表玉造のプリンス・どんでん岡田彰布。田淵の大学ホームラン記録にあと2本ぐらいまで迫った早稲田のスラッガー。6球団競合のドラフト1位を岡崎代表が当たりクジを引いて、田淵と違って喜んで入団。小学生のときにキャッチボールをしてもらったことのある三宅の16番を受け継ぐ。大学ではサードだったが掛布がいるんでセカンドコンバート。が、ブレイザーはヒルトンを使うので怒った客の圧力(嫌がらせ)に耐えかねブレイザー辞任。中西監督になって晴れてレギュラーになって新人王。オールスターは代打の初打席でホームラン。中西譲りの前に構えたバットを引きながらタイミングを取る打法を習得。4年目ぐらいのときに二遊間の難ゴロを取ったときに股が裂ける重傷。休んでる間に、守備を重視する安藤監督がセカンド真弓ショート平田を固定して、慣れないライトやファーストや代打で冷遇。吉田義男が85年に帰ってくると、真弓をライトにコンバートして岡田をセカンドに戻す。苦手だった後方のフライをバッティングマシンによる特訓で克服。守備も上手になって平田とのコンビで幾度となく実現困難な併殺を完成。85年には三冠王を獲ってもおかしくない打撃成績を残すが、すべてバースによって上回られてしまった。オリックスを経て二軍監督。NHK出向という星野の申し出を断って、03年から三塁コーチ。星野退団で04年から予期せぬ監督就任。早稲田出のルーキー鳥谷重用で評価を落とすが、05年今岡5番サード、安藤先発転向、JFKリリーフトリオなどの布陣が大成功して優勝。一気に挽回するものの日本シリーズで元の木阿弥。ラインバックがやり始めたデーゲームで目の下に墨を塗る(後年アイブラックと呼ばれる)のがシールになると真っ先に導入。また帽子の上にグラサンをひっかけるなどのファッションリーダーでもある。監督辞任後オリックス監督を経て解説。加齢とともに歯に衣着せぬどん語に磨きがかかり一般人は理解不能なるも監督復帰、中野二塁コンバート、大山佐藤輝をそれぞれ一塁三塁に固定する布陣が奏功し1年目にアレを達成。85年以来のアレのアレも達成するもアレンパ成らず退任。
テレビ解説で「これではすぐに打たれます」という耳のハナをあかして完投勝利の山崎一玄。その後はイマイチの成績で湯舟、北川らと近鉄移籍。打撃投手として復帰。
外角低目を取ってくれる審判なら絶対打たれなかった安藤優也。05年先発転向後、二段モーションを改め安定してローテーションの一角を守り、3年連続開幕投手。ピッチャーなのにオフにダイエットするなどして調子を崩すが福原とともにリリーフに転向してベテランの味を出して復活。引退試合でのセレモニー後のグランド一周では同時引退の新井良太の方に目立たれてしまう。
オリックスからFA移籍の西勇輝。絶妙の制球力で変化球を内外角に投げ分けるが球威低下とともにリードをすぐに吐き出す悪癖が垣間見える。
17背番号[17]の名選手列伝
球団創設時の契約第1号選手門前真佐人
50年代の名内野手白坂長栄
70年代後半の代打の切り札桑野議。後のビートたけしのように首をひねりながら打席に立ち、出塁しても首をひねり続ける。
数多いる、活躍できなかった隠し球的ドラフト1位の代名詞源五郎丸洋。1年目のキャンプで故障して終了。
「こいと」渡辺と同時期に入団して同じように先発要員候補のまま終わった太田貴
高卒4年目ぐらいで1軍先発も経験していよいよというときに同窓の先輩中込のいじめに遭い投げられなくなった山村宏樹。移籍した近鉄ではそこそこ活躍。
西武で新人王のアンパンマン杉山健人。左の中継ぎとして期待はずれで谷間の先発ももちろん5回ともたずに降板。すぐさま近鉄移籍。
近鉄で長くレギュラーを張った吉田剛。藤本、沖原の入団でご苦労様。
ヘンなヒゲで1年目から投げて打って走っての大活躍トレイ・ムーア。2年連続で暑くなってから調子を落とす。
05年ローテーションの谷間を埋めたブラウン。 だいたい5回4失点ぐらいの投球ながら打線の援護に恵まれて夏までに4勝1敗の成績を収めたが杉山の台頭で用なし。
登板1試合で終わった金村大裕
三浦大輔FA移籍に備え杉山直久が18番から変更。
晩年東京国際大監督に就任した古葉の教え子伊藤和雄。肘を壊して育成契約後92番で復活。
横浜商大からドラフト1位入団岩貞祐太。3年目にブレイクして10勝もその後続かずリリーフ転向。チキンハートが弱点で広島遠征とピンチに弱い。能見引退後14番を継承。
2年連続最多勝の青柳晃洋が50番から変更するや調子が上がらず二軍落ち。淡路島旅行などで気分転換した後半少し持ち直し日本シリーズ第7戦まさかの先発でそこそこ好投。翌年もパッとしないまま渡米するが半年でお母さんが勤めてたヤクルト復帰。
18背番号[18]の名選手列伝
球団創設時から毎日大量引き抜き事件までの大エース若林忠志。監督も兼務して後半は背番号30。徴兵で選手も客も少なく、また戦況悪化で途中で打ち切られた49年は、阪神電鉄車両工場に「動員」させられながら50数試合のうち30試合強に登板して22勝で優勝。
2リーグ分裂後のエース梶岡忠義。コーチとして62年64年優勝。OB会長も務め、一時期OB戦の先発をよく任された。震災後、千葉に引っ越され03年逝去。
草魂鈴木啓示指名の予想を裏切っての初代ドラフト1位石床幹雄。源五郎丸ほどではないにしろ、ほとんど登板なく終わる。
左足を上げると同時に右手の振り下ろしを始める変則投法谷村智博(智啓)。超スローカーブなどもまじえつつのテンポよい投法。相手投手が松本の中日戦や安田のヤクルト戦だと2時間かからず終了。江本、古沢、上田との四本柱で開幕から10試合ぐらい連続完投で山本和、安仁屋らのリリーフ陣を休業状態に追いやったのは15番に換えてから。
若生とのトレードで広島からやって来た沖縄初のプロ野球選手安仁屋宗八。移籍1年目にストッパーとして活躍し防御率1位でカムバック賞受賞。当時のストッパーは2点ぐらい負けてる7回ぐらいからでも登板。テンポのよさが仇となってブレイザーに干されて広島復帰後髭のコーチ。
銀縁眼鏡のサラリーマン的風貌で実働4,5年なれど強烈な印象を残す大町定夫。アンダースローから緩い変化球を内外角に投げ分けると、稀に相手打線は打ちあぐねてくれる。KBS京都制作「上岡龍太郎のそれ行け!タイガース」ではゲスト出演の素人大学生ファンの、好きな選手は?との上岡の質問に対する回答「大町」「中村勝(当時二軍監督)」「掛布の嫁はん」という三段ギャグに登場。
中西1位のドラフト2位池田親興。野村が先発した84年開幕戦、いいところで救援デビュー。中畑に真っ直ぐの連投で同点タイムリーを喫する。が、この年9勝して新人王候補でエース格に。翌年も9勝。日本シリーズでは第1戦先発で完封勝利。3年目以降、塁間の青いゴキブリ松本にカカトを踏まれて骨折したりと故障がちで大野らとともに4対5の大量トレードでダイエー移籍。池田はリリーフエース、大野は盗塁王など活躍するが、ダイエーから来た5人はニャンコ藤本をはじめまったく使えず。
村山につけられた1番から解放された野田浩司。今にもヒジを壊しそうな横手投げでエース級の活躍もヒジを壊してオリックス移籍。オリックスで復活して奪三振の記録を塗り替えたり、日本シリーズ出場など大活躍。野田の交換相手が松永だっただけに史上最悪のトレード
首都リーグ2部の東経大から朝日生命。社員のほとんどが強いのか弱いのかわからなかった野球部をあと1勝で都市対抗というとこまで導いた藪恵壹。1年目9勝で新人王。その後もエースとして君臨するが打てないチームにあっては10勝ちょいがやっと。打たれだしたら止まらない持病や清原にぶつけ続けるなど、見かけによらぬ熱いハートの持ち主。01年、絶不調にあえぐが、02年から背番号を4番に換えて復活。04年を最後に渡米。
ヘンなモミアゲで1年だけストッパーとして活躍したバルデス
03年の自由獲得枠で龍谷大からやって来た杉山直久。素直なフォームで球の出所が見えるときは打たれだしたら止まらなかったが、05年途中から悪癖を改善して先発ローテーション入りし初完封も記録、日本シリーズにも先発。デッドボールを受けて険悪な雰囲気になっても、ニヤけながら一塁に走って場をなごませること二度三度。
ドラフト1位で法政から入団の二神一人。特段の活躍なく数年で球団職員に。
帰国1年目の藤川球児
清宮・安田の外れ外れ1位馬場皐輔。一軍二軍のエレベーターを繰り返し、自分で作ったピンチを切り抜ける自作自演馬場劇場で握りこぶしを握るものの現役ドラフトでよみうりへ。
金丸の外れ1位でNTT西日本から伊原陵人。防御率1点台のまま中継ぎから先発に転向、長いイニングも合間にコーラを飲んで好投。新人王候補独走だったが暑くなって若干失速。
19背番号[19]の名選手列伝
初代Gキラー、酒仙投手西村幸生。沢村と同じ宇治山田出身。ライバル沢村以上の活躍をするが、沢村が在籍中に戦死なのに対し、西村は退団後に戦死のため扱いが過小。
ダイナマイト打線の名捕手、きかん坊、闘将土井垣武毎日大量引き抜き事件時に「十年選手」の権利を行使して毎日に移籍。
朝日生命から電鉄本社に入団、タイガース出向扱いの大津淳。引き抜き事件後貧打時代のクリンナップ。退団後、球団フロントで要職を歴任。
シングルキャッチの鉄仮面藤井栄治。1年目から打線の中軸で62年、64年の優勝に貢献。余計な力のまったく入らない脱力スイングでバットの真芯をはずさず投球をとらえ、1本もバットを折らずに1シーズン乗り切ることもあった。脱力スイングは藤田平に継承。
小林に19番を獲られるまでの工藤一彦
球宮崎キャンプに向かう羽田空港でトレード通告。耳との交換でやって来た細腕エース小林繁。井川慶出現まで球団最後の20勝投手。独特の二段モーションの形態模写で明石家さんまが出世の礎を築く。レコードまで出したタイトルは「頼れるエースはアンダースロー」。小林のレコードヒット作は「亜希子」。宇多田母との交際を相手ベンチから野次られ大炎上、開幕戦敬遠球サヨナラ暴投など、パンチパーマ・ファンキィ系の野球選手ファッションを改革したファッションリーダーにあるまじき暴走もしばしば。しかし、ほんのちょっと力が落ちてきたところでアッサリ引退して老醜を晒さず。
85年胴上げ投手、球道中西清起。1年目、門限後に虎風荘を抜け出し中に歩いた壁から転落してビール瓶上に落下、大怪我で出遅れる。お父さんも不運な転落死。2年目、カーブに磨きがかかり魔球パームボールもマスターして山本和とのダブルストッパーに成長。山本和アキレス腱断裂後、一人でストッパーを務める。日本シリーズは相手打線弱すぎ、出番少なく終わる。中村監督の開幕戦完封勝利後は故障がち。気に入らない奴、例えば元木などにはそのケツめがけて投球するなどの男気を発揮。平田、木戸とのNHKトリオで宴会を盛り上げる。コーチ就任後はリリーフ経験を活かしたブルペン担当で、JFKトリオを生み出す。
スローモーションのような二段投法でスローカーブなどの変幻自在な投法でノーヒットノーランや大リーグ完封など偉業を達成する川尻哲郎。しばしウウェスタンリーグの優勝等に貢献した後、近鉄を経て楽天。引退後新橋で居酒屋経営。
04年自由枠ルーキー筒井和也。消化試合で初先発初勝利をモノにするが、故障。
台湾からの留学生をドラフト1位指名蕭一傑。ウェスタンリーグで最多勝も一軍登板機会に恵まれず、ソフトバンク育成を経て故郷台湾へ。
未完の大エース藤浪晋太郎。1年目から10勝して大エースへの道を歩み始めるが4年目金本に代えてもらえず8回161球8失点からたまに見え隠れしてたノーコン病が現れ始めると翌年のWBC出場で何かが壊れ、数々のノーコン伝説をひっさげ渡米。1年半で帰国してDeNA。
青学の2番手ピッチャー下村海翔を競合回避のドラフト1位で獲得。1年目いきなりトミージョン手術でなかなか出てこないが故障復帰の村上才木含む投手陣充実の時代のおかげで寛容な扱い。
20背番号[20]の名選手列伝
2リーグ分裂ちょっと後頃の新人王投手西村一孔。1年目の酷使がたたり4,5年で退団。
中日からやって来たアンダースロー石川緑。62年64年優勝時ローテーションの一角を担う。
西濃運輸から入団のダンプ辻恭彦。山哲、ヒゲ辻、田淵の第2捕手を長く務めてヒゲ辻とのトレードで大洋へ。キャッチャーフライをへそで捕球。
80年代永遠のエース候補伊藤文隆(宏光)。大好投もあれば1,2回でKO,まだ2点しか取られてないのに5回表に代打を送られる、6点取られてよれよれでも8点取ってもらって完投勝利など様々なヴァリエーションで80年代チームの浮沈を象徴してたかも。ただし、85年は前後数年で一番不調なれど日本シリーズでそこそこの好投。
その伊藤と同じ顔、体つきで同じ投球フォームゆえ「こいと」と呼ばれた渡辺伸彦
バルセルナ五輪銀メダル台湾チームの大エース郭李建夫金的直撃打球を受けもんどりうって投手寿命を縮めるも、退団後は台湾で活躍。
02年リリーフで大活躍したものの他球団に慣れられて限界が見えた金沢健人。 正田樹とのトレードで日本ハムへ。オリックスを経てソフトバンクに行ってから中継ぎでそこそこ活躍。
日本ハムからやってきた新人王正田樹。1試合も登板せぬまま台湾へ。その後アメリカや独立リーグを経てヤクルトで少し活躍。
ドラフト自由枠入団の筒井和也が19番から変更後、中継ぎ・敗戦処理でしばし一軍定着。
メンデス、ロサリオを経てソフトバンクからやってきた中日ではエースだった中田賢一。ローテーションの谷間を埋めきれず引退。
小園(DeNAの方)の外れ1位森木大智。3年経っても芽が出ず育成契約。
全米優等生協会出身の秀才デュープデュプランティエ。投球回数が30回以上長いバウワーと奪三振王を争うが手柄は全部坂本の配球と謙遜。チャンステーマにはペットボトルで参加し、ヒーローインタビューでは「ぼちぼち行こか」。
21背番号[21]の名選手列伝
池田の前のセンター山尾孝雄
上田、谷村、山本和と当たり続けたドラフト1位に終止符を打った五月女豊。芽が出ぬまま太平洋を経て大洋で中継ぎ。ライオンズ時代、何故か筆者自宅前に出現。「太平洋の五月女さんですか?」という筆者の問いかけにうなずく五月女だったが、当時はクラウンライターライオンズであったと直後に気づく。
阪急から1年だけ来たガソリンタンク米田哲也。翌年近鉄に移籍して350勝達成。
ドラフト会議で司会のパンチョが「性はセックスの性」と読み上げた益山性旭。1年目に王、張本連続見逃し三振というV9暗黒時代にはあり得なかった快投で審判団の変化を天下に示す。年に1回だけの完投勝利を4,5回やって打撃投手に。
南海からやって来た山内新一。何故か先発ばかりでリリーフをしない登板スタイルで連続先発の日本記録達成。2年だけの在籍なれど、5回まで投げて後は福間−山本和で逃げ切ること度々。
清原のハズレ1位、金さん遠山昭治。1年目9勝で新人王候補の活躍も2年目以降低調で高橋慶彦と交換でロッテへ移籍して一塁手。ロッテ解雇後テストに合格して復帰。(いっしょに受験したマイク仲田は不合格)サイドスローの投手に戻り中継ぎでカムバック賞受賞。とくにゴジラ松井キラーとして活躍。野村監督時には、相手打者に応じて葛西と交互にファーストを守り逃げ切る継投策葛西遠山スペシャルを演じる。
打線低迷時に久慈とともに何度もノーヒットノーランをされるピンチを救った関川浩一。捕手として力量不足だったが、中日移籍後外野に専念して優勝。その後楽天。
山本和似の知的なサウスポー吉野誠。03年日本シリーズでの好投で評価を上げるが、以後さっぱりで1イニング64球の記録などを残し浜中とともにオリックスへ。
1型糖尿病を患いながらも関大からドラフト希望枠で入団のココリコ岩田稔。球筋の定まらない日本人離れした汚い速球と鋭いスライダーをはじめとする多彩な変化球で3年目にブレイク。10勝したのはその年だけで激しい浮き沈みながら消えそうで消えないマジックみたいに15年の在籍で日本シリーズや国際大会でも活躍。
27番と46番を経て晩年ウェスタンリーグでタイトル争いをする伊予ゴジラ秋山拓巳
23_22背番号[22]の名選手列伝
毎日大量引き抜き事件、藤村富美男が衰えた後、四番を務めた田宮謙二郎。当時あったFAのような「10年選手」で大毎へ移籍。長くOB会長を務めながら、台湾で監督をやったり市会議員をやったり。
すべてを勝利に長嶋の8本を倍増以上の22本で東京六大学ホームラン記録を塗り替えた田淵幸一。ドラフトで意中の球団に入れず泣く泣く入団。1年目から22本塁打で新人王。球界史上最高に高々と打ち上げた打球が浜風に乗ってレフトポールを巻くホームラン打球の美しさからホームランアーチストの称号を得る。筆者が野球を見始めたのはちょうど頭部死球で休んでる間。四番打者と言えば「遠井」だった印象を復帰後一瞬で吹き飛ばす。いいところでホームランを打つと必ずねじり鉢巻などをした客が一人か二人飛び出し、三塁から本塁まで併走して球場係員に取り押さえられる。
病気治療薬の副作用などでぶくぶく肥りだし、江夏、遠井らと阪神相撲部屋を結成。動きが緩慢になり、パスボールを追わない、キャッチャーフライを追わないなどを追及される。筆者は観戦試合でまさにパスボールを追わない場面を目撃したが、そのときは淡口の足に当たっていたようにも見え、デッドボールを主張した方がランナーの進塁を食い止められる頭脳プレイと見たが、一般的にはそんな風には受け止められない人柄。シンキングベースボールのブレイザーによって放出。小津社長の深夜のトレード通告に泣く泣く移籍。星野監督就任時に打撃コーチとして復帰、濱中にうねり打法を伝授する。
田淵の法政の後輩木戸克彦。レギュラーを獲得した85年に優勝。ピンチ時にはベンチの秋山−土井の明大バッテリー・土井淳コーチの出すサインを投手に伝達していたと噂される。近眼の伊藤のために指にマニキュアを塗ってサインを出す。中西、平田とバラエティ担当NHKとして宴会を盛り上げる。平田とのコンビは高橋源一郎のポストモダン小説「優雅で感傷的な日本野球」にも登場。平田ともども球団から足を洗えず、コーチを歴任。二軍監督で度々優勝も05年オフ、昔ならスポーツ紙を賑わすだろう島野二軍監督就任に伴う降格人事を飲まず退団。
一人もモノにならなかった90年代高卒ドラフト1位の一人中谷仁。中込の投げた携帯電話を、ふだんキャッチャーミットを使っていたせいか、素手で捕球できず目に受け失明の危機に瀕する。重い背番号に代えて、02年公式戦出場も1安打のみの打率0割台で楽天移籍。野村再生工場で1年だけ少し活躍。引退後高校野球監督に就任して甲子園帰還。
未来の主軸候補喜田豪は早々に重い背番号に変更。
怪我を恐れないファイトとどこでも守れる器用さを持ちあわせたキンケードが来日するも怪我でほとんど使えず。
名前にちなんだ92番から変更の藤川球児が05年大化け。速球王山口コーチの指導で無駄な膝のためをやめた独自の快速球火の玉ストレートを習得、風船を膨らませてる間によく打たれた6回裏や7回表を完全に締める。ジェフウィリアムス、久保田と磐石のリリーフ陣JFKを形成。セットアッパーの分際でMVPポイント第3位の大活躍。クローザー転向後も10連投などの大活躍の後米国で肩・肘を休ませ、四国アイランドリーグを経て復帰。退団後NHKで的を射るも難解な言い回しの解説で独自の玄人受け野球観を披露後、岡田の後任として22番で監督就任。難解な言い回しの監督インタビューで記者をけむに巻く。
藤川渡米期間のクローザー石仏呉昇桓。クライマックスシリーズでも石直球を投げまくって2位から日本シリーズ進出。2年の在籍でアメリカを経て韓国帰国。

背番号[23]の名選手列伝
台湾から裸足で全国中学野球大会に来て大活躍、よみうりを経てやって来た呉昌征。ピッチャーでノーヒットノーランの偉業を達成するも、おもに中堅手としてダイナマイト打線の1番打者。毎日大量引き抜き事件で毎日へ。
麻の豊田、木綿の広岡の上を行く絹の吉田、今牛若丸吉田義男。立命館を中退して入団するや1年目からレギュラー。しかし、テレビ中継の滅多になかった時代、「阪神に就職した」と言うと駅員か車掌をやってると思われる。20年近く1番ショートを守り続け、62年64年優勝。その間にチームは村山閥と吉田閥に分かれ、村山監督就任をもって引退。関西テレビの解説などをして満を持して75年に監督就任。優勝争いをするも、吉田派で村山監督就任時にトレードを志願したヒゲ辻ヘッドコーチと仲違い。ヒゲ辻にどケチ暴露本を出版される。江夏も放出。85年、2回目の監督就任時に「一丸野球」で優勝。が、2年目以降、米田ピッチングコーチと仲違いして後楽園遠山メッタ打ち続投事件、報道陣と険悪になり「カサで突いたろか」事件などを引き起こす。その後、第2次村山監督就任時に村山と歴史的和解。フランス代表監督を経て3度目の監督は久慈・関川を出して獲った大豊がサッパリで成績は上がらぬものの、とくに問題は起こさず、大阪ロマンズ監督へ勇退。そんなこんなで23番は永久欠番扱い。
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背番号[24]の名選手列伝
ダイナマイト打線の二塁手本堂保次毎日大量引き抜き事件で毎日へ。
仏のゴロー遠井吾郎。「日本野球史上最強の打者は?」という雑誌記事の問いに田淵をして「遠井さん。朝まであれだけ飲んで打てる人を他に知らない」と言わしめた酒豪打者。田淵死球欠場時に四番を務める。鎌田、吉田、三宅の名手ぞろいの内野陣の一塁を守るが、遠井のへんにフライが上がったときの緊張感には比類するものなし。球界一の鈍足でありながらオールスターでランニングホームランの伝説を残す。第二次後藤クマさん監督の1年だけバッティングコーチを務めるが「別に何もしてません」と本人曰く。退団後、大阪でスナック「ゴロー」経営。その後、郷里の山口県でスナック「ゴロー」を経営して05年逝去。
福間全盛期に第2の左の中継ぎ佐藤秀昭。日本シリーズではピンチだけ残して降板。移籍した近鉄で1年だけ大活躍。
入団4年目ぐらいに藤田監督に四番に抜擢されるも、その後10年近く四番打者になりかけ中の悠久の若虎桧山進次郎。再三のサードコンバートを断固拒否して外野の定位置争いを毎年繰り返すものの、03年は春から一塁でスタメン。それでも、ミットは使わず外野用のグローブで一塁を守るという草野球では当然の守備スタイルをプロでもやってのける一徹者。左中間のキューピーマヨネーズ看板に打ち込むホームランを持ち芸とするが、選手会長就任後は自覚と責任のなせる業か、つなぎに徹する。05年はお笑い外国人スペンサーとの併用も優勝決定試合、代打で勝負を決めるタイムリーヒット。晩年は代打の神様となり都合22年間在籍。13年クライマックスシリーズ白旗代わりの代打起用でホームラン。これを最終打席に引退。
ロッテの横田の子横田慎太郎。金本超変革でオープン戦首位打者争いを経て開幕2番抜擢。翌年春季キャンプから消息不明。数か月後脳腫瘍治療中と公表される。緩解後育成契約となるも視力戻らず引退。引退試合で奇跡のバックホームの伝説を残し23年逝去。追悼試合で同期入団の岩貞・岩崎が八回九回を締める。
ヒゲのスイッチヒッターロハスJr.。左打席ではあまり打てないが、右打席ではもっと打てないのに2年在籍。
2人目のケラーBケラー。キャンプから調整不足を不安視されウェスタンリーグでも2,3試合投げただけで消息不明状態に。6月肘の検査で帰国のニュースでようやく所在がわかり、7月再来日直後契約解除。
26_25背番号[25]の名選手列伝
眼鏡のスラッガーとして六大学の人気者、後に遠近両用眼鏡を世に広めた別当薫。右翼手でダイナマイト打線のクリンナップ。入浴時にフリチンの藤村富美男が頭をまたいだことにキレて毎日大量引き抜きで毎日移籍という俗説があるが、本人は否定。
62年優勝時の正捕手山本哲也
51番になってエース級の活躍をする前の古沢憲司。高校を中退して入団。あだなのバーディは、入団時虎風荘にいたバーディという名の犬に由来するという説が有力なれど、ゴルフで言う「パーの下」説も捨てがたし。
亜細亜大出と思えぬ知的な容貌で先発に救援に大活躍した山本和行。一年間のほとんどをリリーフで15勝してチーム勝ち頭みたいな現代の野球では信じられない登板形態。阿久悠作詞の大ヒット曲「サウスポー」のモチーフとなる。ただし、魔球というほどの決め球はなく、インサイドワークとフォークボールで王とかを翻弄。
六大学で法政全盛期のエース猪俣隆。巨体を持て余しながらも年に2,3試合は大好投。後にアメリカですし職人。
02年田淵の指導でうねり打法を習得して一躍四番の座を獲得した濱中おさむ。ケガに泣く野球人生は師匠ゆずりかと思われたが「25番は(優勝直前に怪我で休んだ山本)和さんのイメージがある」という岡田監督の発案で31番に変更。
とても使い物になりそうな感じがしない前川勝彦が近鉄から移籍。1試合だけ先発したあとはおもにウェスタンリーグ。
打者の手元でくくっと曲がるスライダーの魔術師渡辺亮。3年目から12番に変更。
広島から涙の会見(「どこで覚えてきたのでしょう?あの猿芝居」(金本談))FA移籍でやってきた新井さんこと新井貴浩。1年目前半打ちまくって首位独走に貢献した後、五輪で腰椎骨折後の後半大失速で岡田辞任。その後も打点王併殺王失策王の三冠獲得など役に立ってるのか立ってないのかわからない在籍7年で自由契約。広島復帰後MVP、後に監督。
その新井さんと同じ駒沢大からドラフト3位入団の江越大賀打撃のないスポーツなら何でも一流だっただろう身体能力で代走・守備固めなら超一流。低めの変化球を見極められずに当たったら飛ぶ打撃力を滅多に発揮できないまま新庄に請われて日ハムへ。
その江越とのトレードで日ハムからやってきた速球破壊王子渡邉諒。移籍1年目の4月に1試合だけ東京ドームで活躍したが、あまり破壊していない。
26背番号[26]の名選手列伝
小山・村山時代の直前からスローカーブを武器に準エース級の渡辺省三。引退後、九州担当スカウトとして新庄ら名選手を獲得するも謎の転落死。
阪急からやって来たポパイ切通猛。桑野の後の左の代打の切り札。筆者が観戦した西京極のウェスタンリーグ阪急−阪神戦では阪急の4番打者として決勝ホームラン。この試合で、遠征に連れて行ってもらえなかった佐野がサードで大トンネル。
代走での起用もたまにあったゾウさん工藤一彦。開幕投手も務めるようになるころには、代走要員からははずれる。巨体を持て余し気味のまとまった投球フォームからフォークボールを繰り出し、安藤監督の11連勝時には小林、伊藤と中三日ローテーションで先発して肩を痛めるも頑丈なのですぐに復活。
東北球界随一と謳われて入団の竹内昌也。前髪とともに薄い印象しか残さずパリーグへ。
ハンセルとの見分け方がわからないまま登板機会に恵まれずウェスタンリーグ連覇に貢献して帰国したカーライル
03年自由枠ルーキー江草仁貴。怪我を克服した05年初勝利を上げると裏の磐石リリーフ陣HESの一角として、ロングリリーフや敗戦処理に活躍。フォークボールが低く行きすぎてワイルドピッチ連発の悪癖を日本シリーズでも披露。
敵より故障との戦いが長かった歳内宏明。球団職員への転身を固辞、独立リーグを経てヤクルト入団。
台湾の大学から入団のサウスポー呂彦青(ルー・イェンチン)。一軍登板なく帰国。
2番を梅野に譲った北條史也
四国独立リーグから異例のドラフト2位入団の豪速球右腕椎葉剛。1位の下村とともにここまで一軍登板なし。
27背番号[27]の名選手列伝
ソロムコとのトレードで毎日からやって来た若生智男。村山、江夏らの陰で地道にきっちり仕事をした東北人イメージの典型。安仁屋とのトレードで広島へ。引退後いろんなチームでピッチングコーチとして地道に働きご子息が東大合格。
榊原とのトレードで日ハムから来たアンダースロー宇田東植。1年中継ぎを勤めてヘテタイガースへ。
その全盛期が木戸の全盛期と重なってしまいレギュラーになることなく終わった嶋田兄。カベ(ブルペン捕手)を経てブルペンコーチ。
92年準優勝の正捕手山田勝彦。打撃素人級など決め手に欠けて毎年レギュラー争い。打撃開眼するも1年だけで新勢力に押され日ハムへ。パリーグでは第2捕手を務めコーチ。
日ハムからやって来たどこでも守れる馬面捕手野口寿浩。04年は鳥谷起用のあおりで出場機会が激減するが、腐らず2番に変更した05年ときたま好リード。
ドラフト自由獲得枠で入団の即戦力正捕手候補だった岡崎太一。数年二軍暮らしの後27番を譲って57番に変更後たまに一軍。ウェスタンリーグではいろんところを守って16年在籍。
短髪白髪のアッチソン。先発で一息ながらリリーフに回って2年目はリーグ最多75試合登板のタフネスぶりを発揮するも帰国。
伊予ゴジラ秋山拓巳。遠山以来高卒ルーキー無四球完封など1年目後半だけで4勝してその打棒とともに期待が高まるもぱっとせぬまま7年過ごした後半はウェスタンリーグの大エース。46番に替えた17年にブレークして12勝。
前田大和FA移籍の人的保障で大洋(当時すでにDeNAに改称)からやってきた尾仲祐哉。おもにウェスタンリーグで活躍してヤクルトへ。
大学・社会人を経て同期入団の佐藤輝とともに1年目からベテランの風格を醸し出していた伊藤将司。右手グローブを高々と上げる変則投法から多彩な変化球を繰り出し安定的に先発ローテーションを守るが毎年どっかでちょっと休むんで規定投球回若干未達も3年目に達成。4年目から約1年半の不振を経て投げるときにちょっと横を見ることで5年目交流戦から大復活。
28背番号[28]の名選手列伝
年間401奪三振、オールスター9連続奪三振など宇宙最大級の奪三振王江夏豊。ソリトン、YOUの前身教育番組「若い広場」司会で、昔は日本に一人しかいなかったスポーツライター山際某のおかげで日本シリーズ21球伝説が有名なれど、南海を経て広島に行ってからなので、筆者はむしろ近鉄を応援してたかも。いかにも近鉄沿線に多数いそうなルックスの石渡の表情が忘れられません。京都の名門洛星中学の入試面接で「いま、君がいちばん関心のあることはなんですか」という質問に三田寛子を輩出した七条第三小の井村某は「江夏の仕上がり具合です」と回答して合格。また、いまわし部族創設メンバーのひとりカッパ河原は大学卒業後、歯科医となり大阪刑務所に週一アルバイト。「江夏を診察できないか」と毎回そわそわしながら往診に赴くもどうやら江夏は静岡にいたらしい。江夏とその時代の詳しくは後藤正治著「牙」で。
江夏がらみの大量トレードで南海からやってきた長谷川勉
虎ボルタ中田良弘。81年、新人王候補として大活躍。オールスター前の中日3連戦で3連投約6イニング1勝1セーブ。翌日のジュニアオールスターでも3回か4回投げて勝利投手で最優秀投手賞。MVPはサヨナラ安打の藤倉に譲る。が、直後に肩を壊して、以降休み休み85年まで5年がかりで18連勝。テンポのいいピッチングで打線の援護を数多誘発。翌年から中4年休んで90年10勝でオールスター出場。その後、また中4年ほど休んで復活かと思いきや引退。
03年、そろそろ復活かパリーグかの瀬戸際だった福原忍が復活して05年右のエースも勝ち星には恵まれず04年の10勝15敗に続き05年8勝14敗で2年連続リーグ最多敗戦。晩年はリリーフに転向。14年から2年連続最多ホールドを獲得して引退、コーチへ。
伸びるストレートで金本時代に先発ローテで最多暴投・最多与四球のノーコン小野泰己。22年オープン戦最終戦、九回二死からの登板で14球連続ボール、押し出し後サヨナラ暴投を最後に在籍5年でオリックスへ。
桐敷より上のドラフト2位で入団のノーコンサウスポー鈴木勇斗。ノーコン克服できず3年で育成契約。
夏の甲子園2年連続準優勝の大型右腕今朝丸裕喜
30_29背番号[29]の名選手列伝
明大出の大型捕手ヒゲ辻。近鉄、大洋を経てダンプ辻とのトレードで復帰。引退後、パンツマンなどの芸能活動。第1次吉田内閣でヘッドコーチ。モメて退団後は「タバコの1本1本に鉛筆で「ヨシダ」と書いてる」「水を1滴ずつ出して水道のメーターを回さずに、1日がかりで風呂の湯を張る」など吉田義男のケチっぷりを暴露。
雨で開幕戦が1日延びなければルーキーで開幕4番の可能性もあった望月充。ケガの田淵が復帰して5番。結局、打ったのはその年のオープン戦だけで、江夏とともに南海に移籍。
江夏との大量トレードで南海からやってきた江本孟紀。当時は珍しかったヒゲで長髪の野球選手。古沢とエース争いをするも例年12勝14敗6セーブぐらい。先発も抑えもの大車輪のようでもあり中途半端のようでもある起用にキレて「アホやからでけへん」発言で即引退
ブルペンエース福家雅明。現在はTVディレクター。
85年優勝決定試合ウィニングボール捕球の渡真利克則。後に審判。
肝炎を患いながらレフトを守った石嶺和彦。パリーグではDHで打ってたのだが。
98年入団後遊びには金を使わず、練習以外はもっぱらゲームで体を休めて02年からエースの奪三振王、03年は顔面スクイズを決めた、だっぺ井川慶。05年は大一番でことごとく敗戦も大リーグ希望は変わらず07年渡米。NYヤンキースなどに在籍しつつアメリカに将棋を広める。
虎ドラフト希望枠入団も毎年ちょっとだけ一軍に顔を出す9年を過ごして打撃投手に転身したサウスポー小嶋達也
NYメッツ時代と同じ背番号29が空いてたキャンベル。打撃振るわずロジャース緊急獲得。
肘・肩の違和感なければ大エースに成長するはずの高橋遥人。手術と復活を繰り返すガラスの不死鳥。
背番号[30]の名選手列伝
第2代監督石本秀一以下、昔は監督の背番号。とはいえ、明大−大連実業から入団の初代主将・怪力松木謙次郎は選手兼任監督。兵役、鉄工所社長を経て毎日大量引き抜き事件のあと、兼任監督で復帰。
戦前戦後の兼任監督、七色の変化球・サンデー若林忠志。会社とモメて主力とともに毎日移籍。トラのエンブレムは若林が在籍したハワイの高校のマークに由来する。
明治から島岡監督の「おまえがプロでやれるか」の反対を押し切って入団の牛若丸二世・ミッキー平田勝男。ベースを踏み越えてからの捕球も審判の目をだまくらかし幾度と無く実現不可能な併殺を完成させる。中西、木戸とのNHKで宴会を盛り上げる。星野の下で監督付広報を務めたり、ベンチを明るくするヘッドコーチ、二軍監督などを歴任して矢野の後監督起用案も岡田就任でヘッドコーチ。岡田退任でまた二軍監督。
名前にちなんで92番に換える前の藤川球児
03年から無名の常盤大からやってきた超人ハルク久保田智之。トルネード投法に磨きをかけて05年クローザー起用。JFKの一角をなしよく打たれながらなんとか凌ぐ。ロングもいけるので同点にされても延長まで責任を持つ。優勝決定試合も1点取られてから胴上げ。子どもをかばって右手骨折の不遇を乗り越えセットアッパーで最多登板の新記録達成。
新日鐵住金鹿島の横山ドラフト1位の2位で新日鉄住金鹿島から入団の石崎剛。呉昇桓同様の石直球で中継ぎを務めるが右肘手術後ロッテへ。
石崎剛とのトレードでロッテからやってきた高野圭佑が2年在籍後台湾へ。
上武大から2020年大当たりドラフトの3位で入団の大型右腕佐藤蓮。2年で育成契約、130番に。
北海道屈指の高卒左腕門別啓人。23年優勝決定後の初先発試合で達川が暴走解説。25年春はシカゴカブス時差ボケ打線を5回完全に抑える。
31背番号[31]の名選手列伝
木枯し紋次郎以前に爪楊枝をくわえて活躍したカークランド。73年最終戦の最後の打者として度々ニュース映像に登場。このあと怒った客が王らをゲタで襲撃
バット藤田平が知人の結婚式で休んだオープン戦で4安打してレギュラー獲りのチャンスを掴んだ第3代ミスタータイガース掛布雅之。応援太鼓の三連打に合わせて客がその名を叫んだカケフコールはその後の応援スタイルを一変させる。応援スタイルのみならず、芸人の登場シーンから一気飲みの順番コールまでカケフコールが社会に与えた影響は計り知れず大きい。浜風に乗せるレフトラッキーゾーン狙いの打法をあみ出して本塁打王獲得。この打法は85年優勝決定試合や日本シリーズ最終戦でも披露された。
一人もモノにならなかった90年代高卒1位ルーキーのひとり萩原誠−萩原誠斗−誠
五輪決勝でダメ押しホームラン、明治のスラッガー広澤トラゾー克己。ヒーローインタヴューで六甲颪を唄いFA直後のいまわしい過去を清算。映画「ミスタールーキー」では佐藤たまお演じる取材記者をセクハラ発言で煙に巻くベテラン選手を(地で)好演。03年日本シリーズ第7戦で白旗代わりに出てきて見納めのホームラン。
「25番は(85年優勝直前に怪我で戦線離脱した山本)和さんのイメージがある」という岡田監督の意向を受け、濱中おさむが04年から。しかし、すぐさま右肩故障再発。05年は交流戦DHで活躍。
高校から野球留学に来ていた林威助が近大進学後ドラフト7位指名で入団後38番から変更して準レギュラー。一塁も守るが外野とともに守備の不安を上回るシュアな打棒を発揮。肩の怪我から年々出場機会を減らし台湾帰国。
引退後どこのコーチもしなかった掛布雅之が金本に請われて31番で二軍監督として復帰。2年で金本に敬遠され辞任。
ドミニカ共和国出身のメジャーリーガージェフリー・マルテ。ずる賢そうな中米ファイスのノーステップ打法で当たれば鋭いライナーを放つが、1年の大半か半分弱を休みながら4年在籍。
マルテ退団後2年以上空いて次代を担うスラッガーに残してあるのかと思いきや、くふうハヤテで阪神二軍相手にたびたび好投した役所上がりの早川太貴が育成ドラフト入団後支配下契約時に31番でびっくり。敗戦処理のルーキー木下が3点取られた後の九回表二死一三塁でびっくりの初登板。相手バッターは完封目前で打つ気のない橋宏斗だったがボークで1失点。2試合目の初先発でびっくりの5回無失点で初勝利。
32背番号[32]の名選手列伝
俊足巧打のコメディアン加藤博一
代走で守備固め。スイッチヒッターなれど打席に立つことは稀だった引間克幸
PL−青学ー東芝を経て入団の振り子打法坪井智哉。闘志が表に出ないタイプゆえ星野に真っ先に出されるかと思ったがお父さんが星野入団時の中日のベテラン選手だったせいか、1年は置いてもらえるも骨折で出番少なく日ハムへ。パリーグでは首位打者争い。
03年から帰って来た久慈。年老いてもなお代走守備要員としてベンチを暖め05年シリーズ最終戦飛び出しアウトを最後に戦力外通告。守備コーチで帰ってきてからは概ねリーグ最多失策でエラーのたびにテレビに映る。
中日でくすぶってた新井さんの弟新井良太。一塁三塁左翼右翼をこなして徐々に出場機会を増やし、一軍半から準レギュラー、他に適任がいなんで四番打者と2年のうちにどんどん地位を上げる。補強選手が野手の主力を占めるなかにあって「良太がいちばん生え抜きみたいな顔をしている」(金本談)人気選手となって同日引退の安藤引退セレモニーでは安藤より目立ってしまう。
前田大和FA移籍に備え横浜戦力外の山崎憲晴を獲得。上本、糸原の守備固めで1年だけ度々登場。
西純、及川らの2019年高校生中心ドラフトで2位入団の未完の大器井上広大。ウェスタンリーグ平田意固地の四番起用で打点王や最多安打も獲得するが一軍戦力には及ばず和田二軍監督になって起用流動的。
33背番号[33]の名選手列伝
江夏の大量トレードで江本・島野らとともに南海からやって来た池内豊。カラスの鳴かぬ日はあっても池内の投げない日はなかった70年代後半からの中継ぎエース。広島球場で猿人・衣笠にデッドボール。猿人が怒ってマウンドに歩み寄るや否や物凄いスピードでベンチに一目散。中継のNHK西田アナは「いやぁ、衣笠が怒ったのにもビックリしましたが、池内の逃げ足の速さにもビックリです」。長崎とのトレードで大洋を経て韓国や独立リーグも含む各地でコーチ歴任。
和製カンセコ金子誠
パリーグなら5,6番は打ててたサンジルシ醸造から入団の曽我部恵一
04年ロッテからやってきて代打や一塁でも活躍したウォー葛城育郎。引退後高級焼き鳥店経営。
大阪桐蔭の好打者西田直斗。もっぱらウェスタンリーグで活躍後スーツ屋で修業してアパレルブランド経営。
三塁手としては長打力不足、走力守備力身長その他課題を持ちながら糸原健斗が明大後輩の高山・坂本に1年遅れて旧日石からドラフト5位で入団するやしぶとい打撃で金本超変革2年目の1年目から守備範囲に目をつぶって二塁か遊撃で準レギュラー。2年目3年目は全試合出場などしぶとくレギュラーを務めるが岡田復帰で代打要員に。
35_34背番号[34]の名選手列伝
たぶんカネやんと折り合い悪く放出と思しきロッテからやってきた池辺巌。川崎球場で1イニングだけキャッチャーも務める。甥は筆者の2期先輩で明大剛虎会創設メンバーの一人。佐野フェンス激突事件の際には、容態を気遣い打球処理をそっちのけにした人情の持ち主。
デビュー戦後楽園でタイムリーヒットも結局北村、吉竹に及ばずレギュラーを獲れなかった田中昌宏
村山によってカネやんと同じ34番にかえられたマイク仲田。85年のNHK特集「エースなき優勝」で当時の吉田監督からもらった手紙を音読するが必ず漢字のところでつっかえる。3回か4回の開幕投手起用は実績以上の期待から。が、例年4勝10敗ぐらい。スライダーを覚えた92年に14勝の大活躍で準優勝の原動力となるも翌年はスライダーを敵に覚えられて狙い撃ちに遭って撃沈。ロッテへ。ロッテ解雇後、阪神のテストを受けるが不合格。いっしょに受験した遠山は合格。
緩急自在星野伸之がFAでやって来て野村時代主軸を務めるが、02年星野大量リストラで退団。
社会人時代は外野も守った橋本健太郎が05年入団。長身を持て余すチェンジアップ多投でピンチを切り抜け、江草桟原と裏の最強救援トリオHESの一角を成す。
橋健とのトレードでロッテからやって来た投げる哲学者久保康友。先発ローテーションの柱を3,4年務めてから藤川球児の穴埋めでリリーフ転向。守備(とくに伊藤隼太)に足を引っ張られて調子に乗れず、DeNAにFA移籍。さらに海外や独立リーグを放浪。
中谷将大とのトレードでソフトバンクからやって来た二保旭。先発救援オールマイティもソフトバンクからやって来る人が軒並み活躍するなかで精彩を欠く。
オリックスで一瞬クローザーもやってた漆原大晟が現役ドラフトで移籍。
37_36背番号[35]の名選手列伝
でかかった服部
古溝と同じトラさんフェイスで1年目活躍したもののヒジを壊してその後さっぱり舩木聖士
楽天からトレード移籍の坂克彦が長く一軍半で二塁を中心にいろんなところを守る。
公立の星才木浩人。高卒1年目から頭角を現すが肘を壊して手術。1年弱のブランクで復活すると前より速くなった速球とフォークで先発ローテーションの一角を時折休みながら務め、さらにスライダーを習得してエース格に。23年日本シリーズではマメをつぶして流血の力投。
37_36背番号[36]の名選手列伝
80年代の第3捕手渡辺長助
2年半だけ大活躍したストッパー田村勤。覇気も若さもまったく感じさせない表情とユニフォームの着こなしでタムじいと呼ばれる。
たまにホームランも打つ外国人投手ライアン・ボーグルソン。1年だけでシーツ退団で空いた4番に変更。
横浜高校の好打者濱卓也。ロッテ移籍後一軍半でそこそこ活躍。
東海大相模の好投手で強打者一二三慎太。既に高校野球でよく打たれていたが1年投手をやってから外野手転向。一軍登録ないまま育成契約で背番号は苗字にちなんで123番へ。
1年目の4月だけ活躍したマット・ヘイグ。キャンプで36番の背番号を見た当時評論家の岡田が「一二三!」と何度も呼びかけ、ようやく振り返ったヘイグを見て「うわぁ、外人やん」と言う松村邦洋のものまねネタに登場。
浜地真澄が高卒6年目だけセットアッパーとして湯浅岩崎の前の7回を守るが、その後くすぶってから現役ドラフトでDeNAへ。
浜地と入れ替わりで畠世周が現役ドラフトでよみうりから入団。

背番号[37]の名選手列伝
二握り半余らせたグリップエンドがみぞおちを直撃しないかとハラハラさせた控え遊撃手榊原良行
ヤクルトおよび近鉄在籍時に優勝。まさか阪神でも。3球団で優勝した幸運のピンチヒッター永尾泰憲
近鉄から来た久慈の控え遊撃手米崎薫臣
ローテーションの谷間とかでたまに好投した三東洋。左肩の故障癒えず引退後元スポーツ選手の整体師の先駆けに。
オリックスで正捕手も務めたが晩年岡田に干された日高剛がFA移籍で最後の2年在籍。
内野のユーティリティ森越祐人が中日戦力外でトライアウトを経て入団。おもにウェスタンリーグで様々なポジションを守って自由契約で西武へ。
高校ビッグ4の一人及川雅貴が西純1位のドラフト3位で入団。リリーフで西純より先に頭角を現す。その後先発やったりまたリリーフに戻ったりどっちつかずの一軍半を経て5年目にリリーフでオールスター出場。
38背番号[38]の名選手列伝
世界大会イタリア代表で来日、神宮で打ちまくったスティーヴン・ラムが第3の外国人として契約。シーズン半ばでのデード解雇で出場機会を得るが翌年までで解雇。
ライオンズからやってきて笠間の後の1年間だけ正捕手山川猛。木戸にレギュラーを奪われる。
ドラゴンズで活躍した与田剛がロッテ日ハムを経て一瞬在籍。
酷使がたたった後の弓長起浩
台湾から近大を経てやって来たウェスタンリーグの主砲林威助(りん・うぇいつ)。3年目から31番に変えて一軍定着へ。
智辯和歌山から入団の大型捕手橋本良平。一軍に上がれずパナソニックに転職。
江草とのトレードで西武から黒瀬春樹
ビール腹のクローザーマルコス・マテオ。真っ直ぐとスライダーだけで毎度苦しい登板でドリスにクローザーを譲るも中継ぎでそこそこ活躍。オールスターにも出て打たれる。
俊足好打の大型遊撃手小幡竜平。高卒2年目から代走守備固め要員で一軍定着。岡田復帰で開幕スタメンも木浪にレギュラーを奪われる。
40_39背番号[39]の名選手列伝
ヒゲ辻以前の正捕手山本哲也
田淵がらみの大量トレードでライオンズから真弓らとともにやってきた若菜。大リーグのブルペンキャッチャーを経て大洋に返ってきた85年には、本塁上のブロックで真弓の肋骨を骨折せしめる。
90年代ウェスタンリーグの正ハンサム捕手吉田康夫
在籍選手のほぼ全員が贔屓客に愛されるタイガースにあって、耳、松永とともにその例外にあるグリーンウェルの呪いを久慈・関川とのトレードで大豊とともに中日から来た矢野輝弘が払拭。中日を追い出した星野が監督で来た2002年のみ怪我で休むが、前後10年以上正捕手を務め2度優勝。年老いて怪我や城島入団で出場機会なくなり引退。引退試合は九回表藤川が打たれて出場せぬままセレモニー。引退後はコーチ、二軍監督、監督を歴任し乱闘でも活躍。
矢野引退で小宮山慎二が60番から変更。城島故障時の一時期ベテラン藤井の準正捕手。日高、清水、鶴岡、岡崎、ルーキー梅野、原口らキャッチャーだけで1チーム作れそうな並居るライバルにおされ39番を長坂に譲って二軍定着。
矢野と同じ東北福祉大からドラフト7位入団の長坂拳弥。その年唯一の打席でホームランを打った翌年9月の初打席でホームランを打つ2打席連続本塁打を記録する長打力を秘めるが39番を榮枝に譲り、岡崎の57番に変えて梅野、坂本の第三捕手。
立命館で東、坂本(ともに横浜DeNA)の球を受けてた榮枝裕貴。ベンチ入り最後の野手となって出番が回ってきた代打の初打席で同点タイムリー。

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ゆがめられた地球文明の歴史

ゆがめられた地球文明の歴史

イマケイ/文化研究/
ゆがめられた地球文明の歴史

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スペイン社会労働党政権へ
うそ、つかない日本軍撤退のチャンス到来(04/03/16)
シンガポール軍、予定通り完全撤兵(04/04/06)
韓日合わせて10名虜囚(04/04/08)
カナダ人なども。韓国人宣教師は解放(04/04/08)
拉致外国人続々解放(04/04/13)
と思いきや今度はイタリア人(04/04/14)
イタリア人は殺害で日本人は解放(04/04/16)
拘束と解放が続々(04/04/18)
ホンジュラス軍、ドミニカ軍撤退決定。
ニカラグア軍も「予算不足」で
(04/04/21)
開戦以来月間米兵死者数最高値。
イラク人民死者数の統計報告なし
(04/05)
イングランド上等兵による捕虜のチンコ指差し爆笑写真流出(04/05/06)
サマーワでオランダ兵死傷
日本軍は仮設要塞引きこもりか?

(04/05/11)

サマーワ市街戦
オランダ軍VSサドル派民兵マフディ軍
日本軍は仮設要塞でもっぱら浄水?

(04/05/15)

浅田彰が全然似合わんWarIsOver!Tシャツ着用 画像は続憂国放談で(04/05/28)
イラクの中心でバカと叫んで橋田小川師弟戦死。合掌(04/05/28)
陸軍約100名集団食中毒の疑い
(04/06/12)
浅田。ジャケットをはおっても下は依然WarIsOver!Tシャツ於続憂国放談
(04/06/24)

参院選。撤兵勢力が改選過半数。とはいえたったの1議席(04/07/12)
運転手が拉致されたフィリピン軍、予定を繰り上げ撤兵の構え(04/07/13)
サマーワ市街戦。RPGで警官2人負傷
(04/08/08)
日本軍宿営地付近(宿営地内説もあり)に迫撃砲弾着弾(04/08/10)
サマーワに夜間外出禁止令
(04/08/14)
サマーワ近郊ルメイサ銃撃戦。オランダ軍1人マフディ軍団2人戦死(04/08/14)
パウエル国務長官、大量破壊兵器の発見を断念(04/09/14)
サマーワ日本軍宿営地内にロケット砲弾着弾(04/10/23)
身元不明の日本人拘束(04/10/27)
星条旗の上に死体遺棄という結末
(04/10/31)
またまた日本軍宿営地内に着弾(04/11/01)
イラク暫定政府、全土に非常事態宣言(04/11/08)
オランダ軍、ハンガリー軍、予定通り来年早々に撤兵の構え(04/11/22)
暫定政府、選挙を半年延期(04/11/27)
昨年末、米政府の大量破壊兵器調査団任務終了!とワシントンポスト紙報道(05/01/13)
ポルトガル総選挙。撤兵決定も野党社会党が単独過半数(05/02/21)
解放のイタリア人虜囚を米軍強襲(05/03/04)
英国総選挙。与党労働党勝利も大幅議席減(05/05/07)
日本軍の車列付近で爆弾爆発(05/06/23)
日本軍宿営地内にロケット砲着弾(05/07/04)
同時多発都市爆撃。ロンドン炎上(05/07/07)
サマーワ暴動。住民VS警官隊で住民1人死亡(05/08/06)
橋田VSAIU裁判。東京地裁は「武装反乱」と認定してAIU勝訴(05/08/23)
英軍豪軍、サマーワ撤退検討中。日本政府は投票締切まで情報隠蔽(05/09/13)
やれやれ。3月以降5月までの撤兵作戦立案中の模様(06/02/01)
政府成立もイタリア軍以外に撤兵作戦の進展なき模様(06/05/20)
日本陸軍に撤退命令。空軍は増強の模様(06/06/20)
陸軍撤退完了(06/07)
イラク特措法改正案可決成立。空軍派遣2年延長(07/06/21)
空軍派遣にイラク特措法違反&違憲判決by名古屋高裁(08/04/17)
空軍年内目処に撤退の方針発表(08/09/11)
空軍撤退へ(08/12/17)
さざなみ、さみだれ ソマリア沖に出撃(09/03/14)
横須賀市長選。小泉も応援入りした現職敗退(09/06/28)
横須賀からはるさめ、舞鶴からあさぎり、ソマリア沖に出撃
(09/07/06)
衆院選
派兵勢力140議席(194議席減)の
大惨敗で民主党政権へ
(09/08/30)
胸像

インド洋給油隊撤退(10/01/15)
外務省、いわゆる「密約」問
題に関する調査結果公表(10/03/09)
リビア出兵国連決議(11/03/18)
米軍、ラディン襲撃即水葬(11/05/03)
ビンラディン襲撃部隊SEALS搭乗ヘリ撃墜という口封じ(11/08/05)
シリア内戦で日本人ジャーナリスト死亡(12/08/21)
米国防総省、弾道ミサイル迎撃装備を4億2100万ドル(約350億円)で日本政府に売却の旨、米議会に通告(12/12/13)
内閣法制局長官に外務官僚就任の超異例人事(13/08/02)
国家安全保障会議(日本版NSC)創設関連法案可決成立(13/11/27)
特定秘密保護法可決成立(13/12/06)
第1回NSC開催。いきなり南スーダンPKO韓国軍に弾丸1万発無償譲渡決定(13/12/23)
防衛装備移転三原則で武器輸出容認の閣議決定(14/04/01)
安保法制懇解釈改憲による集団的自衛権報告(14/05/15)
閣議決定で解釈改憲(14/07/01)
特定秘密保護法12月10日施行が閣議決定(14/10/14)
特定秘密保護法施行(14/12/10)
実質軍事転用可能にODA(政府開発援助)大綱改定(15/02/10)
前代未聞!反知性首相、国会答弁で「わが軍」発言(15/03/24)
実質空母!日本海軍護衛艦いずも就役(15/03/25)
日米安保条約逸脱!地域制限撤廃の日米防衛協力指針、法的根拠なく政府間合意(15/04/28)
日本陸軍、30億ドルでオスプレイたったの17機購入予約と米政府より議会通知(15/05/07)
衆院憲法審査会「戦争法案」に与党推薦含む3学者全員違憲意見(15/06/04)
南スーダンPKO活動拡大などの戦争法案成立前提の統合幕僚監部内部資料を何者かが日本共産党にリーク(15/08/11)
国会前戦争法案反対集会12万人大盛況も記者クラブメディア報道僅少とくにNHK(15/08/30)
国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律ならびに我が国及び国際社会の平和及び安全に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律、通称「戦争法案」可決、成立(15/09/19)
防衛施設庁発足(15/10/01)
通称戦争法、3月29日施行の閣議決定(16/03/22)
福知山駐屯地展示の南スーダンPKO宿営地着弾弾丸、「なかった」ことにする政府答弁(16/04/08)
南スーダンPKO派遣部隊に通称戦争法に基づく駆けつけ警護任務付実施計画12月12日実施の閣議決定(16/11/15)
新任務付先発部隊、青森空港から日航機で出陣(16/11/20)
名護沿岸で米軍オスプレイ墜落を不時着と大本営発表(16/12/14)
陸軍南スーダンPKO部隊の日報、保存期限前に廃棄済と判明(16/12/24)
日報見つかって「戦闘」明記ただし「法的戦闘でない」と防衛相答弁
(17/02/07)
アベ友森友籠池会見中に南スーダン派遣部隊撤収方針発表(17/03/10)
陸軍PKO隊員5名、南スーダン政府軍に拘束後解放の報(17/03/18)
それに先立つ14日、飢饉対策人道支援で600万ドル異例の無償供与(17/03/14)
↑身代金だった?2月28日までに政府軍に武器強奪被害国会予算委質問(17/02/28)
洗脳解けた籠池理事長「愛国教育と決別」宣言の一方、教育勅語の教材使用容認の閣議決定(17/03/31)
米軍「朝鮮半島近海に向かう」発表後インド洋をさまよってた空母カールビンソンに海軍護衛艦さみだれ&あしがらが合流して北朝鮮挑発の不可解報道(17/04/23)
参院「中間報告」で共謀罪採決、可決成立
(17/06/15)
共謀罪法施行(17/07/11)
日報隠ぺい共謀に関する防衛省リーククーデターで統一日本会議系防衛相辞任
(17/07/27)
前代未聞。補助金不正受給の籠池のおっさんを大阪地検特捜部が「詐欺」容疑で逮捕(17/08/01)
アベ公邸泊の日に限って北朝鮮ミサイル発射実験(17/08/26,29)
日本海軍、米軍指揮下で12月より日本海および黄海の公海上で北朝鮮船舶の警戒監視行動を政府関係者がリーク(18/01/12)

イージスアショア実験2連続失敗(18/01/31)
なかったことにしていたイラク派遣「日報」を陸軍幕僚監部研究本部が「発見」(18/04/02)
横田にオスプレイ配備(18/04/05)
現職統幕監部(佐官級)が野党国会議員に「国民の敵」暴言で警察を呼ぶほどからむ(18/04/16)
日米首脳電話会談の時間まで捏造、トランプツイートで発覚(18/04/28)
南スーダン陸軍PKO宿営地2016年7月9か所被弾今頃発覚(18/09/02)
沖縄県知事選、翁長後継玉城デニー過去最多得票で当選(18/09/30)
横田にオスプレイ5機正式配備(18/10/01)
防衛省沖縄防衛局長の行政不服審査請求で国交大臣(公明)が沖縄県による辺野古新基地沿岸埋め立ての承認撤回を執行停止の行政不服審査法趣旨逸脱決定という脱法治国家事案(18/10/30)
対米武器ローンこの5年で倍増の5.3兆円に達し、防衛省から国内62社に支払い延期要請(18/11/29)
防衛大綱に海軍ヘリ搭載型護衛艦「いずも」の航空母艦化明記(18/12/11)
日ロ交渉不調を隣国ヘイトで誤魔化すかのようなタイミングで空軍威嚇飛行からの韓国軍レーダー照射問題勃発。韓国サイドの正論声明に池乃めだか師匠「今日はこれぐらいにしといたるわっ」定番ギャグで防衛省そそくさと撤収(19/1/24)
シナイ半島多国籍軍・監視団(MFO=非国連)に自衛官派遣を閣議決定。国会審議抜きの初前例(19/4/2)
5月9日に日本軍機墜落したばかりのステルス戦闘機F35を105機ゴルフと相撲と高級炉端焼きのついでに追加発注(19/5/27)
イージスアショア立地調査に現地検分なしの杜撰しかも誤謬発覚&住民説明会で防衛省職員居眠り(19/6/8)
護衛艦いずも空母化最初の着艦は米軍機と日本軍から米軍に3月通達済発覚(19/8/21)
「表現の不自由・その後」中止のあいちトリエンナーレ2019への補助金約78百万円を文化庁不交付(19/9/26)
注文したのに不発? 北朝鮮ミサイルでNHK誤報(19/12/26)
「調査研究」名目で海軍中東派遣の閣議決定(19/12/27)
中東派兵の護衛艦たかなみ横須賀港から出撃(20/2/2)
法的根拠なく東京高検検事長の黒川定年延長(20/2/3)
辺野古軟弱地盤護岸・岸壁工事6件打ち切りで303億パー(20/4/6)
イージスアショア、杜撰調査発覚と職員居眠りから1年を経て秋田市設置断念(20/5/6)
黒川合法化法案強行採決回避(20/5/19)
誰リーク?黒川賭け麻雀発覚(20/5/20)
黒川違法在任のまま辞表提出で処罰は超甘々の訓告(20/5/21)
イージスアショア秋田(ハワイ防衛)山口(グアム防衛)配備総額6千億円超計画撤回(20/6/15)
日本学術会議新会員候補105名中6名を首相任命せず(20/10/02)
護衛艦さざなみ、豪州海軍フリゲート艦ニューキャッスルと合同訓練(20/10/18)
核兵器禁止条約発効(21/1/22)
重要土地等調査法案可決成立(21/6/16)
山添拓参議院議(共産)昨年11月に「勝手踏切」を渡ったかどで埼玉県警書類送検の空前にしょぼい弾圧(21/9/16)
宮古島にミサイル弾薬搬入(21/11/14)
国交省、アベ治世下8年間のデータ改ざん公表(21/12/14)
財務省、赤木さん裁判認諾。1億超払って主犯隠蔽(21/12/15)
公安調査庁、国際テロリズム要覧からアゾフ大隊を削除(22/4/8)
国難を国葬(22/9/28)
ロシア製ウクライナミサイルがポーランドに着弾、2人死亡(22/11/15)
歳幣(軍事費)倍増計画発表(22/12/13)
2023年度軍事費は対前年126%(22/12/23)
広島市教委「平和教育プログラム」から『はだしのゲン』、第五福竜丸削除の方針(23/3/1)
ウクライナに必勝しゃもじ持参で470百万$(620億円)無償供与(23/3/21)
NATO日本事務所開設協議中と事務総長談(23/5/11)
発注金額と発注先だけ決まってて中身はこれから考える軍事費増額を担保する防衛財源法可決成立(23/6/16)
戦闘機輸出解禁(24/3/26)
経済秘密保護法案可決成立(24/5/10)
陸海空軍を一元的に米軍指揮下に統合司令部新設法可決成立(24/5/10)
海軍護衛艦さざなみが台湾海峡初通過(24/9/25)
陸海空軍を一元的に指揮する統合作戦司令部発足。初代司令官は南雲司令官(25/3/24)
東京地裁、旧統一協会[教会]に解散命令(25/3/25)
裏金で13億円以上を海軍軍人に金品提供の川崎重工に大阪国税局が追徴課税約10億円(25/4/8)
日本学術会議法案可決(25/6/11)
スペイン社会労働党下野
(11/11/20)

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競輪歳時記
9/4-7 岐阜記念 43#
7 白露
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12-15 第41回共同通信社杯
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20-23 青森記念 12#
23 秋分
25-28 向日町記念in奈良 53#
10/2-5 京王閣記念 27#
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10-13 松阪記念 47#
16-19 協賛競輪/豊橋 45#
16-19 夜間GIII/別府 86#
23 霜降
23-26 第34回寛仁親王牌
/前橋 22#
31-11/3 四日市記念 48#

  

幸運



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