いまわし部族の競輪人類学 Fire and Skill for the New Order of the World  
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いまわし部族の競輪人類学
since 2002/02 last updated 2023/09/29
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赤線

黒線 1白 2黒 3赤 4青 5黄 6緑 7橙   9紫 余白 スペース
日報

海鮮天丼うな丼  2023 9. 29 (Fri.)

魚を買う用事がなくてもたまに角上魚類まで行って650円ほどの海鮮天丼を買って食べることがあります。
先日また海鮮天丼を買いに行ってみたところ100円ほど高いだけでうなぎが乗ってるものがありました。
天丼のたれもうな丼並みに濃厚でもいいと思っていることもあり、100円ほど奮発して鰻付きのにしてみました。
結果、海鮮だけの方がよかったです。残念

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豊橋競輪開設74周年記念
[ちぎり賞争奪戦]初日特選  
2023 9. 28 (Thu.)

12R 古性欠場で新山追加
選手 登録 脚質
1 1 深谷 知広 静岡 96 33 S1 逃捲 11
2 2 桑原 大志 山口 80 47 S1 追込 0
3 3 新山 響平 青森 107 29 SS 逃捲 21
4 4 荒井 崇博 長崎 82 45 S1 自在 2
5 松本 貴治 愛媛 111 29 S1 捲逃 5
5 6 香川 雄介 香川 76 49 S1 追込 0
7 稲川 翔 大阪 90 38 S1 追捲 2
6 8 伊藤 旭 熊本 117 23 S1 捲逃 3
9 佐藤慎太郎 福島 78 46 SS 追込 0
並び


174 その他
562 中四国
39 北日本
8 伊藤単騎

おだてるのうまそうな自在ケメン(7)稲川とうるさそうなビッグボス(4)荒井がつけてスリム(1)深谷が早めに仕掛けるとも思えるが。

 
2車単
 
1=7,7=3,7−9

結果
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(5)松本の上昇を前受けからりゅうちぇる(3)新山が突っ張って主導権。3番手は(8)伊藤で、4番手でスリム(1)深谷と(5)松本がもつれるのをしり目に最終ホームまで流して(3)新山ペース駆け。
そのまんま直線限界?気のせい佐藤(9)慎太郎が粘る(3)新山を追込むが、4番手守った(1)深谷が2センターから踏んで直線一気。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 1−9 1,250円 (5)
3連単 1−9−3 3,150円 (4)

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熱海富士  2023 9. 27 (Wed.)

大関貴景勝が見事はたきこみで優勝を決定した大相撲秋場所でしたが、準優勝が熱海富士ということでまた新しいやつが活躍しました。
毎場所違う力士が活躍するんで大相撲ダイジェストのない今となってはうろ覚え力士の増加傾向が止まりません。
これは八百長廃止である程度予想されてた事態ではないでしょうか。
廃止直後は強烈エルボーを駆使したり善戦する相手をぼこぼこにしたりして白鵬が長く横綱の地位を守ってましたが、何か八百長に代わる忖度相撲的なものでも始まるからない限り、今後しばらくは新横綱は現れないだろうと予測します。

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松阪記念[蒲生氏郷杯王座競輪]決勝
  
2023 9. 26 (Tue.)

12R 菅田と浅井が前で新田と皿屋が後ろ
選手 登録 脚質
1 1 浅井 康太 三重 90 39 S1 追捲 0
2 2 郡司 浩平 神奈川 99 33 SS 捲逃 6
3 3 新田 祐大 福島 90 37 SS 捲逃 6
4 4 中村 圭志 熊本 86 42 S1 追込 0
5 岩津 裕介 岡山 87 41 S1 追込 0
5 6 坂本 修一 岡山 99 35 S2 追込 0
7 菅田 壱道 宮城 91 37 S1 自在 2
6 8 皿屋 豊 三重 111 40 S1 捲逃 7
9 山田 庸平 佐賀 94 35 S1 自在 1
並び


73 北日本
18 三重
256 郡司岡山
94 九州

コンコルド(7)菅田の積極策にジグザグ(1)浅井が続こうが、機を見て盛夫の子(2)郡司が捲ってしまおう。仕掛け早ければ四角い(5)岩津の差し切りも。もっと早いとトリック弟(9)山田要注意。

 
2車単
 
2=5,2−3
2−1,2=9

結果
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後ろ攻めの盛夫の子(2)郡司が赤板ホームで前受けのジグザグ(1)浅井を抑え、続いたトリック弟(9)山田がイン切ったところでコンコルド(7)姿が打鐘カマシ。
5番手になった(2)郡司が最終2コーナーから捲るや、グラスラ(3)新田の番手捲りを悠々乗り越えそのまんまラインで上位独占。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 2−5 930円 (1)
3連単 2−5−6 7,520円 (20)
的中

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入場 1,428人 総入場 6,184人
(対前年92%)
売上 1,357,439,400円 総売上 4,891,027,800円(対前年94%)

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海老オムそば  2023 9. 25 (Mon.)

去年三冠王のピザで痛い目に遭った神宮球場の食い物ですが、今回はオムそばにしました。
田口のオムそばということでフツーに考えたら豚肉増量と思うのですが、意表をついて海老入り。
実物は写真の見本と大違いでしたが、味はまあまあでした。ただ、安物の海老入りにするよりかは、安物でも豚肉増量の方がよかったと感じました。


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●ヤ 3 - 9 神 ○  2023 9. 24 (Sun.)

T 403 100 010 | 9
S 000 200 010 | 3

勝 大竹(12勝2敗)
敗 ロドリゲス(1勝5敗)

神 大竹−ブルワー
ヤ ロドリゲス−高梨−坂口−木澤

8月初めのスワチケ会員販売初日の夜で三塁側レフト側はほぼ満席でしたが、1985年以来優勝決定試合生観戦をもくろんで空いてるところを取りました。8月17日に29でマジックナンバーが点灯した日には、当たりを引いたかな?と思ったのでしたが。
その後はご存じのようにここ50年の内40年ぐらいは失速(90年代暗黒時代はつねに失速)していた遠征明けの8月末〜9月初めも連戦連勝。あっという間にアレが決まっての消化試合となってしまいました。
それでもせっかく前売券買った客で満席。試合は近本四球盗塁から中野二塁打であっさり先制。ワイルドピッチで2点目入って二死無走者から佐藤輝目の覚めるヒットからシェルドンノイジーびっくりのホームランで2点追加。
3回も大山2点適時打も二塁アウトの走塁死などで二死無走者になってから村上エラーを皮切りに二死満塁として大竹。ここは「全球見送り」のサインかと思われましたが、さにあらず。びっくりのセンター前タイムリーヒットで7対0。あとは悠々と野球観戦を楽しむことができました。

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松阪競輪開設73周年記念
[蒲生氏郷杯王座競輪]初日特選  
2023 9. 23 (Sat.)

12R 北日本分かれてニコニコ五分戦
選手 登録 脚質
1 1 山田 庸平 佐賀 94 35 S1 自在 1
2 2 山口 拳矢 岐阜 117 27 S1 自在 3
3 3 成田 和也 福島 88 44 S1 追込 0
4 4 岩津 裕介 岡山 87 41 S1 追込 0
5 新田 祐大 福島 90 37 SS 捲逃 6
5 6 竹内 智彦 宮城 84 46 S1 追込 0
7 浅井 康太 三重 90 39 S1 追捲 0
6 8 菅田 壱道 宮城 91 37 S1 自在 2
9 郡司 浩平 神奈川 99 33 SS 捲逃 6
並び


53 福島
14 山田岩津
27 中部
86 宮城
9 郡司単騎

積極型見当たらないなか特選なんでヘタレダービー王(2)山口がヘタレヘタレと うるさいオールドファンを黙らす積極策。前々攻めるグラスラ(5)新田と追い上げる盛夫の子(9)郡司の中団争い。

 
2車単
 
9−7,9=5,5−7

結果
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赤板ホームでコンコルド(8)菅田に抑えられたヘタレダービー王(2)山口が3番手で粘り、外並走のトリック弟(1)山田が打鐘で前に出て成り行き先行。
3コーナーから(2)山口がカマシて最終ホームで出切り、これに盛夫の子(9)郡司が切替える。
最終ホーム8番手からグラスラ(5)新田が後続ちぎってロング捲り。2コーナーから(9)郡司も出ての捲り合戦を制して(9)郡司1着。番手から抜け出しジグザグ(7)浅井が3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 9−5 2,720円 (10)
3連単 9−5−7 12,540円 (33)
的中

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あまちゃん(再)  2023. 9. 22 (Fri.)

あまちゃん再放送が最終回に近づいていて、このまま終わらないでほしく感じています。本放送のときは7時過ぎからのと8時からのと23時台のの3回、土曜祝日は13時前のとあわせて1日4回見ることもあったんで全部覚えてるみたいな気になってましたが、再放送ではいっぱい忘れてたギャグも飛び出してまして、また1回目同様に笑わせてもらったりしました。1年おきぐらいに再放送してくれてもいいと思うのですが、いかがでしょう。
前髪クネ男が1日だけの出演だったり、雑誌記者で滝藤賢一が、テレビ局関係者で古館寛治が台詞2個ほどのちょい役で出てたりなどの新発見もありました。
ところで今やってるやつですが、可もなく不可もなく。5年連続駄作を世に送り出した東京制作再生の一歩となれば幸いです。

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タイトル
(ヒロイン)
pix
脚本
(原作原案)
概要 俺視聴率 心のランク
82 2010 AK ゲゲゲの女房
(松下奈緒)
山本むつみ
(武良布枝)
安来の酒屋の行き遅れ気味長身娘が売れない漫画家に嫁いでの苦労話と漫画売れ出すサクセスストーリーを陰で支える苦労話 99 99 A
83 BK てっぱん
(瀧本美織)
寺田敏雄他 尾道の産後すぐからの養子が大阪の実祖母のお好み焼き屋再建 75 80 B
84 2011 AK おひさま
(井上真央)
岡田恵和 長野の蕎麦屋の女房一代記。満島ひかる演じる親友の老後は黒柳徹子 45 30 D
85 BK カーネーション
(尾野真千子
/夏木マリ)
渡辺あや 岸和田の呉服屋の娘が洋裁屋を開いてから娘三人が全員名だたるファッションデザイナーになり、最終的には死んでから朝ドラヒロインになるまで 99 99 S
86 2012 AK 梅ちゃん先生
(堀北真希)
尾崎将也 医者の頑固親父の娘が女医になる 45 35 C
87 BK 純と愛
(夏菜)
遊川和彦 沖縄の安ホテルの娘が周囲の人々とともに全員不幸のどん底に叩き落とされるも最終的にはつぶれた沖縄のホテルを再建してポエム朗読 35 10 D
88 2013 AK あまちゃん
(能年玲奈)
宮藤官九郎 岩手のアイドル三代記 99 99 S
89 BK ごちそうさん
(杏)
森下桂子 食いしん坊故背が伸びすぎた東京の洋食屋の娘が大阪に嫁いで小姑にいびられながら美味いもんを開発 70 70 C
90 2014 AK 花子とアン
(吉高由里子)
中園ミホ
(村岡恵理)
山梨出身翻訳家の学友が炭鉱王のもとに嫁いだり逃げたりでひと悶着ふた悶着 70 50 D
91 BK マッサン
(フォックス)
羽原大介 ニッカ創業者マッサンの嫁はんはスコットランド人 45 30 C
92 2015 AK まれ
(土屋太鳳)
篠崎絵里子 石川県で塩田やってる爺さんの孫が洋菓子職人になったらしいが肝心なところは描写されずよくわからずじまい 40 10 E
93 BK あさが来た
(波瑠)
大森美香
(古川智映子)
京都の両替屋の娘(相撲好き)が大阪の両替屋に嫁いでから、頼りない旦那を差し置き銀行化に続き炭鉱・保険・女学校他多角経営に成功 90 95 A
94 2016 AK とと姉ちゃん
(高畑充希)
西田征史 父親を亡くした静岡の娘が色っぽいだけで頭の弱い母親と食い意地張り過ぎる妹たちを支えるために家族で東京の親戚筋に寄生した後、自分は働かずに大金持ちになることを企図して実績あるクリエイターを説得力皆無の説得でたらしこんで雑誌編集長に仕立ててヒット企画を連発させ、自分はたいして何もせぬまま雑誌社社長におさまる 35 70 F
95 BK べっぴんさん
(芳根京子)
渡辺千穂 神戸ののんびりしたお嬢さんが3人ののんびりした友だちと子供服屋をのんびり開く 30 70 E
96 2017 AK ひよっこ
(有村架純)
岡田恵和 茨城の農家の娘が出稼ぎから帰ってこない父親を追って集団就職でやって来た東京の工場はつぶれて、洋食屋のウェイトレスに 75 80 B
97 BK わろてんか
(葵わかな)
吉田智子 京都の商家の娘が大阪のヘボ芸人と駆け落ちしてヘボ芸人生家の米屋はつぶすが、寄席を開いてから給料制や作家を導入して一大興行主に。最終回は吉本新喜劇 45 30 D
98 2018 AK 半分、青い。
(永野芽郁)
北川悦吏子 岐阜出身ふた昔前のトレンディ脚本家の妄想劇が自己愛溢れ過ぎてサイコホラー化 80 95
99 BK まんぷく
(安藤サクラ)
福田靖 大阪の自称「武士の娘」の娘が武士の娘やら商工会会長やら世良商事やら塩軍団やらMPやらの難敵をことごとく懐柔して発明家の旦那を徹底支援、社長夫人へ 98 98 A
2019 AK なつぞら
(広瀬すず)
大森寿美男 東京の戦災孤児が十勝なのに徹底して扉を閉めないゆるふわ酪農家に引き取られ若干苦労したものの、制作サイドの大人の事情で厚かましく育ってほよ顔と座談会と薄っぺらい茶番劇を繰り返すうちに周囲が上京御膳立て 50 9
101 BK スカーレット
(戸田恵梨香)
水橋文美江
*三谷昌登[サニーデイ編]
大阪から信楽に逃げてきた濃い親爺の長女が草間流柔道やら荒木荘の大久保(当初陰では呼び捨て)さんやらちや子記者やらジョージ富士川やら深先生やら八さんやら小池ちゃんやらから汲み取った人生劇場でどんどん親爺化して孤高の炎を燃やす陶芸家に 99 99 S
102 2020 AK エール
(二階堂ふみ)
吉田照幸他
(林宏司降板)
音楽に関する興味関心程々でむしろ女の尻を追い回し気味の天才作曲家を、豊橋謎の名望家次女が支配 27 25 E
103 BK おちょやん
(杉咲花)
八津弘幸 大阪の貧農博打狂いの娘が度々居場所を失う逆境を乗り越え、人に尽くし尽くされときに啖呵を切って全国民に慕われるまでの大女優一代記 99 99 A
104 2021 AK おかえりモネ
(清原果耶)
安達奈緒子 学習障害なのか何なのか?キャラ設定不可解な宮城の島の娘が動機不明なまま縄跳びで気象予報士試験に合格するや昼も夜も朝日か夕日を浴びながらキムタクでもないのにボソボソしてるだけでろくに働きもせずコミュニティFM私物化 92 82 E
105 BK カムカムエヴリバディ
(上白石萌音/
深津絵里/
川栄李奈)
藤本有紀 岡山の和菓子屋の娘から始まり、ラジオ英会話や野球やジャズや時代劇や流行歌や足袋や朝ドラやあんこ製造法で紡ぐ三代記百年の物語 97 99 A
106 2022 AK ちむどんどん
(黒島結菜)
羽原大介 沖縄の借金踏み倒し責任転嫁一家が思いつきと思いこみで周囲に迷惑をかけまくりつつ努力や経験をすべて無駄にしてご都合で乗り切るツッコミ不足のシュールコント集、なれど石丸おじさんと養豚場娘元夫の消息はミステリー 85 83 E
107 BK 舞いあがれ!
(福原遥)
桑原亮子
嶋田うれ葉
佃良太
東大阪の町工場の病弱娘が五島離島の祖母に鍛えられて確変、柔和な物腰に似合わぬハイスペックぶりを発揮しまくり大小さまざまな偉業を成し遂げる 97 97 C
108 2023 AK らんまん
(神木隆之介)
長田育恵 高知の酒屋の道楽息子が人ったらしに成長、日本の植物学を大成して「雑草という草は無い」の名言を残す 92 84 C

「純と愛」の評価があまり悪くないのはあまり見なかったからなのですが、大阪制作と東京制作で比べるとどうか?
心のランク 大阪制作 東京制作
S カーネーション
スカーレット
あまちゃん
A あさが来た
まんぷく
おちょやん
カムカムエヴリバディ
ゲゲゲの女房
B てっぱん ひよっこ
C ごちそうさん
マッサン
舞いあがれ!
梅ちゃん先生
らんまん
D 純と愛
わろてんか
おひさま
花子とアン
E べっぴんさん まれ
エール
おかえりモネ
ちむどんどん
F   とと姉ちゃん

  半分、青い。
なつぞら

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馬骨号  2023 9. 21 (Thu.)

ラッピングカー。痛車とも言いますが、平沢師のそれがありました。ネットで調べてみたらすぐに見つかりまして、馬骨号と名付けてらっしゃるようです。仕事の納品などもこれで行ってらっしゃるようで、持ち主はたいへん骨のある馬骨の御仁とお見受けしました。
光栄なことに僭越ながら隣に停めさせてもらいました。



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HYBRID PHONON 2566/平沢進+会人
(東京国際フォーラム)  
2023 9. 20 (Wed.)

P-MODELと核P-MODELと平沢師ソロ作を織り交ぜて演奏なさるというHYBRID PHONON公演に参列してまいりました。全席指定7,480円。
長い出囃子のなかまず会人の2人が登場。スポットライトを回して会場を照らし出し最後にステージ奥の縦長スクリーンに光を当てると平沢師登場。オープニングは末期P-MODEL改訂期のちょっと面白い楽曲「DUSToidよ歩行は快適か?」。間奏のブレイクで平沢師が「はい」と言って早くも客席のヴォルテージは最高潮に。
凍結前のONE PATTERNから「おやすみDOG」、ファーストアルバムから「偉大なる頭脳」とP=MODELからの変化球を立て続けに連投されるオープニングで懐かしさに感涙するとともに笑いもこみあげてくる幸福感に包まれました。
3曲やってブリッジみたいな音楽に代わるとまた会人が照明操作。縦長スクリーンを赤く染めると最新曲「BEACON」。あらかじめP-MODELのピンク、核P-MODLの青、ソロの赤は公演前からアナウンスされてて限定グッズのデザインなどにも採り入れられてたのですが、会人の照明によってもこれからの楽曲群が予告される演出になっていることがわかりました。
「BEACON」に続いてはこれまた感涙を呼ぶ「ロケット」。平沢師とギター会人がアコギを奏でられましたが、間奏の難しいところは会人。戸川純どうしてるかなぁなどとその時は思わぬまま忘れかけてる歌詞を思い出しながら拝聴しました。
ファーストアルバムからの「偉大なる頭脳」にもおののかされましたが、4枚目Perspectiveからは「ゾンビ」。4枚目以前はほぼ完全に歌詞が頭に入ってますからサビのところの変なメロディーでは一緒に大いに謳わせていただきました。
苗場で急遽演奏回避された回=回の「HUMAN-LE」や、きわめてレアな「1778-1985」、「MONSTER A GO GO」なども聴かせていただき、最後はこれまた客席のヴォルテージが最高潮に達せずにはいられない「Another Day」で終演。
アンコールでのご挨拶、叱責やかましい!)等に続いて「パレード」で大団円とあいなりました。

HYBRID PHONON 2566 (9/17 TOKYO)
No. pix
song
LP pix
artist
1 DUSToidよ歩行は快適か? 12th「音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE」(1999) P-MODEL
2 おやすみDOG 7th「ONE PATTERN」(1986) P-MODEL
3 偉大なる頭脳 1st「IN A MODEL ROOM」(1979) P-MODEL
4 BEACON 14th「BEACON」(2021) 平沢進
5 ロケット 2nd「サイエンスの幽霊」(1990) 平沢進
6 TIMELINEの終わり 14th「BEACON」(2021) 平沢進
7 時間等曲率漏斗館へようこそ 9th「big body」(1993) P-MODEL
8 1778-1985 6th「KARKADOR」(1985) P-MODEL
9 ゾンビ 4th「Perspective」(1982) P-MODEL
10 LANDING 14th「BEACON」(2021) 平沢進
11 賢者のプロペラ-1 8th「賢者のプロペラ」(2000) 平沢進
12 HUMAN-LE 3rd「回=回」(2018) 核P-MODEL
13 暗黒πドゥアイ 1st「VISTORON」(2004) 核P-MODEL
14 白く巨大で 2nd「гипноза (Gipnoza)」(2013) 核P-MODEL
15 Monster A Go Go 未発表  
16 Lotus 5th「Sim City」(1995) 平沢進
17 Another Day
(還弦主義Ver.)
7th「ONE PATTERN」(1986)
「突弦変異」(2010)
P-MODEL
平沢進
en パレード 10th「白虎野」(2006) 平沢進



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第39回共同通信社杯[GII/青森]総括
  
2023. 9. 19 (Tue.)

めでたく深谷知広選手(静岡)の優勝で幕を閉じた第39回共同通信社杯競輪でしたが、準決勝はこれが全部荒れたらS級シリーズ(FI)並の決勝メンバーになってしまうな、とおそさせられました。
北井も犬伏も飛んで限界?気のせい佐藤慎太郎も共倒れで半ばそうなりかけましたが、新山響平が勝ち残ったりして準特別(GII)としてなんとかなったのではないでしょうか。
とは言え決勝も強い単騎がいて予想が難しいという、戦前に危惧した通りの傾向が現出した連日および決勝でした。

第39回共同通信社杯[GII/青森]決勝
  
2023 9. 18 (Mon.)

11R また渡邉が前で深谷が後ろ
選手 登録 脚質
1 1 新山 響平 青森 107 29 SS 逃捲 17
2 2 深谷 知広 静岡 96 33 S1 逃捲 11
3 3 清水 裕友 山口 105 28 S1 自在 2
4 4 三谷 竜生 奈良 101 36 S1 自在 3
5 嘉永 泰斗 熊本 113 25 S1 捲逃 6
5 6 隅田 洋介 岡山 107 36 S1 捲追 2
7 渡邉 雄太 静岡 105 28 S1 捲逃 5
6 8 佐々木 豪 愛媛 109 27 S1 捲逃 8
9  南 修二 大阪 88 42 S1 追込 0
推理


72 静岡
1 新山単騎
836 中四国
49 近畿
5 嘉永単騎

ライン3車でいかつい四国の中堅の一人(7)佐々木が先行勝負。が、切れ長(7)渡邉もここは積極策。前団争って捲り頃。

 
2車単
 
1=5,1−3,1−6
5=3,5−6

結果
line

中団フタをして切れ長(7)渡邉を下げさせたいかつい四国の(8)佐々木が前受けからピッチを上げるキュート(4)三谷を抑えて流す打鐘(7)渡邉が巻き返してカマシ先行。続いたりゅうちぇる(1)新山が休まず最終ホームから単騎でロング捲り。これをピアス(5)嘉永が追うが、スリム(2)深谷のブロックで2コーナー不発
バックストレッチで(7)渡邉離され(1)新山独走状態。が、3コーナーから捲り追込んだ(2)深谷が猛スピードでゴール前(1)新山をとらえて1着。
内から番手を上げた募集中(6)隅田が直線外伸びて3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 2−1 1,830円 (9)
3連単 2−1−6 36,750円 (125)

line

入場 3,639人 総入場 9,570人
(対前年[名古屋]80%)
売上 2,171,704,400円 総売上 6,941,438,300円(対前年93%)

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第39回共同通信社杯[GII/青森]準決勝
  
2023 9. 17 (Sun.)

10R 逃げ一
選手 登録 脚質
1 1  南 修二 大阪 88 42 S1 追込 0
2 2 佐藤慎太郎 福島 78 46 SS 追込 0
3 3 桑原 大志 山口 80 47 S1 追込 0
4 4 長島 大介 栃木 96 34 S1 自在 4
5 北井 佑季 神奈川 119 33 S1 逃捲 24
5 6 久米 良 徳島 96 35 S1 追込 0
7 窓場千加頼 京都 100 31 S1 捲逃 9
6 8 隅田 洋介 岡山 107 36 S1 捲追 2
9 嘉永 泰斗 熊本 113 25 S1 捲逃 6
推理


52 南北
71 近畿
836 中四国
4 長島単騎
9 嘉永単騎

Jリーグ(5)北井に限界?気のせい佐藤(2)慎太郎がマークして格上ライン形成。

 
2車単
 
2−5

結果
line

加乃敏の子(7)窓場が打鐘前に募集中(8)隅田を抑えたところを叩いてJリーグ(5)北井が打鐘カマシ。
開いた車間がなかなか縮まらず(7)窓場第二先行のまま最終3コーナー。最終ホーム最後尾から捲ったピアス(9)嘉永が4コーナーで(5)北井ラインに追いつき、直線一気。これに切替えたアテにならない(1)南−(8)隅田が2着3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 9−1 1,780円 (8)
3連単 9−1−8 46,910円 (119)

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11R そろそろ深谷が本気を出すか
選手 登録 脚質
1 1 清水 裕友 山口 105 28 S1 自在 2
2 2 松谷 秀幸 神奈川 96 40 S1 追込 0
3 3 浅井 康太 三重 90 39 S1 追捲 0
4 4 小原 太樹 神奈川 95 35 S1 追込 0
5 三谷 竜生 奈良 101 36 S1 自在 3
5 6 阿部 拓真 宮城 107 32 S2 追捲 2
7 深谷 知広 静岡 96 33 S1 逃捲 11
6 8 坂本 貴史 青森 94 34 S1 捲逃 3
9 犬伏 湧也 徳島 119 28 S1 逃捲 23
推理


53 近畿中部
91 中四国
86 北日本
724 南関東

俊足外野手(9)犬伏の先行勝負にスリム(7)深谷が挑む。ひょっとするとラインで出切るかも。

 
2車単
 
1−9,2−7

結果
line

ロスの子(8)坂本を前受けから突っ張った俊足外野手(9)犬伏が打鐘を聞きながらペース駆け。枠なりで3番手にスリム(7)深谷。
後方になったキュート(5)三谷が最終ホームからじりじり捲り上げると、これにあわせてバックから(7)深谷発進そのまま押し切り1着。
追走ヤクルト(2)松谷は(5)三谷に阻まれ、番手からふてぶてしい(1)清水が2着で、(5)三谷3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 7−1 2,890円 (6)
3連単 7−1−5 31,300円 (68)

line

12R 南関ライン3車
選手 登録 脚質
1 1 成田 和也 福島 88 44 S1 追込 0
2 2 岩本 俊介 千葉 94 39 S1 捲逃 9
3 3 柏野 智典 岡山 88 45 S1 追込 0
4 4 佐々木 豪 愛媛 109 27 S1 捲逃 8
5 稲川 翔 大阪 90 38 S1 追捲 2
5 6 佐藤 壮 千葉 100 31 S2 追込 0
7 新山 響平 青森 107 29 SS 逃捲 17
6 8 大川 龍二 広島 91 39 S1 追捲 2
9 渡辺 雄太 静岡 105 28 S1 捲逃 5
推理


71 北日本
926 南関東
83 中国
4 佐々木単騎
5 稲川好位狙い

ライン3車で切れ長(9)渡邉が早駆け。しかし自在ケメン(5)稲川がからんだりしてりゅうちぇる(7)新山が捲れる展開。

 
2車単
 
7−1,7−4,7−5

結果
line

前受けのりゅうちぇる(7)新山が赤板ホームを前にスローダウンすると、(8)大川が抑えに上がるがやっぱりやめて一列棒状のまま流しに流して最終1コーナーから(7)新山ペース駆け
4番手切れ長(9)渡邉が2コーナーから捲るが2番手までで3コーナーから4コーナー。
直線、2コーナー7番手から捲ったいかつい四国の中堅の一人(4)佐々木が大外伸びて1着。(7)新山が2着に粘り、(9)渡邉3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 4−7 3,710円 (12)
3連単 4−7−9 35,940円 (104)
裏

line
第39回共同通信社杯[GII/青森]二次予選A
  
2023 9. 16 (Sat.)

自動番組。5着権利

10R 四国3車
選手 登録 脚質
1 1 犬伏 湧也 徳島 119 28 S1 逃捲 23
2 2 嘉永 泰斗 熊本 113 25 S1 捲逃 6
3 3 松谷 秀幸 神奈川 96 40 S1 追込 0
4 4 坂井 洋 栃木 115 28 S1 捲逃 7
5  南 修二 大阪 88 42 S1 追込 0
5 6 櫻井 正孝 宮城 100 36 S1 追込 0
7 小倉 竜二 徳島 77 47 S1 追込 0
6 8 佐々木 豪 愛媛 109 27 S1 捲逃 8
9 浅井 康太 三重 90 39 S1 追捲 0
推理


178 四国
2 嘉永単騎
436 東
95 中部近畿

俊足外野手(1)犬伏がペースで駆けられそうで、逃げきろう。

 
2車単
 
1−7,1−8,1−2

結果
line

バンジー(4)坂井が中団の俊足外野手(1)犬伏にフタをしたまま赤板ホームから打鐘。さらに誘導のペースが上がって最終ホーム。このままジグザグ(9)浅井が成り行き先行かという1コーナーから3番手にいたピアス(2)嘉永がカマシて逃げる
内を突いて(9)浅井ラインを抜いた(1)犬伏がゴール前(2)嘉永をとらえて1着

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 1−2 570円 (1)
3連単 1−2−9 2,540円 (80)
的中

line

11R 深谷が前で野口が後ろ
選手 登録 脚質
1 1 新山 響平 青森 107 29 SS 逃捲 17
2 2 深谷 知広 静岡 96 33 S1 逃捲 11
3 3 稲川 翔 大阪 90 38 S1 追捲 2
4 4 松岡 辰泰 熊本 117 27 S1 捲逃 4
5 柏野 智典 岡山 88 45 S1 追込 0
5 6 野口 裕史 千葉 111 40 S1 先行 21
7 山口 拳矢 岐阜 117 27 S1 捲逃 2
6 8 大川 龍二 広島 91 39 S1 追捲 2
9 山田 庸平 佐賀 94 35 S1 自在 1
推理


26 南関東
13 新山稲川
7 山口単騎
49 九州
85 中国

スリム(2)深谷のカマシにりゅうちぇる(1)新山があわせる。

 
2車単
 
3−1,3=7

結果
line

(8)大川を突っ張ったりゅうちぇる(1)新山を叩いて(4)松岡が打鐘カマシ。最終2コーナーか捲った(1)新山を直線自在ケメン(3)稲川が追込む。最後方から捲り追込んでスリム(2)深谷3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 3−1 1,120円 (4)
3連単 3−1−2 6,190円 (18)
的中

line

12R 北日本分かれて三分戦
選手 登録 脚質
1 1 三谷 竜生 奈良 101 36 S1 自在 3
2 2 守澤 太志 秋田 96 38 SS 追込 0
3 3 眞杉 匠 栃木 113 24 S1 逃捲 22
4 4 雨谷 一樹 栃木 96 33 S1 自在 3
5 佐藤慎太郎 福島 78 46 S1 追込 0
5 6 佐藤 壮 千葉 100 31 S2 追込 0
7 清水 裕友 山口 105 28 S1 自在 2
6 8 島川 将貴 徳島 109 28 S1 逃捲 11
9 古性 優作 大阪 100 32 SS 自在 1
推理


916 近畿佐藤
342 栃木守澤
875 中四国慎太郎

案外マウンテン(9)古性が早駆けで別線あわてさせるかも。

 
2車単
 
1−9,1=3
1=7,7−5

結果
line

朴訥先行(8)島川が最新タイトルホルダー(3)眞杉を抑えた打鐘、後方からマウンテン(9)古性が巻き返すが中団まで。
最終ホーム手前から(8)島川が踏み上げると、(9)古性も発進。これをふてぶてしい(7)清水が捌くと、(9)古性が3番手限界?気のせい佐藤(5)慎太郎のところに降りてきてから、(7)清水に内から一発。
これでスイッチが入ったかのように(7)清水が自力で捲るが、後位に(9)古性がハマる
混戦でキュート(1)三谷が飛ばされるが、(6)佐藤が1車上げて3番手。そのまんま(7)清水が押し切る。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 7−9 2,330円 (7)
3連単 7−9−6 141,890円 (245)

line
第39回共同通信社杯[GII/青森]展望
  
2023. 9. 15 (Fri.)

今年も特選なしの自動番組見たいですね。初日から単騎が多いです。弱い単騎は無視していいので予想が楽ですが、強い単騎はどうでしょう。たまに当たるときもありますが、買って外すことの方が多い気がします。

アレ  2023. 9. 14 (Thu)

2リーグ分裂後のマジック消滅

1962 
まだ生まれてない
1964  バッキーとソロムコどころか右も左もわからない
1985  下級生に徹夜で並ばせて朝から労をねぎらいつつ先輩風を吹かせながら神宮参列。朝まで渋谷
2003 祝日で朝からテレビ観戦。終電まで府中
2005  仕事場から無事帰宅
2023 夕刻から在宅勤務

0背番号[0]の名選手列伝
少年隊の一角中野佐資。ウェスタンリーグの主軸だったが、村山によって13番から球団初の0番に変えられ、さらに赤い手袋の使用を義務付けられ外野の定位置獲得。オープンスタンスから踏み込む打法で死球多数。神宮でプロ初ホームランを打った翌日に第2号。が、プロ通算は30本弱。亀新の台頭で出番減り引退。
日本球界初の0番
長嶋清幸。広島で大活躍の後、中日、ロッテでくすぶってたところを金銭トレードで獲得。代打などで蝋燭の火の消える前の最後のきらめきを放つ。引退後、ずっとコーチで在籍。03年は一塁コーチなのでテレビでしばしば拝見したものの星野辞任とともに退団。
あご吉
吉田浩。長くウェスタンの主軸打者を務めるも一軍半から脱せず。第3次吉田義男監督のときに一時左の代打の切り札あるいはスタメン出場でそこそこ活躍したが、F1セブンに押されいつの間にやらそのポジションは平下に取って代わられ02年星野大量リストラで退団。
野口とともに坪井らと交換で日ハムからやって来た明大出のガッツマン
中村豊。04年以降は鳥谷起用のあおりで出場機会減るが、05年たまの出場で4割台キープ。誤審だらけの9月7日ナゴヤドームの試合を決めて優勝を確信させた決勝ホームランで永遠に球史に名を残す。
64番から変更の
庄田隆弘。もっぱらウェスタンリーグで活躍。
いかり肩の名手前田
大和が高卒4年目ぐらいから守備固めとかで一軍に定着し66番から変更。鳥谷や上本、西岡らのいる二遊間から離れセンターで多くスタメン出場。日本シリーズでもファインプレー連発。インハイをぽーんと一塁後方に打ち上げる悪癖で打力上がらず左打ちにも挑戦するも徐々に出場機会減って横浜にFA移籍。
走攻守すべてちょっと惜しかった
木浪聖也。大学・社会人出の即戦力でオープン戦から打ちまくって新人最多安打記録を更新して開幕スタメン。が、開幕直後のヒット性の内野安打がエラー判定で一転打撃不振。菅野からはよく打つ。たまに落ちる二軍では打ちまくるものの一軍では準レギュラーだったが守備重視の岡田監督復帰で一転、中野をセカンドに追いやり小幡を抑えてショートのレギュラー獲得。恐怖の8番打者で23年優勝。

00背番号[00]の名選手列伝

ゼロゼロ怪人ルパート・ジョーンズ。日本球界初の00番。メジャーで0番をつけてたこだわりの男(スキンヘッド)だったが、一足早く村山が中野に0番をつけた後だったので00番に。プレイはファーストフライを落としたことしか思い出せない。
遅刻魔
亀山努。入団4,5年目で重たい番号から00番に変更して開幕戦からベンチ入り。ちょっと負けてる終盤、オマリーか誰かの代走で登場。9回表にチャンスで打席が回り、見事タイムリーヒット。中村勝広の明らかな采配ミスを救う。調子に乗っていつの間にやらレギュラー確保。眼鏡のヘッドスライディングで一躍売れる。タレントで芽が出なかった双子の弟も売れ出す。走攻守三拍子揃ったうえのガッツプレーで同年の準優勝に大いに貢献。翌年以降はケガとの闘い。包帯だらけで点滴を打ちながら遅刻して鳴尾浜の練習場に現れることも。引退後は遅刻癖と闘いながら、大阪ロマンズや少年野球監督やタレント活動に奮闘。弟はあまり見ない。
近鉄からやってきた内野の補欠
米崎薫臣の最後の1年。
ヤクルトで少し活躍した
城友博がテスト入団も1年で戦力外。
内野の準レギュラー
平尾博嗣(博司)が2番をドラフト逆指名1位ルーキー的場寛一に譲って最後の2年00番。西武に移籍して個性を発揮、チャラ尾となる。
俊足好守でどこでも守れる起用貧乏田中
秀太。入団4年目ぐらいに野村監督就任とともにF1セブンに抜擢されてスタメンに名を連ねる。星野になって故障者続出で困ったときには外野でスタメンも経験。主力のほとんどがケガでちょっと休んだ03年陰のMVPを差し上げたかった。04年は鳥谷起用のあおりを受けてとんと出場機会が減り、トレード候補だったが日ハム移籍が新聞にすっぱ抜かれて没。一軍半の代走守備要員だったがたまのスタメンでミス連発。下柳がグラブを投げつけて激怒。引退後スカウトに転身し、獲得した選手には入団会見で「グラブを投げつけないようにします」と言わせる。
ポスト赤星の不器用なセンター
柴田講平。城島入団で2番から変更。キャンプ好調の年に紅白戦デッドボールで負傷、出遅れ一軍半。九回裏二死満塁で走者一掃エラーをしでかし自由契約後トライアウトを経てロッテにテスト入団。
上本博紀が4番から変更。相変わらず守備は不安定ながらセカンドのレギュラー奪還。が、盗塁時のスライディングで十字靱帯損傷。以降怪我と闘い引退。
右打ちの内野手が北條と熊谷だけになってしまい、よみうりから内野のユーティリティプレイヤー
山本泰寛を獲得。レギュラーメンバーの故障や不調、対左投手のときなどにしばしばスタメン出場するが岡田監督復帰で二軍暮らし。

line
1STST(TESTSET)  2023. 9. 13 (Tue.)

2021年のフジロック。METAFIVEメンバー6人中4人が何らかの事情で出演辞退という緊急事態を乗り切ったLEO今井とまりんとサポートの2人。この4人で結成されたTESTSETのファーストアルバムが出てまして、3,000円+税で10曲。
つねに何かに憤っておられるようなLEO今井の歌唱のその矛先が我々同様の新自由主義社会経済だと感じさせる楽曲が2曲目に登場します。



概ね全編カッチョいい歌入りテクノ楽曲なのですが、メンバーにドラムの人がいてどこまでが生ドラムでどこからが打ち込みなのかよくわかりません。またベースはまりんの職人技が効いてるようで、ぐいぐいとうねって食い込む低音ベースがバランスよく配置されていてたいへん気持ちがよいです。
ラッパこそありませんが、ギターも入っててMETAFIVE後継として高橋会長も喜んでるだろう出来栄えと感じられるのですが、もう少し日本語詞が増えるともっとうれしいだろうなと思いました。

消防団対騎士団  2023. 9. 12 (Tue.)

まいど恒例の連続ドラマの感想です。今期も低調。とは言えBS他にもこれといったものなく、野球中継に集中できたと思います。
 
タイトル
 
 
出演
 
俺視聴率
感想
最高の教師 1年後、私は生徒に■された 日本 松岡
芦田
良々
松下
13% これ系の若者たちの現実感ないやつは苦手なんで初回の芦田生徒の名演だけ見て完了
どうする家康 NHK 松本 4% 兵糧尽きてる鳥居強右衛門がふくよかに描かれてるのは後世美化されたものと考えていたのですが、岡崎体育のおかげで自説は強化れた
VIVANT TBS
阿部
濱田
二階堂
11% アホ設定に即した堺と濱田のアホな役作りが笑えるレベルに達してたらたらもう少し見られた
CODE -償いの代償- 日本 坂口
染谷
松下
玉山
14% とくになし
真夏のシンデレラ フジ
間宮
2% 小柄なヒロインが不足がちなんで頑張ってもらいたいものですが恋愛ものは違うだろうと
転職の魔王様 THE EXPERT OF CHANGING JOBS フジ 成田
小芝
山口
小田
石田
82% スポンサーがらみの教条劇のご都合展開でまた小芝には役不足なのですが、毎回なかなかに本質をついてて侮れず
シッコウ!! 〜犬と私と執行官〜 朝日 織田
伊藤
勝村
渡辺
菅原
45% もう少し織田執行官がカッチョよく切れるところがあってもよさそうに思うのですが、本人的にはこれが納得の役作りなのかも
18/40 ふたりなら夢も恋も TBS 福原
深恭
安顕
9% 目指すところが皆目見当つかずかつ興味も湧かず
刑事7人 朝日 東山 4% 特捜9が早く終わったと思ったら刑事7人も早く終わって既に科捜研の女。ジュリー、ヒガシ、イノッチ歴史的記者会見の日程都合?
こっち向いてよ向井くん 日本 赤楚
財前
市原
波瑠
6% 波瑠さん出ててもちょっと理解の範疇におさまらない恋愛もの
ばらかもん フジ 杉野 0%
ハヤブサ消防団 朝日 中村
橋本
生瀬
梶原
岡部
満島
川口
山本
97% 池井戸原作で初めておもしろかったかも。ミステリーとコメディとホラーのバランスもそうですがどうせ満島がマッチポンプだろうと高をくくる我々視聴者をたっぷりその気にさせといて東京旅行での満島以外のおっさんたちの謎の表情を順々に交えてますますその気にさせといてからの狂気の真相。紳助が笑い飯を評したときの「めちゃくちゃなフォームで豪速球投げたかと思たらきれいなフォームでうんこ投げてきよる」みたいな
この素晴らしき世界 フジ 若村
木村
沢村
37% おばさんにしてたら本当におばさんになれる鈴木京香のために書かれただろうことがわかる、若村のおばさんにしてても浮世離れした美人おばさん感
トリリオンゲーム TBS 目黒 1% ジュリー、ヒガシ、イノッチ歴史的会見以降はこういう企画がなくなることでしょう
警部補ダイマジン 朝日 生田
向井
土屋
松平
小澤
矢柴
高橋
片岡
浜謙
シシド
63% ハコヅメでこういう人がいちばん怖いと評された矢柴捜査官がさらに凶悪化

立川記念総括  2023. 9. 11 (Mon.)

めでたく森田優弥選手(埼玉)の記念(GIII)初優勝で幕を閉じた立川記念でしたが、今年は異例の9月開催。43年ぶりの1月以外の開催だったようです。
毎年正月は忙しくしてたり最終日は仕事が始まってる平日だったりして地元なのになかなか行けない立川記念決勝。今年は行くつもりでいたのですが、広島戦デーゲームとかぶってしまい野球観戦を優先させてしまいました。
九里亜蓮と伊藤将司、新井さんと岡田の意地の張り合いみたいな名勝負。圧勝ばかりの3連勝では面白くないと言わんばかりの接戦でした。
これでマジック5.。1試合平均1個強減ると仮定して計算した22日(金)ごろより1週間以上早くアレしてしまいそうです。

立川記念[鳳凰賞典レース]決勝  2023 9. 10 (Sun.)

12R 関東結束しすぎ
選手 登録 脚質
1 1 平原 康多 埼玉 87 41 SS 追捲 0
2 2 新山 響平 青森 107 29 SS 逃捲 15
3 3 眞杉 匠 栃木 113 24 S1 逃捲 20
4 4 北井 佑季 神奈川 119 33 S1 逃捲 22
5 佐々木悠葵 群馬 115 28 S1 自在 4
5 6 高橋 築 東京 109 31 S1 追捲 2
7 犬伏 湧也 徳島 119 28 S1 逃捲 21
6 8 森田 優弥 埼玉 113 25 S2 逃捲 8
9 守澤 太志 秋田 96 38 S1 追込 0
並び


38156 関東
29 北日本
4 北井単騎
7 犬伏単騎

何が何でも先行勝負の最新タイトルホルダー(3)眞杉がいてりゅうちぇる(2)新山の抵抗があるのか。前団ごちゃつけば勢いある単騎勢が大捲り。
すんなりでも強力な別線捲りに対抗する関東二段駆け三段駆け四段駆け。

 
2車単
 
4=7,4−9,7−9
5−1,5=4,5=7

結果
line

最後尾から内をすくって6番手に上昇したJリーグ(4)北井にすくわれたりゅうちぇる(2)新山が7番手に下げたままの赤板ホームから最新タイトルホルダー(3)眞杉発進。
打鐘から(2)新山が後続ちぎって巻き返すが最終2コーナーで売り切れるとともに(8)森田が番手捲り。
脚溜めてた俊足外野手(7)犬伏が2コーナーから捲るが、4番手までで3コーナーから4コーナー。
直線、(8)森田が押し切り記念(GIII)初優勝。センター(1)平原は追走一杯で、(5)佐々木が外伸びて2着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 8−5 2,790円 (9)
3連単 8−5−1 4,050円 (7)

line

入場 3,529人 総入場 8,941人
(対前年度75%)
売上 1,809,476,100円 総売上 5,391,968,300円(対前年度74%)

line
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開
(アーティゾン美術館)  
2023. 9. 9 (Sat.)

先月のことですが、東京駅そばのブリヂストン美術館(「アーティゾン美術館」に改称)でやってた抽象絵画展を見てきました。1,800円。
なぜかセザンヌのヘタウマがウケて印象派が勃興したのを皮切りに、フォービズムとキュビズム、果てはアクション・ペインティングに至るまで。とくに後半はその値打ちが皆目見当もつかないものが増えていきますが、年代順に並べることによってそこに至る潮流みたいなものを感じられる展覧会でした。
美術館所蔵作品は概ね撮影可。気前の良い時代になりました。




名選手列伝  2023. 9. 8 (Fri.)

男なりやこそ2003年にふと思い立ってはじめたマジックナンバーとともに振り返る背番号別名選手列伝なのですが、2005年に加筆した後は放置状態。かれこれ18年です。
2003年ごろはまだウィキペディアとかもありませんでしたから、それなりに値打ちもあったと思うのですが、今や歴代背番号も名選手のエピソードもネットにあほほどあふれかえっています。
そんなわけで2005年以降を書き足すモチベーションに事欠く今日この頃なのですが、この50有余年どのように野球を見てきたのかを内省する日々です。
とは言え、10番と11番は書き足すことなく楽でした。

立川競輪開設72周年記念[鳳凰賞典レース]
初日特選  
2023 9. 7 (Thu.)

12R 北井は予選まわり
選手 登録 脚質
1 1 犬伏 湧也 徳島 119 28 S1 逃捲 21
2 2 眞杉 匠 栃木 113 24 S1 逃捲 20
3 3 守澤 太志 秋田 96 38 SS 追込 0
4 4  南 修二 大阪 88 42 S1 追込 0
5 新山 響平 青森 107 29 SS 逃捲 15
5 6 清水 裕友 山口 105 28 S1 捲逃 2
7 山崎 賢人 長崎 111 30 S1 逃捲 3
6 8 渡部 幸訓 福島 89 40 S1 追込 0
9 平原 康多 埼玉 87 41 SS 追捲 0
並び


16 中四国
29 関東
538 北日本
4 南好位狙い
7 山崎単騎

りゅうちぇる(5)新山が前団抑えて俊足外野手(1)犬伏の出を待つがすぐには来ないので叩き合いに。近況からして(1)犬伏優位か。長引けばタイトルホルダー(2)眞杉が捲る。

 
2車単
 
6−1,6=2,6−3

結果
line

7番手で周回の俊足外野手(1)犬伏が赤板ホームを上昇、前受けのりゅうちぇる(5)新山を抑え、打鐘で踏み上げるタイトルホルダー(2)眞杉にあわせて逃げる。
4コーナーでふてぶてしい(6)清水が(2)眞杉をブロック。最終ホームが混戦になって関東ラインが3,4番手にハマり、(5)新山後退。
関東後位のアテにならない(4)南が捲るが1車上げただけでアフロ怪人(7)山崎の進路をふさぐ。
直線、(6)清水が容赦なく追込み1着。捲り追込み不発の(2)眞杉の内から最強オールラウンダーだった(9)平原2着。インを上昇した銀髪(3)守澤は最後コースふさがれ3着まで。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 6−9 4,780円 (23)
3連単 6−9−3 31,270円 (113)
抜目

line
日本ロマンチック街道  2023. 9. 6 (Wed.)

先日の草津の道中ですが山間の国道を走行しているとき、ナビの現在位置情報のところに「日本ロマンチック街道」と表示されててついぷっと吹き出してしまいました。
調べてみたところ栃木北部から群馬北部、さらに長野県にわたるいかんともしがたい、もとい、比較的低めの山岳地帯を東西に貫く複数の街道が「日本ロマンチック街道」と名付けられているようです。なんでも周囲の風景が本場ドイツのそれに似ているということで、本場ドイツにもことわりを入れたうえでのことだそうです。
八ッ場ダムとかがありました。

パインアメ  2023. 9. 5 (Tue.)

先日の後楽園ですが、館内禁煙の東京ドームでどう過ごすかと考え、岡田監督がいつもなめているパインアメ持参で行きました。同様のことを考えてらっしゃるお客が多かったみたいで、隣のおばちゃんからパインアメを頂戴することになりました。大阪のおばちゃんでなくても飴を持ち歩く風習も岡田が広めているのかもしれません。
それはさておき、京田ルール施行のようです。捕球する守備側の選手が故意でなくてもベースをふさいだ場合、タイミングがセーフならばセーフとする新ルール。これも先日の岡田の猛抗議から実現の運びとなりました。

マダックス  2023. 9. 4 (Mon.)

初めて知りましたが100球以内で9回以上を完封する投球をマダックスと言い、シカゴカブスなどで活躍したグレッグ・マダックス投手に由来するそうです。
先週見に行った後楽園で8回続投が失敗した伊藤将司投手が九回あとアウト2個ということころで失点。マダックスは逃しましたが、9回1失点完投で9勝目をあげました。
それはさておき、85年の真弓同様、肋骨骨折がいい休養になって復帰後絶好調だった近本が同じところにヤクルト戦死球を受けたダメージがいかほどのものか?気になるところです。
余談ながらダブルストッパーの一角を務めてたもののいまいち安定感に欠けてた方の山本和さんが終盤アキレス腱断裂で戦列を離れたのも85年の出来事。ダブル正捕手の梅野がヤクルト戦死球で戦列離脱してますが、同様に受け止めています。

向日町記念[平安賞]決勝  2023 9. 3 (Sun.)

12R 北日本マーク陣3つに別れる
選手 登録 脚質
1 1 村上 博幸 京都 96 44 S1 追込 0
2 2 佐藤慎太郎 福島 78 46 SS 追込 0
3 3 太田 竜馬 徳島 109 27 S1 捲逃 8
4 4 坂井 洋 栃木 115 28 S1 捲逃 7
5 和田 圭 宮城 92 37 S1 追込 0
5 6 川村 晃司 京都 85 47 S2 自在 2
7 北井 佑季 神奈川 119 33 S1 逃捲 19
6 8 尾形 哲馬 宮城 107 33 S1 追込 0
9 山田 久徳 京都 93 36 S1 自在 0
並び


72 南北
916 京都
38 太田尾形
45 坂井和田

Jリーグ(7)北井の先行力に抗うもの見当たらずペース駆け。脚使わず3番手獲れたら勝負圏。

 
2車単
 
2=9,2−1
2=4,7−1

結果
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後ろ攻めのクール(9)山田が赤板ホームで前受けの器の小さい(3)太田を抑え、あわせて前中団から踏み上げたバンジー(4)坂井が4番手確保。
隊列短くなってるところを京都ラインに続いて労せず中団外に位置したJリーグ(7)北井が打鐘からほとんど脚使わずカマシ先行
3車身開いた(9)山田は車間を詰められず、最終2コーナーから捲る(4)坂井が中団まで来たところで4コーナーから直線。
(7)北井が限界?気のせい佐藤(2)慎太郎の追込みを寄せつけず逃げ切り記念(GIII)初優勝。(9)山田マークから偉大な兄の(1)村上弟が抜け出し3着。

 
賭式
 
車番
 
返戻金
 
人気
2車単 7−2 790円 (2)
3連単 7−2−1 2,250円 (2)

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入場 2,744人 総入場 6,475人
(対前年92%)
売上 1,758,411,800円 総売上 5,502,409,100円(対前年107%)

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西の河原公園  2023. 9. 2 (Sat.)

ブラタモリで草津回があったと記憶してるのですが、見逃したというか、当時草津にまったく関心がなかったんで録画もせずにやりすごしたのだと思います。
で、急遽ひょんなことから行くことになった草津なんで温泉に浸かる以外にはやることもなく、とりあえず西の河原公園に行ってみました。
河原ですが大量の温泉が流れ込んでたいへんなことになってました。硫黄臭にはもう慣れてて、また真夏なんであまり湯気もたってませんでしが、冬場何も知らずにいきなり来てたらまさに賽の河原を想起する恐ろしい光景だったことでしょう。



湯畑  2023. 9. 1 (Fri.)

草津に行ってきました。硫黄臭にやられそうになりましたが、慣れてしまえばこっちのもの。よいとこでした。
適度に交通の便が悪いせいか、東京資本も鶴太郎美術館を除いてあまり目に着きませんでした。おまけに真夏というのに冷房要らず。冬はつらいかもしれません。









石庭石庭
石庭石庭
石庭石庭
 
いまわし部族 space
(19/10/22)
競輪人類学 (23/09/18)
文化研究 (22/12/27)
日報録  

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灰線
magic number
1背番号[1]の名選手列伝
創設期の名プレイヤー伊賀上良平。合宿設立とともに初代寮長兼任。復員後は大映で活躍。
毎日大量引き抜き直後のエース梶岡忠義
吉田義男入団でセカンドにまわり二遊間を固めた白坂長栄
三宅故障後の三塁手朝井茂治
佐野、掛布入団前に後藤とサードの定位置を争った大倉英貴。佐野、掛布の入団で若くして引退。
中日、近鉄で活躍した巧者一枝修平。近鉄時代、筆者が西京極だけで会う顔馴染小学生が試合前に一枝からサインバットをもらった縁で、阪急側から一枝の代打の打席のみ近鉄応援。ピッチャーゴロに終わった一枝だったが、ベンチに戻り際に我々に手を振って応えてくれた。いいやつ。引退後、阪神コーチと中日コーチと毎日放送解説を順繰りに務め、ちょくちょく監督候補に浮上。結局、村山の2回目に落ち着く直前は、一枝監督で決まりかけてたが、会社情報より外部情報が先行する毎度のドタバタを嫌気して固辞。
何を思ったか監督就任時の吉田義男。「一から出直し」と第2次後藤クマさんで最下位のあとに1番で登場。
法政黄金時代の好打者植松精一。プロでは好打者ぶりは発揮されずじまい。
ロッテで日本シリーズMVPの実績を持つ小兵弘田澄男。ジュニアオールスターMVPの藤倉とのトレードで移籍。85年史上最強の2番打者の一人。日本シリーズでは2番DHで登場。西武の緻密なバントシフトをあざ笑う強攻策でヒットを放ち、3番バースの決勝ホームランを呼ぶ。よみうりコーチとしてローズを叱り飛ばして帰国退団に追込んだ陰の功労者。
九州産交でバスの運転手の勤務ローテーションを編成していた野田浩司。第2次村山監督就任時にドラフト指名されてしまい、1番をつけさせられてしまう。村山辞任後は18番に変更して先発に救援に開幕投手にとエース級の大活躍。史上最悪のトレードでオリックスへ。
90年代最高のアメリカ人トーマス・オマリー。「ハンシンファンはイチバンやー」という本当の真実をヒーローインタビューのシメの言葉として人気を博す。他球団がどこもレギュラー不在とか一茂とかのときにサードでゴールデングラブという意外な受賞歴。契約でモメてヤクルトに移籍してMVP獲得。02年から特命コーチとしてジャージでベンチ入り、アリアスの相談相手を務め、03年ようやく発足したファンクラブのイメージキャラクター。
球団職員で入団中込伸。今はカットボールと言う真っスラを武器に99番で92年準優勝などに貢献するが、ヒジを痛めてから1番で再起。巨体を利した若手いぢめで山村や中谷をつぶし、台湾に渡る。
西武で鳴かず飛ばずだった谷中真二が平尾との交換で移籍。帽子をかぶるとオッサンづらだが、ベンチでいつも帽子を脱いでる顔は若い。先発で意外と安定したピッチングだったが星野にリリーフにまわされ不安定。オリックスに移籍してパリーグなら10勝は固いと思われたが、投壊現象に巻き込まれ、楽天になって先発ローテは固いと思われたがあまり出番なし。
04年大規模争奪戦の末早稲田から入団の安田大サーカス団長鳥谷敬。外角速球に間に合わず内角速球に差し込まれるへっぴり腰フォームでこりゃえらいカスつかまされた、と岡田以外の誰もが思うが岡田監督は我慢して起用し続け、年々打力、守備力を向上させ元々よかった選球眼でほぼ15年間不動のレギュラー。藤田平とかの持つ数々の記録を塗り替え衣笠に次ぐ連続蔵試合出場達成。死球による顔面骨折の翌日からも出場して平気でヒットを放つ。最後は矢野に干されてからの引退勧告をけってロッテへ。

2背番号[2]の名選手列伝
初代正捕手小川年安。在籍1年で召集、戦死。
戦前戦後の主戦投手藤村弟(隆男)藤村排斥事件の余波を受け広島に移籍。
阪急の名遊撃手本屋敷錦吾。二塁に転向して吉田義男と二遊間を固める。
細身の二塁手野田征稔。2割ちょいの打率ながら2番打者として安藤から定位置奪取。73年のよみうり戦では、9回一死一塁から併殺を取れるボテボテのゴロを二塁に送球せず、長嶋をタッチしに行き、逃げる長嶋を追って併殺を取り損ねる。直後に池田の落球伝説。引退後はコーチ、球団職員を長く務める。
西鉄の強打者東田正義が日ハムを経て移籍。池田にかわりレフトを守る。ラインバック、田淵、ブリーデンの後ろの6番打者として睨みをきかしたが活躍は1年だけ。
死球王竹之内雅史。西鉄太平洋クラウンから田淵がらみの大量トレードで真弓、若菜らとともに入団。バットを肩にかついだ豪快な打撃フォーム。狭いスタンスから左足を大きく踏み出すからデッドボールはよけきれない。85年並木輝男とともに打撃コーチとして優勝に貢献するが、吉田義男と仲間割れして退団。
敬遠球ホームランの柏原純一が日ハムから金銭トレードで86年入団。移籍1年目の開幕戦、逆転のチャンスで低めのくそボールを新ゾーンにとられて見逃し三振。この時点で連覇を逃す。退団後、コーチとして新庄を指導、敬遠球サヨナラヒットの成果を残す。
少年隊のスイッチヒッター大野久。移籍したダイエーで盗塁王。
ロッテで外野にコンバートされてくすぶってた高橋慶彦。中村勝広監督の存在感あるトップバッターの求めに応じ、遠山と交換で移籍。外野守備を習得できぬまま、存在感なく終わる。
野田との史上最悪のトレードで阪急色を一掃したいオリックスからやって来た松永。在籍選手のほとんどが客から愛されるチームにあって、耳、グリーンウェルとともに数少ない例外。
ウェスタンリーグの主軸打者平尾博司。一軍半のまま谷中とのトレードで西武へ。西武では準レギュラー。
ドラフト1位遊撃手的場寛壱。入団以来ずーっとケガとの戦い。背番号ももう後がない99番に変更。03年からウェスタンリーグ連続出場。05年春は一軍開幕目前にしてまたまたケガで、オフには戦力外通告。
立命から入団の藤原通。ウェスタンリーグの中軸のまま05年から関本にかわって44番。
永遠の第2捕手野口寿浩が坪井と交換で日ハムから。第2捕手を長く務め横浜へFA移籍。
蕭一傑1位のときのドラフト2位入団柴田講平。1年目ウェスタンリーグで活躍するが城島入団に伴い00番へ。
魚釣り、麻雀の次に野球が好きな城島健司がアメリカ帰り後最後の3年在籍。金本、新井さんやブラゼルらと重量打線を構築するが2年目以降は怪我との戦いでファーストも守ったりしてから引退。
藤浪晋太郎1位のときのドラフト2位北條史也。藤浪より3年ほど遅れて一軍定着。インサイドを捌ける打撃術でショートのポスト鳥谷ポジション争い一番手に名を上げるが、ダイビングキャッチで脱臼。以後精彩を欠いて年々出場機会が減少。2番は梅野に譲って26番へ。
明日も勝つばい梅野隆太郎がほぼ正捕手となって44番から変更。

3背番号[3]の 名選手列伝
73年優勝争い前後の三塁手後藤和昭。三宅の抜けた穴を埋めきれぬまま掛布、佐野の入団で日ハムへ。
南海からやって来た左腕投手上田卓三。1年か2年ですぐまた南海へ。
よみうりがボイコットしたドラフトで4球団競合のなか岡崎代表が当たりクジを引いて入団の。魔法使い小津と入団記者会見の翌日、小林とトレード。
虎ボルタ中田大活躍のジュニアオールスターでサヨナラヒット、MVPと賞金百万円をせしめた藤倉一雅。ロッテに移籍してイースタンリーグ首位打者。
変化球のキレがなくなった池内とのトレードで大洋からやって来た長崎慶一(啓二)。高木由とともに近藤和江尻中塚譲りのヘンなバッティングフォームの左の好打者。田尾連続敬遠で獲得した首位打者時代のハイアベレージは望めないものの、オールスター以降、代打の切り札に留まらず佐野のレフトの定位置を脅かす。日本シリーズ第6戦1回裏二死満塁、球史に残る逆風を切り裂く弾丸ホームラン。退団後、焼肉店開業。コーチとして復帰後、高校教諭、区会議員など多方面で活躍。
代打の神様八木裕。ポスト掛布の呼び声高く、若くしてサードのレギュラー獲得。オマリー入団、ラッキーゾーン撤廃を受け、外野に転向後も中軸を打ち92年準優勝に貢献。亀新コンビと守備範囲の広い外野陣を形成してチーム防御率を1点は押し下げた。フェンス直撃打球がそのままスタンドに入るホームランを一度は認めた平光が判定を覆し、幻のサヨナラホームランとなる。この試合の引き分けがたたって92年は準優勝に留まる。その後、ケガの回復がおもわしくなくレギュラーを石嶺、桧山らに奪われ代打要員に。ところが4割をくだらない驚異的な代打成功率でいつしか神様と呼ばれ崇め奉られる。それでもたまにはファーストでスタメン4番などで出場し、とくに倉敷マスカットスタジアムで大活躍。惜しまれつつ04年までで引退。
デカい体に似合わぬアベレージヒッター関本健太郎がバースのつけてた44番を脱ぎ捨て05年から。鳥谷起用のあおりで出場機会が減った準レギュラーの一人。出場機会に恵まれない選手を贔屓するがゆえ、贔屓選手が次々と放出されるというますだおかだのますだのいちばんの贔屓選手だったがバントや軽打の技を磨き遊撃から二塁、三塁、さらに代打の切り札と持ち場を替えてしぶとく長く現役を務める。守備も堅実で連続守備機会無失策記録を更新。引退後はますだおかだのますだと番組を持つ。
生え抜きレギュラー野手を増やしたい金本ドラフトで1位指名、会場の客から「え〜っ」と声を上げさせた大山悠輔。1年目途中から頭角を現し四番も務める。金本曰く「品のある」風格で将来の大砲候補として年々打力向上も波があって「春の大山」は小学生の詩作によっても人口に膾炙。新井さん同様ファーストは上手いがサードは…、とくに送球に難あってレフトもやらされるが岡田復帰とともに一塁固定。バットの先をピッチャーに向けるブランコ打法が板についてきて、かつまた初球を無造作に振る悪癖をやめ不動の四番打者に。

4背番号[4]の名選手列伝
スネークボールジーン・バッキー。テスト入団から年々力をつけ、64年村山との両輪で優勝に大きく貢献。甲子園までは自転車通勤。異常な愛妻家ゆえ、伊予狸藤本監督は登板前日に嫁はんに電話して夫婦和合を遠慮してもらう。王に2球続けてインコースに投げたことからバッキー荒川乱闘事件に発展。鉄拳制裁で荒川を流血に至らしめるが同時に指を骨折して選手寿命を縮める。稼いだ金で牧場経営。
浪花の春団治川藤幸三。俊足好守強肩の代走守備要員。レフト線フェンス直撃の二塁打性のヒットをクッションボールを捕るや否や鉄砲肩の送球で打者走者をセカンドで殺すこと度々。準レギュラーまで伸びるがケガで二軍生活逆戻り。ただし、この頃から打席に向かうときは肩をゆすったヤクザ歩きで。いつの間にやら代打成功率が急上昇、守らず走らず代打稼業に専念。敗色濃厚の九回二死、ひょっとしたらという場面でデカい態度で出てきてやっぱり三振するも、ええもん見せてもろたような気にさせてくれる。代打成功率も下がり引退勧告をもらったときに「銭はいらんから残らせてくれ」の名文句で春団治の異名を勝ち取る。一瞬、代打で復活した後はもっぱらグローブも持たない、文字通りのベンチウォーマーとして85年の優勝に貢献。翌年オールスター出場を果たして引退。若いころからキャッチャーが3アウト目の打者でチェンジになった際、キャッチャーが防具をつけてる間、キャッチャーミットを持って出て行って投球練習の相手を務める。結構オッサンになっても。バースに将棋を教える。2年ほど無責任コーチとしてベンチを暖め、退団。シニアリーグ大阪ロマンズでは桜吹雪ユニフォームが最も似合う男。モルツ球団の代打要員に転じつつOB会長を長く務める。
第2次吉田義男監督の3年目からの最弱時代のアフロエースマット・キーオ。強いチームなら20勝はしたであろう孤軍奮闘ぶり。
在籍年数の長さのわりに印象に残らない永遠の一軍半山脇光治。何故かこの人だけ甲子園ではヤではなくマに強勢ある関西アクセントで場内アナウンスされてた。
ウェスタンリーグ不動のトップバッター高波文一。代走守備要員で一時一軍定着もF1セブンなどに押し出されパリーグへ。西武では準レギュラー。
18番を返上した後の藪恵壹が3年4番で最後のひと花を咲かせて渡米。
05年広島からやって来たアンディシーツ。米製戦争映画のどの作品にもソックリさんが一人は出てそうな軍人フェイスでリーグ随一のショートストップだったが、移籍後はもっぱらファーストで日本球界史的にも随一の守備力で貢献。晩年外角スライダーを見極められなくなって駐米スカウトに。
たまにホームランも打つ外国人投手ライアン・ボーグルソンが36番から変更も1年でオリックスへ。
1年からレギュラーの早稲田で主将も務めたウエポン上本博紀がドラフト3位入団。俊足好打の小兵なのに守備不安。レギュラーを獲りかけては故障離脱を繰り返し00番に変更。
立教で主将も務めたイケメン熊谷敬宥がドラフト3位入団。上本とは逆に打撃に課題も代走守備要員として一軍定着。二遊間だけでなく三塁や外野の守備も固める。

5背番号[5]の名選手列伝
打てない時代を支えた4番打者藤本勝巳。ON全盛直前にホームラン王、打点王。62年優勝の打の中心。63年島倉千代子と結婚して成績を下げ、引退後離婚。多くを語らない。
俊足好守の守備代走要員末永正昭。勝負を決めるホームスチールを成功された新聞1面を見た記憶があるが定かではなし。
史上最高の外野守備北村照文。対よみうり千試合シリーズの後楽園で9回裏勝負を決める本塁返球で名を売る。守備範囲の広さ、返球の速さ、球際の強さなどなど、北村の守備だけで入場料分の見ごたえあることもしばしば。バッティングは打撃フォーム固まらぬままなれど85年史上最強の2番バッターの一人。ただし、開幕戦は代走出場で隠し球タッチアウトで鼻から出血。村山の少年隊起用に腐って移籍志願。当時もっとも外野陣磐石な西武に出されてしまう。
北村とのトレードで西武からからやって来た爆笑死球王金森永時。代打でそこそこ活躍するも、フィルダーなき後の一塁を守らされたりして、見てるほうもハラハラ。打撃もひっかけた一塁ゴロばかりになり退団。ヤクルトに雇ってもらえて野村再生工場で代打で復活。
宇宙人新庄剛。準優勝の92年、規定打席未満ながら久慈の新人王の次点。中村監督時代は伸び伸びやってたが、鬼平藤田監督になって遅刻して正座させられたりしてオフに引退宣言。数日で撤回。野村監督の差金で投手兼任。キャンプとオープン戦のみ。これで多少打撃に頭を使いはじめる。柏原コーチ譲りの敬遠球サヨナラヒットを槙原から放ち、ヒーローインタビューで「明日も勝つ」と宣言して翌日負ける。FA宣言で地球人には理解不能な交渉を経て、アメリカに渡るが、ダメジャーリーグから日ハムに復帰。引退後顔を変えて日ハム監督(ビッグボス)。
ウェスタンリーグで少し活躍したエバンス。西武で準レギュラーとなるも1年で帰国。
30を目前にしてプロ入り沖原佳典。レギュラー扱いのときは、打てないし、うまいはずの守備でもちょくちょくエラー。控えにまわるとサヨナラヒットやら守備固めで出てきてから猛打賞やら俄然活躍。04年鳥谷起用で出番なく、東北楽天に移籍するやほとんどの得点機にからんでチーム100敗回避の立役者的大活躍。
沖原とトレードで楽天から来た前田忠節が1年弱だけ5番をつけて32番に変更。
右肩手術で快方に向かった濱中治が31番から変更して復活するも1年だけで翌年末オリックスへ。
濱中を欲しいというオリックスに「平野くれるんやったらええわ」と岡田が言ってみたら本当にトレード成立でやってきたガッツマン平野恵一。セカンドのレギュラー争いを制すると赤星の次の二番で盗塁をアシストしつつクリーンヒット連発。外野も兼務するなか二塁手部門でベストナインやダイヤモンドグラブ賞受賞。真弓の上本重用や西岡らの大型補強を前にFAでオリックス復帰。
8番を福留に譲った浅井良の最後の1年。
マートンに続いて当たりの外国人打者マウロ・ゴメス。後にマルテやドリスらドミニカ共和国出身外国人の先鞭。全試合四番を務め打点王。CSでも打ちまくって日本シリーズ進出。毎年キャンプには遅参してたが3年目に初めて初日に間に合ったと思ったら打棒不振で三振王となり退団。
7番を糸井に譲った西岡剛が最後の2年。外野や一塁も守ってしぶとく出場機会を追求するも独立リーグへ。
新スピードスターのように見えてじつは打撃職人近本光司。どうしても左打の外野手が欲しかったらしい矢野1年目ドラフトで藤原・辰巳の外れ外れ1位。オールスターでは新人初の先頭打者本塁打、サイクル安打でMVP。盗塁王獲得、リーグ新人最多安打記録などを塗り替えるが新人王は交流戦期の不調が響いて他に譲る。ルーキー中野に譲った年以外は盗塁王。

背番号[6]の名選手列伝
戦前の凄いピッチャーでバッター、闘将景浦将。タテについていた目で沢村のドロップを打ち崩したという。気に食わないことがあるとあからさまな怠慢プレーもする豪傑。当時の監督の日誌に「景浦、本日もボールを追わず」。戦死。
富樫代表の息子富樫淳。投打にわたり戦後の復興に尽力。
投手時代の田宮謙二郎
阪神戦でノーヒットノーランを達成した真田重蔵が松竹からやって来て2度目のノーヒットノーラン。
最初のころの小山正明
64年優勝の翌々年入団、85年優勝前年引退と、優勝しなかった21年のうちの20年在籍藤田平。1年目から吉田義男をセカンドに追いやりショートでレギュラー。現役前半は華麗な遊撃手で3番までの上位打線。イージーゴロはファーストに緩ーく送球し客をハラハラさせてギリギリでアウトを取る。鉄仮面藤井譲りのどこにも力の入ってない脱力スイングで巧打を連発するが、チャンスで打席に立つと必ずポップフライ。なかなか3割を打てない。(広義の)阪神相撲部屋に所属して現役後半、一塁転向。吉田義男の連続打席無三振記録を塗り替え、イチローに抜かれるまで記録保持。神宮球場でショートバウンド送球を足を伸ばして捕球する際に大怪我。ほぼ1年治療して復帰後6番打者で大ブレイク。悲願の首位打者をシーズン終盤はものもらいで休みがちのなか獲得。それでもチャンスではポップフライ。横浜球場ではそのチャンスのポップフライから柴田島野両コーチの正義の鉄槌事件に発展。その後、安藤による守備固め的起用にやってられんなか、筆者の観戦する後楽園でチャンスにポップフライを打ち上げた後、敗色濃厚のどうでもいい場面で二千本安打達成。安藤留任気配を察して引退を表明するが直後に安藤辞任。二軍監督を経て、中村のあと監督就任。鬼平と化す恐怖政治で新庄が引退宣言。会社の辞任要求をつっぱね深夜に及ぶ交渉の末、解任。子供たちに「かつや」「さだはる」「ひろみつ」と大打者と同じ読みの名をつける。「ひろみつ」は門田の方で落合ブレイク以前。
85年優勝時のルーキーで03年の前々年まで在籍和田豊。優勝決定試合は平田に代打佐野が出た後、ショートを守り震える足で打球処理。第2次村山監督時代に大野、中野と少年隊結成。90年代大低迷時代をチームリーダーとして牽引。よみうり戦引退試合はヒットを打って同点だか逆転のホームインをしたりの大活躍で長嶋勇退試合を打ち消す。引退後は田淵、オマリーら3人いる打撃コーチのひとりや小さい正田の陰に隠れながらの打撃コーチ、内野守備走塁コーチなどを歴任して真弓の後に監督就任。少しのスパイスを加えて優勝を目指すが実績重視の選手起用でいつの間にか鳥谷以外のレギュラー全員補強選手に。それでもゴメス・マートン・メッセンジャー・呉昇桓らの活躍で日本シリーズ進出もあって5年留任。シニアアドバイザー、テクニカルアドバイザーなどの謎の要職を歴任して二軍監督。
内角低目がまったく見えないおかげでサヨナラ押し出し四球などを選んだホワイト。弱点を見破られて1年で帰国。
野村後継路線まっしぐらの広島からFAでやって来たアニキ金本知憲。伊良部、下柳らケンカの強そうな03年補強選手の一人。星野の4番示唆に返事を濁して3番打者として新境地を開き03年つないで打ち勝った優勝に大いに貢献。三宅の連続フルイニング出場記録を、右手に死球を受けた後数試合左手一本で打ちながら更新。04年からは4番に座り、05年MVP。40歳を超えても打ちまくり連続フルイニング出場を1492試合まで続けるが、練習中に藤川俊介とぶつかって痛めた右肩悪化で10年近く守り続けたレフトを葛城らに譲る。その後も代打でつづけた連続試合出場を藤川俊介の盗塁失敗で阻まれる。引退試合では盗塁も決め長いスピーチで現役を締めくくる。3年ほどふらふらした後、6番で監督就任。超変革を掲げ山・横田の1,2番で開幕を迎えるも打撃コーチを片岡に任せたせいか日替わりオーダーで調子に乗れず、2年目改善するが3年目最下位で辞任。一芸に秀でた面白いやつを獲得するドラフト戦略は数年後に奏功する。

8_7背番号[7]の名選手列伝
ダイナマイト打線で首位打者金田正泰。戦後すぐは野球より金になるブローカーとして過ごすが復帰。50年代は主将としてチームを引っ張り藤村排斥運動などを統率後、引退してコーチを経て監督。村山監督就任時にヘッドコーチとして復帰。成績不振で指揮権を返上した村山に代わり監督代行。成績回復後も指揮権を戻さぬまま村山退団で監督就任。江夏と「ゆたか」「おじき」と呼び合う間柄になるが、いつのまにやら冷却。口も聞かぬ仲になり、何ヶ月ぶりかに「どや?」「まぁまぁや」と交わした会話がスポーツ紙1面ネタになる。鈴木、権藤に殴られた73年優勝しかけるが、会社意向を受け、中日戦の上田登板回避。最終戦で負けて王をゲタで殴るなどして荒れる客にスピーカー片手に詫びる。
50〜60年代の中軸打者並木輝男。62年64年の優勝時3番など打つ。第2次吉田義男監督で打撃コーチ。自分が3番を打つことが多かったせいか、3番最強打者説を唱え、3番バース4番掛布の並びに客と「コーチの言うことより4番にこだわる」掛布らを納得させる。
落球伝説池田純一。強打強肩の外野手で、インコース膝元の変化球を決まって空振りするのに、勝負強いバッティングで6番あたりを固める。筆者もラジオで聞いてた73年夏のよみうり戦。九回二死からの黒江のセンターフライを、芝に足をとられて後逸。後に、中日戦上田登板回避から世間の目をそらす意図から、優勝を逃した世紀の落球という伝説が捏造される。引退後も池田ファンを公言してはばからなかった筆者同級生の野球部員Kは京都府大会準決勝でセンターフライを見失う。
太平洋から田淵がらみの大量トレードでやって来た男前遊撃手真弓明信。中西譲りの前に構えたバットを引きながらタイミングをとる眠狂四郎の円月殺法のような打撃術を習得して、まったく打てなかった外角変化球を克服して首位打者。ホームラン王争いにも参加。岡田怪我のときに平田を使いたい安藤監督によってセカンド転向。さらに、岡田を使いたい吉田監督になってライト転向。ライトでも軽快な動きで槙原をライトゴロにしとめたりする。85年は史上最強のトップバッター。日本シリーズでも初球二塁打でほとんど勝負を決める。引退後、近鉄で梨田、小林と男前首脳陣を形成。岡田辞任後監督復帰。城島ブラゼル補強で最強打線をつくるが飄々としたままどうせ判定覆らないと滅多に抗議に行かないナイスミドルっぷりを発揮して士気上がらず勝機を逃す。
ミスターツーベース改めポイントゲッター今岡誠。久慈や和田の抜けた穴を埋めるが、読み打ちが裏目ったときの気の無いスイングとかで野村に干されたりして不遇。岡田二軍監督にお願いして一軍復帰を回避したりしていたが星野が来て復活。高目を取るようになったストライクゾーン変更にも助けられて、03年は内野安打がほとんど無いにもかかわらず首位打者独走。が、死のロード10キロ減量夏バテでMVPを取り損なう。05年は5番起用で打点王独走。指の故障が治らず急速に打撃不振に陥りロッテへ。岡田監督再就任で打撃コーチ。
ドラフト5位指名ながら「4位以下なら社会人」という条件を苦労してクリアして藤川俊介が近大から入団。1年目から頭角を現すも盗塁失敗で代打金本の連続試合出場記録に終止符を打って68番に変更。
ロッテから渡米していたスイッチヒッター西岡剛がロッテ時代と同じ7番で帰国。両リーグベストナインを獲得するも福留と激突して東京ドーム内に救急車を呼び込む大負傷。復帰後はサードや外野も守って出場機会をどん欲にうかがう。日本シリーズでは三塁ゴロまさかのツーバウンド送球で第1戦を締めくくると、その後もまさかの送球ミス、まさかの走塁ミス、最終的にはまさかの守備妨害でシリーズを締めくくる大活躍。故障との戦いとレギュラー争いをしぶとく続けたのち糸井に譲って5番に変更。
オリックスから数々の伝説をひっさげFA移籍の超人糸井嘉男。さすがに大ベテランになって新たな伝説は特に生み出さず右ひざの古傷と闘いながら41歳まで中軸を務める。
一日一善シェルドン・ノイジー。固め打ちすることなくポップフライの合間にヒット(おもにライト前)を放って2割5分。打撃での役立たずぶりを守備でカバー。巨体をナメて進塁をねらう走者を度々強肩で補殺。

背番号[8]の名選手列伝
和製ディマジオ山口政信。球団創設時の俊足巧打の美男子外野手。和製ディマジオの通称は後に松竹の小鶴誠に奪われる。戦後、退団して北海道のノンプロチームに兼任監督として招かれるが愛人同伴の単身赴任
50年代の主戦投手大崎三男。明大時代は後輩の秋山がエース起用されるのに不満爆発、中退してプロ入り。プロ野球ニュースでは無用に汗をかきながら解説。
24番になる前の田淵が認める史上最強打者遠井吾郎
お祭り男山内一弘。小山と世紀のトレードでロッテから移籍。64年優勝時のクリンナップ。引退後数々のチームを監督、コーチとして渡り歩き掛布、落合ら大打者を輩出。教え出したらとまらないかっぱえびせんの異名を誇る。
俊足好守の守備代走要員佐藤正治
江夏がらみの大量トレードで南海からやって来た俊足好守の守備代走要員島野育夫。引退後コーチとして、横浜スタジアムで柴田コーチとともに岡田審判らに正義の鉄槌をくだし、無期限出場停止。翌年解禁。その後、阪神と中日のコーチを交互に務め星野とともに02年復帰。星野の右腕。(02年から左腕は平田)。星野SD就任に伴い現場を離れるが1年だけで05年現場復帰。
俊足巧打の打って走れるコメディアン加藤博一
85年史上最強の2番打者の一人吉竹春樹。野手としてテストを受けに来たが、外野からいい返球するし左やし、というので投手として入団。即野手転向。俊足好守の守備代走要員から準レギュラーへ。ラッキーゾーンを越える本塁打性の飛球を幾度となくキャッチ。田尾とのトレードで西武へ。引退後、コーチとして復帰。三塁ベースコーチとして思い切りの悪さを幾度となく露呈。
本人と客の十年越しの念願かなって田尾安志が西武から移籍。往年の俊足巧打好守の面影無く代打要員なるも年間サヨナラホームランの記録など達成。
92年準優勝の年の新人王久慈照嘉。今牛若二世として球界一の遊撃手となる。筋力アップで打球が飛ぶようになり、それまでのヒットが外野ライナーになってしまい打率を下げる。大豊、矢野らとのトレードで関川とともに中日移籍。中日では星野に干されてた感なきにしもあらずなれど、03年復帰して守備要員なのに打率3割キープ。05年日本シリーズで代走起用も飛び出しアウトを最期に戦力外通告。引退後の内野守備コーチ時代は失策数リーグ最多を改善できず。
西武時代は筆者の家の近くに住んでた佐々木誠
30目前で思い切ってプロ入り沖原佳典。片岡の入団で5番に変更。
日ハムビッグバン打線の中軸片岡篤史がFA移籍。移籍決断直後にフライデーに載ったキャバ嬢かなんかの乳をもんで破顔一笑写真の影響か、1年目は不振で客の目は松永に対するそれになりかけるが、03年故障がちながらそこそこ活躍。以降も故障がちながら忘れられた頃合をみはからって活躍。稼いだ金で実家をリフォームするが真実とは異なる檜風呂の俗説が広まる。引退後のコーチ時代はつねにチーム全体打撃不振。立浪に請われた中日二軍監督ではおそろしく負ける。
本格的に外野手(兼第3捕手)転向の浅井良が12番から変更。金本負傷、桜井不調時などの穴を少し埋めた後、福留帰国に譲って5番に変更。
高卒時ドラフトでゴネて日生経由で中日から渡米していた偶然だぞ福留孝介が帰国入団。晩節を1,2年汚して終わりと見えたのに和田監督が粘り強く起用、2年弱のリハビリ期間を経て打ち方を思い出すしてもう一花咲かすや長きにわたって中軸の厳しいベテランとしてにらみをきかす。最後中日に復帰してさらに2年頑張って引退。
矢野がドラフト1位で引き当てた佐藤輝明が近大から入団。1年目から大ベテランみたいな振る舞いで新外国人並の打棒発揮。横浜スタジアム場外ホームラン含む24本塁打を記録するが高目釣り球に手を出す悪癖治らず新人王は他に譲る。

背番号[9]の名選手列伝
タイガースの生い立ち明治のスラッガー松木謙治郎がノンプロを経て入団。初代主将。空前の1番打者。腕相撲球界一でついたあだ名が仁木弾正。兼任監督を経て招集で退団。戦後、鉄工所を経営するが毎日大量引き抜き事件の窮地に監督として復帰。藤村とともに退場となった大阪球場事件で退団。OB会発足時に阪神球団史「タイガースの生い立ち」執筆。佐野、掛布入団直前までの球団史は当連載コラムの主たるタネ本であり、筆者小学生時代のバイブル。
戦前戦後の主戦投手藤村弟(隆男)。藤村排斥事件の折に退団。
ダイナマイト打線の8番打者長谷川善三
球団史の中でも珍しい慶應から入団した安藤統男。吉田三宅鎌田本屋敷藤田平ら名選手ひしめく内野で、永遠の準レギュラー。1年だけほぼフル出場した年は打率ベストテン上位でオールスター出場、ベストナイン。その後すぐ、野田、中村勝らにレギュラーの座を追われ、引退。コーチを経てナイスミドルとなった82年中西の後を受けて監督就任。小林、工藤、伊藤の中3日ローテーションで11連勝、次の試合から9連敗。岡田と藤田平の起用に悩んで白髪を増やして辞任。
三宅の後、長くレギュラーが固まらなかったサード候補として中大からドラフト1位入団の佐野仙好。が、サードのレギュラーはドラフト6位の高卒同期、掛布に譲る。外野に転向して春先から3割打ってレギュラー確保に見えたところで川崎球場フェンス激突事件で瀕死の重傷。奇跡の生還後、毎年現れる新外国人ライバルとのポジション争いに打ち勝ちファーストかレフトでスタメン出場。レフト線のフライ打球は必ず帽子を飛ばして捕球した。初代勝利打点王。チャンスに強いいぶし銀のバッティングで優勝決定試合も9回同点犠飛。
ウェスタンリーグの正捕手北川博敏。移籍した近鉄で代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを放ち、パリーグを代表する大打者に。
若いのに苦労人モンキー藤本敦士。高校野球は自分のエラーで敗退。大学野球は中途退学。野球のできる専門学校で滋賀県一の遊撃手と評されノンプロを経てムース野村の目にとまり入団してF1セブン形成。数少ないモノになったF1セブンで03年恐怖の8番打者。吉田藤田平真弓平田久慈と、阪神のショートは日本一のショートだった球団史的には守備に多く課題を残していたが、03年後半からうまくなりだすや04年鳥谷入団でセカンドにまわされる。関本らとレギュラー争いを繰り広げてヤクルトにFA移籍。引退後しばらくしてコーチ復帰。小さい三塁ベースコーチとして高代を後継する。
赤毛の安打製造機カミサマハワタシノチカラデスマット・マートン。朝飯前にヒットを打ちまくって最多安打、首位打者など獲得。メモ魔で研究熱心、信仰心も強いのに球審との戦い、本塁クロスプレー時のボディアタック、アウトカウント間違えてスタンドにボールプレゼント、アイドントライクノウミサンの洒落が通じないなどで物議をかもして存在感を高める。晩年アウトコースの球審との戦いが高じて帰国。
最初の金本ドラフト当たり1位山俊。実力拮抗のため1勝1敗で第3戦にもつれることが多かった東京六大学野球で最多安打の記録を更新して明治から入団。骨折の影響で1年目は二軍安芸キャンプ。金本片岡の指導を受けず開幕1番起用で初回いきなり初打席初安打。その後もヒットを重ね球団新人安打数で坪井を上回り新人王。2年目金本片岡の指導を受けたせいか飛距離が伸びるがよかったのはオープン戦までで以後課題の守備力向上に反比例して打撃不振。代打逆転サヨナラホームランやサヨナラのピンチで背走キャッチなどでたまに目立つ一軍半時代を経て二軍定着。

男なりやこそ 背番号[10]の名選手列伝
初代ミスタータイガース藤村富美男。球団創設時からの凄いピッチャーでバッター。投手陣充実後はサードに専念。戦後、青バット、赤バットに対抗する物干し竿でホームラン量産。ダイナマイト打線の4番として君臨する。毎日大量引き抜き事件で低迷するチームにありながらMVP獲得。レコードも発売し、当時あった開幕前の前夜祭ではステージで歌声を披露。このときばかりは普段飲まない酒を一杯ひっかけて舞台に立つ。わざと空振りして大尻餅をついておいて、同じ球を狙って本塁打するなどの田舎芝居やスタンドプレイなども得意。兼任監督になって藤村排斥運動をチームメイトに起こされてしまう。三塁ベースコーチに立って指揮、ここぞという場面では「代打、オレ」と審判に告げて打席に向かう。引退後、必殺シリーズで元締めの虎を好演。そんなわけで10番は永久欠番。

11背番号[11]の名選手列伝
プロ野球第1号ホームラン藤井勇。戦前の好打者。復員後は大洋などで選手、監督として活躍。70年代初頭、金田村山確執のなかでコーチ。
ザトペック投法の二代目ミスタータイガース村山実。よみうりの提示する数倍の契約金をけって阪神入団。1年目天覧試合にリリーフしてファールをホームランと判定され、サヨナラ負けを喫す。以後、死ぬまで「ファールや」と言い張り続ける。涙の抗議などする熱血漢。1年目に防御率1位と沢村賞のタイトルを獲るが新人王は他に譲る。その後、防御率1位、最多奪三振、最多勝、最高勝率、沢村賞など数々のタイトルをゲットして62年64年の優勝に貢献。無安打ながら失点を許すノーヒットありランも記録。「財布を拾たような、落としたような」の名言を吐く。稼いだ金でマンション11を建設し経営。62年MVP受賞。勝ち星で上回っていた小山がすねて日本シリーズ入浴事件。小山は翌年山内と世紀のトレードでロッテへ。速球だけでなく、フォークボールに磨きをかけ、スライドしたりシュートしたりまっすぐ落ちたりと投げ分ける。1500、2000の節目の奪三振を長嶋から取ると宣言してその通りに実行。30ちょいで監督兼任を任されてしまい、吉田派が去ったりふてくされるなか、その年の防御率は0.98のミラクル。兼任2年目、チームの不振で金田正泰ヘッドコーチに指揮権を譲り投手に専念。が、チーム成績回復後も指揮権を返上してもらえぬまま失意のなか引退し同時に監督辞任。引退試合は江夏らの騎馬に乗って登場。よみうりV9暗黒打線を三者三振。大卒唯一の200勝投手。第2次吉田義男監督の85年から優勝、3位、6位の後を受け、2度目の監督就任。このとき吉田義男と歴史的和解。球団創設以来2度目の最下位という窮状打開のために選手の背番号大量変更などを行うが、6位、5位で終わる。そんなこんなで11番は永久欠番。

12背番号[12]の名選手列伝
サンデー若林の高校の先輩で球団創設時の正捕手、カイザー田中義雄。戦後は監督も務める。
クマさん後藤次男。1試合最多塁打の記録を樹立するなどの好打者で50年代のリードオフマン。伊予だぬき藤本監督が辞めたあとと、第1次吉田義男監督のあと、誰もやる人がいないときに断りきれずに2度、監督就任。いずれも1年こっきり。2回目の78年はぶっちぎりで球団史上初の最下位。90年代大低迷の予行演習。サンテレビの解説を長く務める。筆者が阪神電車で甲子園に向かうクマさんに遭遇したときはボロボロになった阪神百貨店の紙袋ひとつ下げての通勤途上だった模様。
虎風荘前寮長梅本正之。中西、亀山らやんちゃ者は今も頭が上がらない。中西が寮抜け出し時に塀から落ちてビール瓶ケースに頭から突入、流血時に「119番、何番や?」の名言を吐く。
太ったピンチヒッター和田徹。田淵がいたので捕手をやめて外野やファーストもやる。
大リーグ帰りのマッシー村上雅則が1年だけ在籍。
西鉄、近鉄で防御率1位など活躍したベテラン清俊彦が1年だけ在籍。
アンダースローの美しい投球フォーム深沢恵雄。伸び悩んで4,5年、福間とのトレードでロッテ移籍。ロッテで1年だけ大活躍して翌年の開幕投手。この川崎球場の開幕戦でリーがホームラン。プロ野球ニュースの「今日のホームラン」でライトスタンドの筆者が映る。
深沢との交換でロッテからやって来た福間納。NHKトリオが成長するまで、加藤博一とコンビのピンクレディなどで宴会を盛り上げる。移籍1,2年目は代走起用もあり。移籍2年目か3年目ぐらいから中継ぎエースの座を確立、登板試合数のリーグ記録を塗り替えるほど毎日投げる。で、ほとんどリリーフで防御率1位のタイトル獲得。85年優勝の陰のMVP。ゴルフ番組の司会もこなす。
日ハムの小さな大三塁手古屋英夫が2年だけ在籍。
松井のハズレ1位安達智次郎。90年代ハズレ続きの高卒ドラフト1位の先駆け。
長い下積み、長い一軍半を経て準レギュラーまできた星野修。打撃フォーム固まらぬまま新勢力に押し出されて近鉄移籍。移籍後しばらくはほぼレギュラー。
つねに第3捕手時々ピンチヒッター浅井良。03年ベンチでは星野そばにいるので、出場機会以上にテレビに映っていたが、04年鳥谷優遇のあおりで二軍暮らし。05年からはたまに好リードで復活も外野手兼第3捕手に転向して背番号も8に変更。
元選手整体師のはしり三東洋が最後の1年だけ12番。
新井さんに25番を譲ってなべりょ渡辺亮。くいっと曲がるスライダーを武器に長く中継ぎ、セットアッパーを務めてスカウト転身。
明治でも8番バッター謎のドラフト2位坂本誠志郎。指名後筆者が視察した法政戦では東大に打たれた相手投手のストレートに詰まらされてて高山獲得のための友達採用かと思われたが、好リードとフレーミングで頭角を現しとくに矢野に重用される。矢野が二軍監督だった金本最終年はもっばら梅野。矢野一軍監督就任後選手間投票で履正社・明治に続きプロでも主将就任。試合後の挨拶の礼で3つ数える、ホームラン選手の首にかける虎メダルの発案などで盛り上げる。23年ダブル正捕手では坂本と組む村上・大竹が大ブレイク、伊藤将も前年並の好投を繰り返す中、梅野と組む青柳・西勇・才木が前年以下。梅野負傷離脱は85年ダブルストッパーで安定感に欠けてた方の山本和さん負傷離脱を想起。

背番号[13]の名選手列伝
毎日大量引き抜き事件の後、50年代の正捕手徳網茂
サイドスローで先発もリリーフもこなした鈴木皖武。73年優勝争いの渦中で金田正泰監督を殴って謹慎。
太平洋からやって来た小さいキャッチャー片岡新之介。田淵晩年の第2捕手。川崎球場の大洋戦で、田淵負傷退場、大島代打起用後に負傷退場して池辺がキャッチャーをやるハメになる。
片岡とのトレードで阪急からやって来たまさかの笠間雄二。83年打撃開眼して正捕手に。横浜球場の打撃練習では、ライナー性のホームランをレフトスタンドに打ち込み、筆者の牛丼弁当を撃破。スローイングに難があり、塁間の青いゴキブリ松本に20個か30個ぐらい連続盗塁を許すが、筆者が観戦する甲子園のゲームで終止符を打つ。
村山に0番にさせられる前の中野佐資
日本ハムからやって来たアフロエース岡部憲章
野茂のハズレ1位、強かった法政のエース葛西稔。2年目8勝のほとんどがヤクルト戦。翌年の開幕がヤクルト戦だったおかげで、中村監督が開幕投手に起用。が、翌年以降、アンダースローからの高目速球を見切られて伸び悩むが、リリーフで活路を見出す。復帰した遠山と相手打者に合わせて交互に一塁を守るツープラトンセットアッパー&ストッパー「葛西・遠山スペシャル」の一翼を担う。コーチ兼任を経て02年星野大量リストラで引退、二軍コーチを経て長くスカウト。
関本健太郎と奈良の橿原で小中いっしょだった中村泰広
その中村とのトレードで日ハムから移籍の金村曉。昔日の面影なく後にコーチで復帰。
ゴリラ系若獅子賞左腕榎田大樹がドラフト1位入団。先発のポテンシャルを感じさせたが1年目からリリーフで大回転。故障後先発転向もぱっとせぬまま西武移籍。
榎田とのトレードで岡本洋介が西武から移籍。ロングも含むリリーフで1年だけ活躍。
亜細亜大出の山本和さん同様国士舘大出とは思えぬクレバーな投球術と独特の球持ちの良いフォームで実績を積み上げた岩崎優が67番から変更。登板後のコメントは「0点に抑えることができてよかったです」の決まり文句を貫きタオルで商品化。「明日も勝つばい(梅野)」「タイガースファン、イツモアリガト(ガンケル)」「ミエちゃんです、お先です(ミエセス)」などヒーローインタビューでは他人の決め台詞をパクる。

背番号[14]の名選手列伝
本間勝広報部長。王に強いピッチャーだったらしい。
70年代の名二塁手、トップバッター中村勝広。抜群の選球眼でフォアボールをよく選んだ。三十ちょい過ぎで兼任コーチ、三十代半ばで引退して即二軍監督というエリートコースを歩んで90年監督就任。92年準優勝。会社が取ってきたダメ外国人を使い続ける中間管理職に徹して球団異例の6年にわたる長期政権を樹立。中間管理職としての手腕を買われ、石毛でボロボロになったオリックスの再建を託されるが再生できないままGMで復帰。外国人補強が当たってCSから日本シリーズに進出するが翌年東京遠征中に急逝。
球界渡り鳥で全12球団から勝ち星を挙げた野村収。84年開幕投手。客の差別野次に怒ったスミスに3ランを打たれる。85年優勝時は中継ぎとして活躍し、NHK特集「エースなき優勝」では「その日暮らし」の仏教説話を説く。
入団1年目の代打の神様八木裕
晩年の伊藤文隆
90年代の中継ぎエース弓長起浩。先発起用がなかったのと、リリーフカー導入が惜しまれる。池内なみにスーパーカブ二人乗りが似合ったと思われるヤンキーフェイス。
カーライルとの見分け方がわからぬままのハンセル。カーライルとは違い先発ローテーションでそこそこ活躍。
オリックスからやって来た、当てればデカいジョージ・アリアス。オマリー特命コーチの指導で打率向上とスランプで塞ぎこむ悪癖を改善するもオマリーがベンチ入りしなくなった04年再発して帰国。
最も美しいワインドアップ能見篤史。インサイド攻めのできないジェントルハートを克服して5年目にブレーク。翌年は国際大会出場で調子を崩して前半休むが後半8勝負けなし。その後開幕投手を3度務め、晩年はリリーフ転向。長きにわたってポーカーフェースを貫くが引退勧告をけって移籍したオリックスでは笑顔解禁。
中日やアメリカで活躍したチェン・ウェインがロッテから移籍。2年間二軍調整で契約解消。
リリーフで実績を上げた岩貞祐太が17番から変更。

15背番号[15]の名選手列伝
チーム創設時から戦後しばらくにわたる主戦投手御園生崇男。投げない日は内野も守り、晩年は野手として活躍。
大洋で新人王と連敗記録を達成して東映を経てやってきた権藤正利。軸足をひょいと曲げる投法で防御率1位を獲得。バッキー荒川乱闘事件の直後にリリーフに出てきてあろうことか王の頭に当てる。「サルでもタバコ吸うんか」発言がひきがねで金田正泰監督を殴る
安仁屋に18番を譲った谷村智啓。阪急に移籍しての引退前の最後の登板では先発であれよあれよの完投勝利。
大町と同期のサイドスロー赤松一郎。社会人出の即戦力のはずが入団4年目ぐらいでようやく一軍デビュー。筆者が観戦する横浜球場で投球の際にヒジの腱が切れて再起不能。
南海から帰って来た上田次朗
兄貴とともに入団した嶋田章弘。85年3試合ぐらい好投。打者に転向してウェスタンリーグ連覇に貢献。
ニヤけたツラしてノーヒットノーラン湯舟敏郎。新聞はスポーツ紙しか読まない野球選手が多いなか、社会人野球情報が豊富な毎日新聞を購読。近鉄移籍後すぐ引退。二軍投手コーチで帰ってくるが、ファームで調整のはずの福原が悪くなって一軍に帰ってきたという罪状で更迭。
02年芽が出て、オフの滝修行でいよいよ、という03年になって新たな故障発覚藤田太陽。05年1試合だけ先発してMVP投票で1ポイント獲得。登録名を「太陽」にしたりサイドスローに挑戦したりするものの芽が出ず在籍8年半で西武移籍。中継ぎで少し芽が出る。
藤田との交換で西武から来た水田圭介。32番に変更後新井良太とのトレードで中日移籍。
立命館からドラフト2位で入団のサウスポー藤原正典
新日鉄住金鹿嶋からドラフト1位で入団のサウスポー横山雄哉
高校BIG4の一人でドラフト1位入団の西純矢。スタメン時は捕手坂本を9番に追いやり8番を打つなどその打力にも期待。

16背番号[16]の名選手列伝
東急で青バットの大下とケンカしてやって来た櫟信平。スカウト〜バッティングコーチとして掛布を育てる。
吉田義男と鉄壁の三遊間コンビを形成した三宅秀史。常に上位打線でフルイニング出場。金本に塗り替えられるまで連続イニング試合出場の日本記録を持つ。練習中に小山の投球が目を直撃して、選手寿命を縮める。引退後、少しだけコーチをした後は球界から身を引き、マスコミ取材も余り受けない隠れた名選手。
ドラキュラ上田二朗(次郎、次朗)。とくに中日ドラゴンズ戦に強くドラキラーとも呼ばれる。が、73年の中日球場優勝決定試合は、会社意向により微熱ということで登板回避。最終試合の甲子園で先発炎上。この年、9回二死までノーヒットノーランのあと一人というところで長嶋に打たれる。73年の大活躍以降は先発の柱の一本として活躍するも10勝するかしないか。力が落ちてきたところで南海に移籍。数年して、さらに力が落ちたところで南海からシーズン途中に復帰。復帰後最初の登板は神宮球場で先発。スローカーブの連投で5回持たずにノックアウトするも打線が打って勝つ。これを2連勝目に11連勝の偉業。が、以降次朗の登板はなし。コーチを務めたあとフロント入りし、管理部長などの要職を歴任。
岡田選手が電撃的な婚約発表玉造のプリンス・どんでん岡田彰布。田淵の大学ホームラン記録にあと2本ぐらいまで迫った早稲田のスラッガー。6球団競合のドラフト1位を岡崎代表が当たりクジを引いて、田淵と違って喜んで入団。小学生のときにキャッチボールをしてもらったことのある三宅の16番を受け継ぐ。大学ではサードだったが掛布がいるんでセカンドコンバート。が、ブレイザーはヒルトンを使うので、怒った客の圧力(嫌がらせ)に耐えかねブレイザー辞任。中西監督になって晴れてレギュラーになって新人王。オールスターは代打の初打席でホームラン。中西譲りの前に構えたバットを引きながらタイミングを取る打法を習得。4年目ぐらいのときに二遊間の難ゴロを取ったときに股が裂ける重傷。休んでる間に、守備を重視する安藤監督がセカンド真弓ショート平田を固定して、慣れないライトやファーストや代打で冷遇。吉田義男が85年に帰ってくると、真弓をライトにコンバートして岡田をセカンドに戻す。苦手だった後方のフライをバッティングマシンによる特訓で克服。守備も上手になって平田とのコンビで幾度となく実現困難な併殺を完成。85年には三冠王を獲ってもおかしくない打撃成績を残すが、すべてバースによって上回られてしまった。オリックスを経て二軍監督。NHK出向という星野の申し出を断って、03年から三塁コーチ。星野退団で04年から予期せぬ監督就任。早稲田出のルーキー鳥谷重用で評価を落とすが、05年今岡5番サード、安藤先発転向、JFKリリーフトリオなどの布陣が大成功して優勝。一気に挽回するものの日本シリーズで元の木阿弥。ラインバックがやり始めたデーゲームで目の下に墨を塗るのがシールになると真っ先に導入。また帽子の上にグラサンをひっかけるなどのファッションリーダーでもある。監督辞任後オリックス監督を経て解説。加齢とともに歯に衣着せぬどん語に磨きがかかり一般人は理解不能なるも監督復帰、「あれ」を目指す。
テレビ解説で「これではすぐに打たれます」という耳のハナをあかして完投勝利の山崎一玄。その後はイマイチの成績で湯舟、北川らと近鉄移籍。打撃投手として復帰。
外角低目を取ってくれる審判なら絶対打たれなかった安藤優也。05年先発転向後、二段モーションを改め安定してローテーションの一角を守り、3年連続開幕投手。ピッチャーなのにオフにダイエットするなどして調子を崩すが福原とともにリリーフに転向してベテランの味を出して復活。引退試合でのセレモニー後のグランド一周では同時引退の新井良太の方に目立たれてしまう。
オリックスからFA移籍の西勇輝。絶妙の制球力で変化球を内外角に投げ分けるが球威低下とともにリードをすぐに吐き出す悪癖が垣間見える。
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背番号[17]の名選手列伝

球団創設時の契約第1号選手門前真佐人
50年代の名内野手白坂長栄
70年代後半の代打の切り札桑野議。後のビートたけしのように首をひねりながら打席に立ち、出塁しても首をひねり続ける。
数多いる、活躍できなかった隠し球的ドラフト1位の代名詞源五郎丸洋。1年目のキャンプで故障して終了。
「こいと」渡辺と同時期に入団して同じように先発要員候補のまま終わった太田貴
高卒4年目ぐらいで1軍先発も経験していよいよというときに同窓の先輩中込のいじめに遭い投げられなくなった山村宏樹。移籍した近鉄ではそこそこ活躍。
西武で新人王のアンパンマン杉山健人。左の中継ぎとして期待はずれで谷間の先発ももちろん5回ともたずに降板。すぐさま近鉄移籍。
近鉄で長くレギュラーを張った吉田剛。藤本、沖原の入団でご苦労様。
ヘンなヒゲで1年目から投げて打って走っての大活躍トレイ・ムーア。2年連続で暑くなってから調子を落とす。
05年ローテーションの谷間を埋めたブラウン。 だいたい5回4失点ぐらいの投球ながら打線の援護に恵まれて夏までに4勝1敗の成績を収めたが杉山の台頭で用なし。
登板1試合で終わった金村大裕
三浦大輔FA移籍に備え杉山直久が18番から変更。
晩年東京国際大監督に就任した古葉の教え子伊藤和雄。肘を壊して育成契約後92番で復活。
横浜商大からドラフト1位入団岩貞祐太。3年目にブレイクして10勝もその後続かずリリーフ転向。チキンハートが弱点で広島遠征とピンチに弱い。能見引退後14番を継承。
2年連続最多勝の青柳晃洋が50番から変更するや調子が上がらず二軍落ち。淡路島旅行などで気分転換した後半少し持ち直す。

18背番号[18]の名選手列伝
球団創設時から毎日大量引き抜き事件までの大エース若林忠志。監督も兼務して後半は背番号30。徴兵で選手も客も少なく、また戦況悪化で途中で打ち切られた49年は、阪神電鉄車両工場に「動員」させられながら50数試合のうち30試合強に登板して22勝で優勝。
2リーグ分裂後のエース梶岡忠義。コーチとして62年64年優勝。OB会長も務め、一時期OB戦の先発をよく任された。震災後、千葉に引っ越され03年逝去。
草魂鈴木啓示指名の予想を裏切っての初代ドラフト1位石床幹雄。源五郎丸ほどではないにしろ、ほとんど登板なく終わる。
左足を上げると同時に右手の振り下ろしを始める変則投法谷村智博(智啓)。超スローカーブなどもまじえつつのテンポよい投法。相手投手が松本の中日戦や安田のヤクルト戦だと2時間かからず終了。江本、古沢、上田との四本柱で開幕から10試合ぐらい連続完投で山本和、安仁屋らのリリーフ陣を休業状態に追いやったのは15番に換えてから。
若生とのトレードで広島からやって来た沖縄初のプロ野球選手安仁屋宗八。移籍1年目にストッパーとして活躍し防御率1位でカムバック賞受賞。当時のストッパーは2点ぐらい負けてる7回ぐらいからでも登板。
銀縁眼鏡のサラリーマン的風貌で実働4,5年なれど強烈な印象を残す大町定夫。アンダースローから緩い変化球を内外角に投げ分けると、稀に相手打線は打ちあぐねてくれる。KBS京都制作「上岡龍太郎のそれ行け!タイガース」ではゲスト出演の素人大学生ファンの、好きな選手は?との上岡の質問に対する回答「大町」「中村勝(当時二軍監督)」「掛布の嫁はん」という三段ギャグに登場。
中西1位のドラフト2位池田親興。野村が先発した84年開幕戦、いいところで救援デビュー。中畑に真っ直ぐの連投で同点タイムリーを喫する。が、この年9勝して新人王候補でエース格に。翌年も9勝。日本シリーズでは第1戦先発で完封勝利。3年目以降、塁間の青いゴキブリ松本にカカトを踏まれて骨折したりと故障がちで大野らとともに4対5の大量トレードでダイエー移籍。池田はリリーフエース、大野は盗塁王など活躍するが、ダイエーから来た5人はニャンコ藤本をはじめまったく使えず。
村山につけられた1番から解放された野田浩司。今にもヒジを壊しそうな横手投げでエース級の活躍もヒジを壊してオリックス移籍。オリックスで復活して奪三振の記録を塗り替えたり、日本シリーズ出場など大活躍。野田の交換相手が松永だっただけに史上最悪のトレード
首都リーグ2部の東経大から朝日生命。社員のほとんどが強いのか弱いのかわからなかった野球部をあと1勝で都市対抗というとこまで導いた藪恵壹。1年目9勝で新人王。その後もエースとして君臨するが打てないチームにあっては10勝ちょいがやっと。打たれだしたら止まらない持病や清原にぶつけ続けるなど、見かけによらぬ熱いハートの持ち主。01年、絶不調にあえぐが、02年から背番号を4番に換えて復活。04年を最後に渡米。
ヘンなモミアゲで1年だけストッパーとして活躍したバルデス
03年の自由獲得枠で龍谷大からやって来た杉山直久。素直なフォームで球の出所が見えるときは打たれだしたら止まらなかったが、05年途中から悪癖を改善して先発ローテーション入りし初完封も記録、日本シリーズにも先発。デッドボールを受けて険悪な雰囲気になっても、ニヤけながら一塁に走って場をなごませること二度三度。
ドラフト1位で法政から入団の二神一人。特段の活躍なく数年で球団職員に。
帰国1年目の藤川球児
清宮・安田の外れ外れ1位馬場皐輔。一軍二軍のエレベーターを繰り返し、自分で作ったピンチを切り抜ける自作自演馬場劇場で握りこぶしを握る。

背番号[19]の名選手列伝
初代Gキラー、酒仙投手西村幸生。沢村と同じ宇治山田出身。ライバル沢村以上の活躍をするが、沢村が在籍中に戦死なのに対し、西村は退団後に戦死のため扱いが過小。
ダイナマイト打線の名捕手、きかん坊、闘将土井垣武毎日大量引き抜き事件時に「十年選手」の権利を行使して毎日に移籍。
朝日生命から電鉄本社に入団、タイガース出向扱いの大津淳。引き抜き事件後貧打時代のクリンナップ。退団後、球団フロントで要職を歴任。
シングルキャッチの鉄仮面藤井栄治。1年目から打線の中軸で62年、64年の優勝に貢献。余計な力のまったく入らない脱力スイングでバットの真芯をはずさず投球をとらえ、1本もバットを折らずに1シーズン乗り切ることもあった。脱力スイングは藤田平に継承。
小林に19番を獲られるまでの工藤一彦
球宮崎キャンプに向かう羽田空港でトレード通告。耳との交換でやって来た細腕エース小林繁。井川慶出現まで球団最後の20勝投手。独特の二段モーションの形態模写で明石家さんまが出世の礎を築く。レコードまで出したタイトルは「頼れるエースはアンダースロー」。小林のレコードヒット作は「亜希子」。宇多田母との交際を相手ベンチから野次られ大炎上、開幕戦敬遠球サヨナラ暴投など、パンチパーマ・ファンキィ系の野球選手ファッションを改革したファッションリーダーにあるまじき暴走もしばしば。しかし、ほんのちょっと力が落ちてきたところでアッサリ引退して老醜を晒さず。
85年胴上げ投手、球道中西清起。1年目、門限後に虎風荘を抜け出し中に歩いた壁から転落してビール瓶上に落下、大怪我で出遅れる。お父さんも不運な転落死。2年目、カーブに磨きがかかり魔球パームボールもマスターして山本和とのダブルストッパーに成長。山本和アキレス腱断裂後、一人でストッパーを務める。日本シリーズは相手打線弱すぎ、出番少なく終わる。中村監督の開幕戦完封勝利後は故障がち。気に入らない奴、例えば元木などにはそのケツめがけて投球するなどの男気を発揮。平田、木戸とのNHKトリオで宴会を盛り上げる。コーチ就任後はリリーフ経験を活かしたブルペン担当で、JFKトリオを生み出す。
スローモーションのような二段投法でスローカーブなどの変幻自在な投法でノーヒットノーランや大リーグ完封など偉業を達成する川尻哲郎。しばしウェスタンリーグの優勝等に貢献した後、近鉄を経て楽天。
04年自由枠ルーキー筒井和也。消化試合で初先発初勝利をモノにするが、故障。
台湾からの留学生をドラフト1位指名蕭一傑。ウェスタンリーグで最多勝も一軍登板機会に恵まれず、ソフトバンク育成を経て故郷台湾へ。
未完の大エース藤浪晋太郎。数々の伝説を残すノーコンをひっさげ渡米。

背番号[20]の名選手列伝
2リーグ分裂ちょっと後頃の新人王投手西村一孔。1年目の酷使がたたり4,5年で退団。
中日からやって来たアンダースロー石川緑。62年64年優勝時ローテーションの一角を担う。
西濃運輸から入団のダンプ辻恭彦。山哲、ヒゲ辻、田淵の第2捕手を長く務めてヒゲ辻とのトレードで大洋へ。キャッチャーフライをへそで捕球。
80年代永遠のエース候補伊藤文隆(宏光)。大好投もあれば1,2回でKO,まだ2点しか取られてないのに5回表に代打を送られる、6点取られてよれよれでも8点取ってもらって完投勝利など様々なヴァリエーションで80年代チームの浮沈を象徴してたかも。ただし、85年は前後数年で一番不調なれど日本シリーズでそこそこの好投。
その伊藤と同じ顔、体つきで同じ投球フォームゆえ「こいと」と呼ばれた渡辺伸彦
バルセルナ五輪銀メダル台湾チームの大エース郭李建夫金的直撃打球を受けもんどりうって投手寿命を縮めるも、退団後は台湾で活躍。
02年リリーフで大活躍したものの他球団に慣れられて限界が見えた金沢健人。 正田樹とのトレードで日本ハムへ。オリックスを経てソフトバンクに行ってから中継ぎでそこそこ活躍。
日本ハムからやってきた新人王正田樹。1試合も登板せぬまま台湾へ。その後アメリカや独立リーグを経てヤクルトで少し活躍。
ドラフト自由枠入団の筒井和也が19番から変更後、中継ぎ・敗戦処理でしばし一軍定着。
メンデス、ロサリオを経てソフトバンクからやってきた中日ではエースだった中田賢一。ローテーションの谷間を埋めきれず引退。
小園の外れ1位森木大智
21
背番号[21]の名選手列伝

池田の前のセンター山尾孝雄
上田、谷村、山本和と当たり続けたドラフト1位に終止符を打った五月女豊。芽が出ぬまま太平洋を経て大洋で中継ぎ。ライオンズ時代、何故か筆者自宅前に出現。「太平洋の五月女さんですか?」という筆者の問いかけにうなずく五月女だったが、当時はクラウンライターライオンズであったと直後に気づく。
阪急から1年だけ来たガソリンタンク米田哲也。翌年近鉄に移籍して350勝達成。
ドラフト会議で司会のパンチョが「性はセックスの性」と読み上げた益山性旭。1年目に王、張本連続見逃し三振というV9暗黒時代にはあり得なかった快投で審判団の変化を天下に示す。年に1回だけの完投勝利を4,5回やって打撃投手に。
南海からやって来た山内新一。何故か先発ばかりでリリーフをしない登板スタイルで連続先発の日本記録達成。2年だけの在籍なれど、5回まで投げて後は福間−山本和で逃げ切ること度々。
清原のハズレ1位、金さん遠山昭治。1年目9勝で新人王候補の活躍も2年目以降低調で高橋慶彦と交換でロッテへ移籍して一塁手。ロッテ解雇後テストに合格して復帰。(いっしょに受験したマイク仲田は不合格)サイドスローの投手に戻り中継ぎでカムバック賞受賞。とくにゴジラ松井キラーとして活躍。野村監督時には、相手打者に応じて葛西と交互にファーストを守り逃げ切る継投策を演じる。
打線低迷時に久慈とともに何度もノーヒットノーランをされるピンチを救った関川浩一。捕手として力量不足だったが、中日移籍後外野に専念して優勝。その後楽天。
山本和似の知的なサウスポー吉野誠。03年日本シリーズでの好投で評価を上げるが、以後さっぱりで1イニング64球の記録などを残し浜中とともにオリックスへ。
1型糖尿病を患いながらも漢代からドラフト希望枠で入団のココリコ岩田稔。球筋の定まらない日本人離れした汚い速球と鋭いスライダーをはじめとする多彩な変化球で3年目にブレイク。10勝したのはその年だけで激しい浮き沈みながら消えそうで消えないマジックみたいに15年の在籍で日本シリーズや国際大会でも活躍。
27番と46番を経て晩年の伊予ゴジラ秋山拓巳

23_22背番号[22]の名選手列伝
毎日大量引き抜き事件、藤村富美男が衰えた後、四番を務めた田宮謙二郎。当時あったFAのような「10年選手」で大毎へ移籍。長くOB会長を務めながら、台湾で監督をやったり市会議員をやったり。
すべてを勝利に
長嶋の8本を倍増以上の22本で東京六大学ホームラン記録を塗り替えた田淵幸一。ドラフトで意中の球団に入れず泣く泣く入団。1年目から22本塁打で新人王。球界史上最高に高々と打ち上げた打球が浜風に乗ってレフトポールを巻くホームラン打球の美しさからホームランアーチストの称号を得る。筆者が野球を見始めたのはちょうど頭部死球で休んでる間。四番打者と言えば「遠井」だった印象を復帰後一瞬で吹き飛ばす。いいところでホームランを打つと必ずねじり鉢巻などをした客が一人か二人飛び出し、三塁から本塁まで併走して球場係員に取り押さえられる。

病気治療薬の副作用などでぶくぶく肥りだし、江夏、遠井らと阪神相撲部屋を結成。動きが緩慢になり、パスボールを追わない、キャッチャーフライを追わないなどを追及される。筆者は観戦試合でまさにパスボールを追わない場面を目撃したが、そのときは淡口の足に当たっていたようにも見え、デッドボールを主張した方がランナーの進塁を食い止められる頭脳プレイと見たが、一般的にはそんな風には受け止められない人柄。シンキングベースボールのブレイザーによって放出。小津社長の深夜のトレード通告に泣く泣く移籍。星野監督就任時に打撃コーチとして復帰、濱中にうねり打法を伝授する。


田淵の法政の後輩木戸克彦。レギュラーを獲得した85年に優勝。ピンチ時にはベンチの秋山−土井の明大バッテリー・土井淳コーチの出すサインを投手に伝達していたと噂される。近眼の伊藤のために指にマニキュアを塗ってサインを出す。中西、平田とバラエティ担当NHKとして宴会を盛り上げる。平田とのコンビは高橋源一郎のポストモダン小説「優雅で感傷的な日本野球」にも登場。平田ともども球団から足を洗えず、コーチを歴任。二軍監督で度々優勝も05年オフ、昔ならスポーツ紙を賑わすだろう島野二軍監督就任に伴う降格人事を飲まず退団。
一人もモノにならなかった90年代高卒ドラフト1位の一人中谷仁。中込の投げた携帯電話を、ふだんキャッチャーミットを使っていたせいか、素手で捕球できず目に受け失明の危機に瀕する。重い背番号に代えて、02年公式戦出場も1安打のみの打率0割台で楽天移籍。野村再生工場で1年だけ少し活躍。引退後高校野球監督に就任して甲子園帰還。
未来の主軸候補喜田豪は早々に重い背番号に変更。
怪我を恐れないファイトとどこでも守れる器用さを持ちあわせたキンケードが来日するも怪我でほとんど使えず。
名前にちなんだ92番から変更の藤川球児が05年大化け。速球王山口コーチの指導で無駄な膝のためをやめた独自の快速球火の玉ストレートを習得、風船を膨らませてる間によく打たれた6回裏や7回表を完全に締める。ジェフウィリアムス、久保田と磐石のリリーフ陣JFKを形成。セットアッパーの分際でMVPポイント第3位の大活躍。クローザー転向後も10連投などの大活躍の後米国で肩・肘を休ませ、四国アイランドリーグを経て復帰。
藤川渡米期間のクローザー石仏呉昇桓。クライマックスシリーズでも石直球を投げまくって2位から日本シリーズ進出。2年の在籍でアメリカを経て韓国帰国。

背番号[23]の名選手列伝
台湾から裸足で全国中学野球大会に来て大活躍、よみうりを経てやって来た呉昌征。ピッチャーでノーヒットノーランの偉業を達成するも、おもに中堅手としてダイナマイト打線の1番打者。毎日大量引き抜き事件で毎日へ。
麻の豊田、木綿の広岡の上を行く絹の吉田、今牛若丸吉田義男。立命館を中退して入団するや1年目からレギュラー。しかし、テレビ中継の滅多になかった時代、「阪神に就職した」と言うと駅員か車掌をやってると思われる。20年近く1番ショートを守り続け、62年64年優勝。その間にチームは村山閥と吉田閥に分かれ、村山監督就任をもって引退。関西テレビの解説などをして満を持して75年に監督就任。優勝争いをするも、吉田派で村山監督就任時にトレードを志願したヒゲ辻ヘッドコーチと仲違い。ヒゲ辻にどケチ暴露本を出版される。江夏も放出。85年、2回目の監督就任時に「一丸野球」で優勝。が、2年目以降、米田ピッチングコーチと仲違いして後楽園遠山メッタ打ち続投事件、報道陣と険悪になり「カサで突いたろか」事件などを引き起こす。その後、第2次村山監督就任時に村山と歴史的和解。フランス代表監督を経て3度目の監督は久慈・関川を出して獲った大豊がサッパリで成績は上がらぬものの、とくに問題は起こさず、大阪ロマンズ監督へ勇退。そんなこんなで23番は永久欠番扱い。
24
背番号[24]の名選手列伝
ダイナマイト打線の二塁手本堂保次毎日大量引き抜き事件で毎日へ。
仏のゴロー遠井吾郎。「日本野球史上最強の打者は?」という雑誌記事の問いに田淵をして「遠井さん。朝まであれだけ飲んで打てる人を他に知らない」と言わしめた酒豪打者。田淵死球欠場時に四番を務める。鎌田、吉田、三宅の名手ぞろいの内野陣の一塁を守るが、遠井のへんにフライが上がったときの緊張感には比類するものなし。球界一の鈍足でありながらオールスターでランニングホームランの伝説を残す。第二次後藤クマさん監督の1年だけバッティングコーチを務めるが「別に何もしてません」と本人曰く。退団後、大阪でスナック「ゴロー」経営。その後、郷里の山口県でスナック「ゴロー」を経営して05年逝去。
福間全盛期に第2の左の中継ぎ佐藤秀昭。日本シリーズではピンチだけ残して降板。移籍した近鉄で1年だけ大活躍。
入団4年目ぐらいに藤田監督に四番に抜擢されるも、その後10年近く四番打者になりかけ中の悠久の若虎桧山進次郎。再三のサードコンバートを断固拒否して外野の定位置争いを毎年繰り返すものの、03年は春から一塁でスタメン。それでも、ミットは使わず外野用のグローブで一塁を守るという草野球では当然の守備スタイルをプロでもやってのける一徹者。左中間のキューピーマヨネーズ看板に打ち込むホームランを持ち芸とするが、選手会長就任後は自覚と責任のなせる業か、つなぎに徹する。05年はお笑い外国人スペンサーとの併用も優勝決定試合、代打で勝負を決めるタイムリーヒット。晩年は代打の神様となり都合22年間在籍。13年クライマックスシリーズ白旗代わりの代打起用でホームラン。これを最終打席に引退。
ロッテの横田の子横田慎太郎。金本超変革でオープン戦首位打者争いを経て開幕2番抜擢。翌年春季キャンプから消息不明。数か月後脳腫瘍治療中と公表される。緩解後育成契約となるも視力戻らず引退。引退試合で奇跡のバックホームの伝説を残し23年逝去。追悼試合で同期入団の岩貞・岩崎が八回九回を締める。
ヒゲのスイッチヒッターロハスJr.。左打席ではあまり打てないが、右打席ではもっと打てないのに2年在籍。
2人目のケラーBケラー。キャンプから調整不足を不安視されウェスタンリーグでも2,3試合投げただけで消息不明状態に。6月肘の検査で帰国のニュースでようやく所在がわかり、7月再来日直後契約解除。

26_25背番号[25]の名選手列伝
眼鏡のスラッガーとして六大学の人気者、後に遠近両用眼鏡を世に広めた別当薫。右翼手でダイナマイト打線のクリンナップ。入浴時にフリチンの藤村富美男が頭をまたいだことにキレて毎日大量引き抜きで毎日移籍という俗説があるが、本人は否定。
62年優勝時の正捕手山本哲也
51番になってエース級の活躍をする前の古沢憲司。高校を中退して入団。あだなのバーディは、入団時虎風荘にいたバーディという名の犬に由来するという説が有力なれど、ゴルフで言う「パーの下」説も捨てがたし。
亜細亜大出と思えぬ知的な容貌で先発に救援に大活躍した山本和行。一年間のほとんどをリリーフで15勝してチーム勝ち頭みたいな現代の野球では信じられない登板形態。阿久悠作詞の大ヒット曲「サウスポー」のモチーフとなる。ただし、魔球というほどの決め球はなく、インサイドワークとフォークボールで王とかを翻弄。
六大学で法政全盛期のエース猪俣隆。巨体を持て余しながらも年に2,3試合は大好投。後にアメリカですし職人。
02年田淵の指導でうねり打法を習得して一躍四番の座を獲得した濱中おさむ。ケガに泣く野球人生は師匠ゆずりかと思われたが「25番は(優勝直前に怪我で休んだ山本)和さんのイメージがある」という岡田監督の発案で31番に変更。
とても使い物になりそうな感じがしない前川勝彦が近鉄から移籍。1試合だけ先発したあとはおもにウェスタンリーグ。
打者の手元でくくっと曲がるスライダーの魔術師渡辺亮。3年目から12番に変更。
広島から涙の会見(「どこで覚えてきたのでしょう?あの猿芝居」(金本談))FA移籍でやってきた新井さんこと新井貴浩。1年目前半打ちまくって首位独走に貢献した後、五輪で腰椎骨折後の後半大失速で岡田辞任。その後も打点王併殺王失策王の三冠獲得など役に立ってるのか立ってないのかわからない在籍7年で自由契約。広島復帰後MVP、後に監督。
その新井さんと同じ駒沢大からドラフト3位入団の江越大賀打撃のないスポーツなら何でも一流だっただろう身体能力で代走・守備固めなら超一流。低めの変化球を見極められずに当たったら飛ぶ打撃力を滅多に発揮できないまま新庄に請われて日ハムへ。
その江越とのトレードで日ハムからやってきた速球破壊王子渡邉諒。4月に1試合だけ東京ドームで活躍したが、まだあまり破壊していない。

背番号[26]の名選手列伝
小山・村山時代の直前からスローカーブを武器に準エース級の渡辺省三。引退後、九州担当スカウトとして新庄ら名選手を獲得するも謎の転落死。
阪急からやって来たポパイ切通猛。桑野の後の左の代打の切り札。筆者が観戦した西京極のウェスタンリーグ阪急−阪神戦では阪急の4番打者として決勝ホームラン。この試合で、遠征に連れて行ってもらえなかった佐野がサードで大トンネル。
代走での起用もたまにあったゾウさん工藤一彦。開幕投手も務めるようになるころには、代走要員からははずれる。巨体を持て余し気味のまとまった投球フォームからフォークボールを繰り出し、安藤監督の11連勝時には小林、伊藤と中三日ローテーションで先発して肩を痛めるも頑丈なのですぐに復活。
東北球界随一と謳われて入団の竹内昌也。前髪とともに薄い印象しか残さずパリーグへ。
ハンセルとの見分け方がわからないまま登板機会に恵まれずウェスタンリーグ連覇に貢献して帰国したカーライル
03年自由枠ルーキー江草仁貴。怪我を克服した05年初勝利を上げると裏の磐石リリーフ陣HESの一角として、ロングリリーフや敗戦処理に活躍。フォークボールが低く行きすぎてワイルドピッチ連発の悪癖を日本シリーズでも披露。
敵より故障との戦いが長かった歳内宏明。球団職員への転身を固辞、独立リーグを経てヤクルト入団。
台湾の大学から入団のサウスポー呂彦青(ルー・イェンチン)。一軍登板なく帰国。
2番を梅野に譲った北條史也

27背番号[27]の名選手列伝
ソロムコとのトレードで毎日からやって来た若生智男。村山、江夏らの陰で地道にきっちり仕事をした東北人イメージの典型。安仁屋とのトレードで広島へ。引退後いろんなチームでピッチングコーチとして地道に働きご子息が東大合格。
榊原とのトレードで日ハムから来たアンダースロー宇田東植。1年中継ぎを勤めてヘテタイガースへ。
その全盛期が木戸の全盛期と重なってしまいレギュラーになることなく終わった嶋田兄。カベ(ブルペン捕手)を経てブルペンコーチ。
92年準優勝の正捕手山田勝彦。打撃素人級など決め手に欠けて毎年レギュラー争い。打撃開眼するも1年だけで新勢力に押され日ハムへ。パリーグでは第2捕手を務めコーチ。
03年から日ハムからやって来たどこでも守れる馬面捕手野口寿浩。04年は鳥谷起用のあおりで出場機会が激減するが、腐らず2番に変更した05年ときたま好リード。
ドラフト自由獲得枠で入団の即戦力正捕手候補だった岡崎太一。数年二軍暮らしの後27番を譲ってからたまに一軍。
短髪白髪のアッチソン。先発で一息ながらリリーフに回って2年目はリーグ最多75試合登板のタフネスぶりを発揮するも帰国。
伊予ゴジラ秋山拓巳。遠山以来高卒ルーキー無四球完封など1年目後半だけで4勝してその打棒とともに期待が高まるもぱっとせぬまま7年過ごした後半はウェスタンリーグの大エース。46番に替えた17年にブレークして12勝。
前田大和FA移籍の人的保障で大洋(当時すでにDeNAに改称)からやってきた尾仲祐哉。おもにウェスタンリーグで活躍してヤクルトへ。
大学・社会人を経て同期入団の佐藤輝とともに1年目からベテランの風格を醸し出していた伊藤将司。右手グローブを高々と上げる変則投法から多彩な変化球を繰り出し安定的に先発ローテーションを守るが毎年どっかでちょっと休むんで規定投球回若干未達。

28背番号[28]の名選手列伝
年間401奪三振、オールスター9連続奪三振など宇宙最大級の奪三振王江夏豊。ソリトン、YOUの前身教育番組「若い広場」司会で、昔は日本に一人しかいなかったスポーツライター山際某のおかげで日本シリーズ21球伝説が有名なれど、南海を経て広島に行ってからなので、筆者はむしろ近鉄を応援してたかも。いかにも近鉄沿線に多数いそうなルックスの石渡の表情が忘れられません。京都の名門洛星中学の入試面接で「いま、君がいちばん関心のあることはなんですか」という質問に三田寛子を輩出した七条第三小の井村某は「江夏の仕上がり具合です」と回答して合格。また、いまわし部族創設メンバーのひとりカッパ河原は大学卒業後、歯科医となり大阪刑務所に週一アルバイト。「江夏を診察できないか」と毎回そわそわしながら往診に赴くもどうやら江夏は静岡にいたらしい。江夏とその時代の詳しくは後藤正治著「牙」で。
江夏がらみの大量トレードで南海からやってきた長谷川勉
虎ボルタ中田良弘。81年、新人王候補として大活躍。オールスター前の中日3連戦で3連投約6イニング1勝1セーブ。翌日のジュニアオールスターでも3回か4回投げて勝利投手で最優秀投手賞。MVPはサヨナラ安打の藤倉に譲る。が、直後に肩を壊して、以降休み休み85年まで5年がかりで18連勝。テンポのいいピッチングで打線の援護を数多誘発。翌年から中4年休んで90年10勝でオールスター出場。その後、また中4年ほど休んで復活かと思いきや引退。
03年、そろそろ復活かパリーグかの瀬戸際だった福原忍が復活して05年右のエースも勝ち星には恵まれず04年の10勝15敗に続き05年8勝14敗で2年連続リーグ最多敗戦。晩年はリリーフに転向。14年から2年連続最多ホールドを獲得して引退、コーチへ。
伸びるストレートで金本時代に先発ローテで最多暴投・最多与四球のノーコン小野泰己。22年オープン戦最終戦、九回二死からの登板で14球連続ボール、押し出し後サヨナラ暴投を最後に在籍5年でオリックスへ。

背番号[29]の名選手列伝

明大出の大型捕手ヒゲ辻。近鉄、大洋を経てダンプ辻とのトレードで復帰。引退後、パンツマンなどの芸能活動。第1次吉田内閣でヘッドコーチ。モメて退団後は「タバコの1本1本に鉛筆で「ヨシダ」と書いてる」「水を1滴ずつ出して水道のメーターを回さずに、1日がかりで風呂の湯を張る」など吉田義男のケチっぷりを暴露。
雨で開幕戦が1日延びなければルーキーで開幕4番の可能性もあった望月充。ケガの田淵が復帰して5番。結局、打ったのはその年のオープン戦だけで、江夏とともに南海に移籍。
江夏との大量トレードで南海からやってきた江本孟紀。当時は珍しかったヒゲで長髪の野球選手。古沢とエース争いをするも例年12勝14敗6セーブぐらい。先発も抑えもの大車輪のようでもあり中途半端のようでもある起用にキレて「アホやからでけへん」発言で即引退
ブルペンエース福家雅明。現在はTVディレクター。
85年優勝決定試合ウィニングボール捕球の渡真利克則。後に審判。
肝炎を患いながらレフトを守った石嶺和彦。パリーグではDHで打ってたのだが。
98年入団後遊びには金を使わず、練習以外はもっぱらゲームで体を休めて02年からエースの奪三振王、03年は顔面スクイズを決めた、だっぺ井川慶。05年は大一番でことごとく敗戦も大リーグ希望は変わらず07年渡米。NYヤンキースなどに在籍しつつアメリカに将棋を広める。
ドラフト希望枠入団も毎年ちょっとだけ一軍に顔を出す9年を過ごして打撃投手に転身したサウスポー小嶋達也
NYメッツ時代と同じ背番号29が空いてたキャンベル。打撃振るわずロジャース緊急獲得。
肘・肩の違和感なければ大エースに成長するはずの高橋遥人。22年手術で24年復活予定。
spase
 

ゆがめられた地球文明の歴史

ゆがめられた地球文明の歴史
イマケイ/文化研究/
ゆがめられた地球文明の歴史

スペイン社会労働党政権へ
うそ、つかない日本軍撤退のチャンス到来(04/03/16)
シンガポール軍、予定通り完全撤兵(04/04/06)
韓日合わせて10名虜囚(04/04/08)
カナダ人なども。韓国人宣教師は解放(04/04/08)
拉致外国人続々解放(04/04/13)
と思いきや今度はイタリア人(04/04/14)
イタリア人は殺害で日本人は解放(04/04/16)
拘束と解放が続々(04/04/18)
ホンジュラス軍、ドミニカ軍撤退決定。
ニカラグア軍も「予算不足」で
(04/04/21)
開戦以来月間米兵死者数最高値。
イラク人民死者数の統計報告なし
(04/05)
イングランド上等兵による捕虜のチンコ指差し爆笑写真流出(04/05/06)
サマーワでオランダ兵死傷
日本軍は仮設要塞引きこもりか?

(04/05/11)

サマーワ市街戦
オランダ軍VSサドル派民兵マフディ軍
日本軍は仮設要塞でもっぱら浄水?

(04/05/15)

浅田彰が全然似合わんWarIsOver!Tシャツ着用 画像は続憂国放談で(04/05/28)
イラクの中心でバカと叫んで橋田小川師弟戦死。合掌(04/05/28)
陸軍約100名集団食中毒の疑い
(04/06/12)
浅田。ジャケットをはおっても下は依然WarIsOver!Tシャツ於続憂国放談
(04/06/24)

参院選。撤兵勢力が改選過半数。とはいえたったの1議席(04/07/12)
運転手が拉致されたフィリピン軍、予定を繰り上げ撤兵の構え(04/07/13)
サマーワ市街戦。RPGで警官2人負傷
(04/08/08)
日本軍宿営地付近(宿営地内説もあり)に迫撃砲弾着弾(04/08/10)
サマーワに夜間外出禁止令
(04/08/14)
サマーワ近郊ルメイサ銃撃戦。オランダ軍1人マフディ軍団2人戦死(04/08/14)
パウエル国務長官、大量破壊兵器の発見を断念(04/09/14)
サマーワ日本軍宿営地内にロケット砲弾着弾(04/10/23)
身元不明の日本人拘束(04/10/27)
星条旗の上に死体遺棄という結末
(04/10/31)
またまた日本軍宿営地内に着弾(04/11/01)
イラク暫定政府、全土に非常事態宣言(04/11/08)
オランダ軍、ハンガリー軍、予定通り来年早々に撤兵の構え(04/11/22)
暫定政府、選挙を半年延期(04/11/27)
昨年末、米政府の大量破壊兵器調査団任務終了!とワシントンポスト紙報道(05/01/13)
ポルトガル総選挙。撤兵決定も野党社会党が単独過半数(05/02/21)
解放のイタリア人虜囚を米軍強襲(05/03/04)
英国総選挙。与党労働党勝利も大幅議席減(05/05/07)
日本軍の車列付近で爆弾爆発(05/06/23)
日本軍宿営地内にロケット砲着弾(05/07/04)
同時多発都市爆撃。ロンドン炎上(05/07/07)
サマーワ暴動。住民VS警官隊で住民1人死亡(05/08/06)
橋田VSAIU裁判。東京地裁は「武装反乱」と認定してAIU勝訴(05/08/23)
英軍豪軍、サマーワ撤退検討中。日本政府は投票締切まで情報隠蔽(05/09/13)
やれやれ。3月以降5月までの撤兵作戦立案中の模様(06/02/01)
政府成立もイタリア軍以外に撤兵作戦の進展なき模様(06/05/20)
日本陸軍に撤退命令。空軍は増強の模様(06/06/20)
陸軍撤退完了(06/07)
イラク特措法改正案可決成立。空軍派遣2年延長(07/06/21)
空軍派遣にイラク特措法違反&違憲判決by名古屋高裁(08/04/17)
空軍年内目処に撤退の方針発表(08/09/11)
空軍撤退へ(08/12/17)
さざなみ、さみだれ ソマリア沖に出撃(09/03/14)
横須賀市長選。小泉も応援入りした現職敗退(09/06/28)
横須賀からはるさめ、舞鶴からあさぎり、ソマリア沖に出撃
(09/07/06)
衆院選
派兵勢力140議席(194議席減)の
大惨敗で民主党政権へ
(09/08/30)
胸像

インド洋給油隊撤退(10/01/15)
外務省、いわゆる「密約」問
題に関する調査結果公表(10/03/09)
リビア出兵国連決議(11/03/18)
米軍、ラディン襲撃即水葬(11/05/03)
ビンラディン襲撃部隊SEALS搭乗ヘリ撃墜という口封じ(11/08/05)
シリア内戦で日本人ジャーナリスト死亡(12/08/21)
米国防総省、弾道ミサイル迎撃装備を4億2100万ドル(約350億円)で日本政府に売却の旨、米議会に通告(12/12/13)
内閣法制局長官に外務官僚就任の超異例人事(13/08/02)
国家安全保障会議(日本版NSC)創設関連法案可決成立(13/11/27)
特定秘密保護法可決成立(13/12/06)
第1回NSC開催。いきなり南スーダンPKO韓国軍に弾丸1万発無償譲渡決定(13/12/23)
防衛装備移転三原則で武器輸出容認の閣議決定(14/04/01)
安保法制懇解釈改憲による集団的自衛権報告(14/05/15)
閣議決定で解釈改憲(14/07/01)
特定秘密保護法12月10日施行が閣議決定(14/10/14)
特定秘密保護法施行(14/12/10)
実質軍事転用可能にODA(政府開発援助)大綱改定(15/02/10)
前代未聞!反知性首相、国会答弁で「わが軍」発言(15/03/24)
実質空母!日本海軍護衛艦いずも就役(15/03/25)
日米安保条約逸脱!地域制限撤廃の日米防衛協力指針、法的根拠なく政府間合意(15/04/28)
日本陸軍、30億ドルでオスプレイたったの17機購入予約と米政府より議会通知(15/05/07)
衆院憲法審査会「戦争法案」に与党推薦含む3学者全員違憲意見(15/06/04)
南スーダンPKO活動拡大などの戦争法案成立前提の統合幕僚監部内部資料を何者かが日本共産党にリーク(15/08/11)
国会前戦争法案反対集会12万人大盛況も記者クラブメディア報道僅少とくにNHK(15/08/30)
国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律ならびに我が国及び国際社会の平和及び安全に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律、通称「戦争法案」可決、成立(15/09/19)
防衛施設庁発足(15/10/01)
通称戦争法、3月29日施行の閣議決定(16/03/22)
福知山駐屯地展示の南スーダンPKO宿営地着弾弾丸、「なかった」ことにする政府答弁(16/04/08)
南スーダンPKO派遣部隊に通称戦争法に基づく駆けつけ警護任務付実施計画12月12日実施の閣議決定(16/11/15)
新任務付先発部隊、青森空港から日航機で出陣(16/11/20)
名護沿岸で米軍オスプレイ墜落を不時着と大本営発表(16/12/14)
陸軍南スーダンPKO部隊の日報、保存期限前に廃棄済と判明(16/12/24)
日報見つかって「戦闘」明記ただし「法的戦闘でない」と防衛相答弁
(17/02/07)
アベ友森友籠池会見中に南スーダン派遣部隊撤収方針発表(17/03/10)
陸軍PKO隊員5名、南スーダン政府軍に拘束後解放の報(17/03/18)
それに先立つ14日、飢饉対策人道支援で600万ドル異例の無償供与(17/03/14)
↑身代金だった?2月28日までに政府軍に武器強奪被害国会予算委質問(17/02/28)
洗脳解けた籠池理事長「愛国教育と決別」宣言の一方、教育勅語の教材使用容認の閣議決定(17/03/31)
米軍「朝鮮半島近海に向かう」発表後インド洋をさまよってた空母カールビンソンに海軍護衛艦さみだれ&あしがらが合流して北朝鮮挑発の不可解報道(17/04/23)
参院「中間報告」で共謀罪採決、可決成立
(17/06/15)
共謀罪法施行(17/07/11)
日報隠ぺい共謀に関する防衛省リーククーデターで統一日本会議系防衛相辞任
(17/07/27)
前代未聞。補助金不正受給の籠池のおっさんを大阪地検特捜部が「詐欺」容疑で逮捕(17/08/01)
アベ公邸泊の日に限って北朝鮮ミサイル発射実験(17/08/26,29)
日本海軍、米軍指揮下で12月より日本海および黄海の公海上で北朝鮮船舶の警戒監視行動を政府関係者がリーク(18/01/12)

イージスアショア実験2連続失敗(18/01/31)
なかったことにしていたイラク派遣「日報」を陸軍幕僚監部研究本部が「発見」(18/04/02)
横田にオスプレイ配備(18/04/05)
現職統幕監部(佐官級)が野党国会議員に「国民の敵」暴言で警察を呼ぶほどからむ(18/04/16)
日米首脳電話会談の時間まで捏造、トランプツイートで発覚(18/04/28)
南スーダン陸軍PKO宿営地2016年7月9か所被弾今頃発覚(18/09/02)
沖縄県知事選、翁長後継玉城デニー過去最多得票で当選(18/09/30)
横田にオスプレイ5機正式配備(18/10/01)
防衛省沖縄防衛局長の行政不服審査請求で国交大臣(公明)が沖縄県による辺野古新基地沿岸埋め立ての承認撤回を執行停止の行政不服審査法趣旨逸脱決定という脱法治国家事案(18/10/30)
対米武器ローンこの5年で倍増の5.3兆円に達し、防衛省から国内62社に支払い延期要請(18/11/29)
防衛大綱に海軍ヘリ搭載型護衛艦「いずも」の航空母艦化明記(18/12/11)
日ロ交渉不調を隣国ヘイトで誤魔化すかのようなタイミングで空軍威嚇飛行からの韓国軍レーダー照射問題勃発。韓国サイドの正論声明に池乃めだか師匠「今日はこれぐらいにしといたるわっ」定番ギャグで防衛省そそくさと撤収(19/1/24)
シナイ半島多国籍軍・監視団(MFO=非国連)に自衛官派遣を閣議決定。国会審議抜きの初前例(19/4/2)
5月9日に日本軍機墜落したばかりのステルス戦闘機F35を105機ゴルフと相撲と高級炉端焼きのついでに追加発注(19/5/27)
イージスアショア立地調査に現地検分なしの杜撰しかも誤謬発覚&住民説明会で防衛省職員居眠り(19/6/8)
護衛艦いずも空母化最初の着艦は米軍機と日本軍から米軍に3月通達済発覚(19/8/21)
「表現の不自由・その後」中止のあいちトリエンナーレ2019への補助金約78百万円を文化庁不交付(19/9/26)
注文したのに不発? 北朝鮮ミサイルでNHK誤報(19/12/26)
「調査研究」名目で海軍中東派遣の閣議決定(19/12/27)
中東派兵の護衛艦たかなみ横須賀港から出撃(20/2/2)
法的根拠なく東京高検検事長の黒川定年延長(20/2/3)
辺野古軟弱地盤護岸・岸壁工事6件打ち切りで303億パー(20/4/6)
イージスアショア、杜撰調査発覚と職員居眠りから1年を経て秋田市設置断念(20/5/6)
黒川合法化法案強行採決回避(20/5/19)
誰リーク?黒川賭け麻雀発覚(20/5/20)
黒川違法在任のまま辞表提出で処罰は超甘々の訓告(20/5/21)
イージスアショア秋田(ハワイ防衛)山口(グアム防衛)配備総額6千億円超計画撤回(20/6/15)
日本学術会議新会員候補105名中6名を首相任命せず(20/10/02)
護衛艦さざなみ、豪州海軍フリゲート艦ニューキャッスルと合同訓練(20/10/18)
核兵器禁止条約発効(21/1/22)
重要土地等調査法案可決成立(21/6/16)
山添拓参議院議(共産)昨年11月に「勝手踏切」を渡ったかどで埼玉県警書類送検の空前にしょぼい弾圧(21/9/16)
宮古島にミサイル弾薬搬入(21/11/14)
国交省、アベ治世下8年間のデータ改ざん公表(21/12/14)
財務省、赤木さん裁判認諾。1億超払って主犯隠蔽(21/12/15)
公安調査庁、国際テロリズム要覧からアゾフ大隊を削除(22/4/8)
国難を国葬(22/9/28)
ロシア製ウクライナミサイルがポーランドに着弾、2人死亡(22/11/15)
歳幣(軍事費)倍増計画発表(22/12/13)
2023年度軍事費は対前年126%(22/12/23)
広島市教委「平和教育プログラム」から『はだしのゲン』、第五福竜丸削除の方針(23/3/1)
ウクライナに必勝しゃもじ持参で470百万$(620億円)無償供与(23/3/21)
NATO日本事務所開設協議中と事務総長談(23/5/11)
発注金額と発注先だけ決まってて中身はこれから考える軍事費増額を担保する防衛財源法可決成立(23/6/16)
スペイン社会労働党下野
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