背番号[31]の名選手列伝
木枯し紋次郎以前に爪楊枝をくわえて活躍したカークランド。73年最終戦の最後の打者として度々ニュース映像に登場。このあと怒った客が王らをゲタで襲撃。
藤田平が知人の結婚式で休んだオープン戦で4安打してレギュラー獲りのチャンスを掴んだ第3代ミスタータイガース掛布雅之。応援太鼓の三連打に合わせて客がその名を叫んだカケフコールはその後の応援スタイルを一変させる。応援スタイルのみならず、芸人の登場シーンから一気飲みの順番コールまでカケフコールが社会に与えた影響は計り知れず大きい。浜風に乗せるレフトラッキーゾーン狙いの打法をあみ出して本塁打王獲得。この打法は85年優勝決定試合や日本シリーズ最終戦でも披露された。
一人もモノにならなかった90年代高卒1位ルーキーのひとり萩原誠−萩原誠斗−誠。
五輪決勝でダメ押しホームラン、明治のスラッガー広澤トラゾー克己。ヒーローインタヴューで六甲颪を唄いFA直後のいまわしい過去を清算。映画「ミスタールーキー」では佐藤たまお演じる取材記者をセクハラ発言で煙に巻くベテラン選手を(地で)好演。03年日本シリーズ第7戦で白旗代わりに出てきて見納めのホームラン。
「25番は(85年優勝直前に怪我で戦線離脱した山本)和さんのイメージがある」という岡田監督の意向を受け、濱中おさむが04年から。しかし、すぐさま右肩故障再発。05年は交流戦DHで活躍。
高校から野球留学に来ていた林威助が近大進学後ドラフト7位指名で入団後38番から変更して準レギュラー。一塁も守るが外野とともに守備の不安を上回るシュアな打棒を発揮。肩の怪我から年々出場機会を減らし台湾帰国。
引退後どこのコーチもしなかった掛布雅之が金本に請われて31番で二軍監督として復帰。2年で金本に敬遠され辞任。
ドミニカ共和国出身のメジャーリーガージェフリー・マルテ。ずる賢そうな中米ファイスのノーステップ打法で当たれば鋭いライナーを放つが、1年の大半か半分弱を休みながら4年在籍。 |
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背番号[32]の名選手列伝
俊足巧打のコメディアン加藤博一。
代走で守備固め。スイッチヒッターなれど打席に立つことは稀だった引間克幸。
PL−青学ー東芝を経て入団の振り子打法坪井智哉。闘志が表に出ないタイプゆえ星野に真っ先に出されるかと思ったがお父さんが星野入団時の中日のベテラン選手だったせいか、1年は置いてもらえるも骨折で出番少なく日ハムへ。パリーグでは首位打者争い。
03年から帰って来た久慈。年老いてもなお代走守備要員としてベンチを暖め05年シリーズ最終戦飛び出しアウトを最後に戦力外通告。守備コーチで帰ってきてからは概ねリーグ最多失策でエラーのたびにテレビに映る。
中日でくすぶってた新井さんの弟新井良太。一塁三塁左翼右翼をこなして徐々に出場機会を増やし、一軍半から準レギュラー、他に適任がいなんで四番打者と2年のうちにどんどん地位を上げる。補強選手が野手の主力を占めるなかにあって「良太がいちばん生え抜きみたいな顔をしている」(金本談)人気選手となって同日引退の安藤引退セレモニーでは安藤より目立ってしまう。
前田大和FA移籍に備え横浜戦力外の山崎憲晴を獲得。上本、糸原の守備固めで1年だけ度々登場。
西純、及川らの2019年高校生中心ドラフトで2位入団の未完の大器井上広大。ウェスタンリーグ平田意固地の四番起用で打点王や最多安打も獲得するが一軍戦力には及ばず和田二軍監督になって起用流動的。 |
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背番号[33]の名選手列伝
江夏の大量トレードで江本・島野らとともに南海からやって来た池内豊。カラスの鳴かぬ日はあっても池内の投げない日はなかった70年代後半からの中継ぎエース。広島球場で猿人・衣笠にデッドボール。猿人が怒ってマウンドに歩み寄るや否や物凄いスピードでベンチに一目散。中継のNHK西田アナは「いやぁ、衣笠が怒ったのにもビックリしましたが、池内の逃げ足の速さにもビックリです」。長崎とのトレードで大洋を経て韓国や独立リーグも含む各地でコーチ歴任。
和製カンセコ金子誠。
パリーグなら5,6番は打ててたサンジルシ醸造から入団の曽我部恵一。
04年ロッテからやってきて代打や一塁でも活躍したウォー葛城育郎。引退後高級焼き鳥店経営。
大阪桐蔭の好打者西田直斗。もっぱらウェスタンリーグで活躍後スーツ屋で修業してアパレルブランド経営。
三塁手としては長打力不足、走力守備力身長その他課題を持ちながら糸原健斗が明大後輩の高山・坂本に1年遅れて旧日石からドラフト5位で入団するやしぶとい打撃で金本超変革2年目の1年目から守備範囲に目をつぶって二塁か遊撃で準レギュラー。2年目3年目は全試合出場などしぶとくレギュラーを務めるが岡田復帰で代打要員に。 |
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背番号[34]の名選手列伝
たぶんカネやんと折り合い悪く放出と思しきロッテからやってきた池辺巌。川崎球場で1イニングだけキャッチャーも務める。甥は筆者の2期先輩で明大剛虎会創設メンバーの一人。佐野フェンス激突事件の際には、容態を気遣い打球処理をそっちのけにした人情の持ち主。
デビュー戦後楽園でタイムリーヒットも結局北村、吉竹に及ばずレギュラーを獲れなかった田中昌宏。
村山によってカネやんと同じ34番にかえられたマイク仲田。85年のNHK特集「エースなき優勝」で当時の吉田監督からもらった手紙を音読するが必ず漢字のところでつっかえる。3回か4回の開幕投手起用は実績以上の期待から。が、例年4勝10敗ぐらい。スライダーを覚えた92年に14勝の大活躍で準優勝の原動力となるも翌年はスライダーを敵に覚えられて狙い撃ちに遭って撃沈。ロッテへ。ロッテ解雇後、阪神のテストを受けるが不合格。いっしょに受験した遠山は合格。
緩急自在星野伸之がFAでやって来て野村時代主軸を務めるが、02年星野大量リストラで退団。
社会人時代は外野も守った橋本健太郎が05年入団。長身を持て余すチェンジアップ多投でピンチを切り抜け、江草桟原と裏の最強救援トリオHESの一角を成す。
橋健とのトレードでロッテからやって来た投げる哲学者久保康友。先発ローテーションの柱を3,4年務めてから藤川球児の穴埋めでリリーフ転向。守備(とくに伊藤隼太)に足を引っ張られて調子に乗れず、DeNAにFA移籍。さらに海外や独立リーグを放浪。
中谷将大とのトレードでソフトバンクからやって来た二保旭。先発救援オールマイティもソフトバンクからやって来る人が軒並み活躍するなかで精彩を欠く。
背番号[35]の名選手列伝
でかかった服部。
古溝と同じトラさんフェイスで1年目活躍したもののヒジを壊してその後さっぱり舩木聖士。
楽天からトレード移籍の坂克彦が長く一軍半で二塁を中心にいろんなところを守る。
公立の星才木浩人。高卒1年目から頭角を現すが肘を壊して手術。1年弱のブランクで復活すると前より速くなった速球とフォークで先発ローテーションの一角を、時折休みながら務める。23年日本シリーズではマメをつぶして流血の力投。 |
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背番号[36]の名選手列伝
80年代の第3捕手渡辺長助。
2年半だけ大活躍したストッパー田村勤。覇気も若さもまったく感じさせない表情とユニフォームの着こなしでタムじいと呼ばれる。
たまにホームランも打つ外国人投手ライアン・ボーグルソン。1年だけでシーツ退団で空いた4番に変更。
横浜高校の好打者濱卓也。ロッテ移籍後一軍半でそこそこ活躍。
東海大相模の好投手で強打者一二三慎太。既に高校野球でよく打たれていたが1年投手をやってから外野手転向。一軍登録ないまま育成契約で背番号は苗字にちなんで123番へ。
1年目の4月だけ活躍したマット・ヘイグ。キャンプで36番の背番号を見た当時評論家の岡田が「一二三!」と何度も呼びかけ、ようやく振り返ったヘイグを見て「うわぁ、外人やん」と言う松村邦洋のものまねネタに登場。
浜地真澄が高卒6年目だけセットアッパーとして湯浅岩崎の前の7回を守る。
背番号[37]の名選手列伝
二握り半余らせたグリップエンドがみぞおちを直撃しないかとハラハラさせた控え遊撃手榊原良行。
ヤクルトおよび近鉄在籍時に優勝。まさか阪神でも。3球団で優勝した幸運のピンチヒッター永尾泰憲。
近鉄から来た久慈の控え遊撃手米崎薫臣。
ローテーションの谷間とかでたまに好投した三東洋。左肩の故障癒えず引退後元スポーツ選手の整体師の先駆けに。
オリックスで正捕手も務めたが晩年岡田に干された日高剛がFA移籍で最後の2年在籍。
内野のユーティリティ森越祐人が中日戦力外でトライアウトを経て入団。おもにウェスタンリーグで様々なポジションを守って自由契約で西武へ。
高校ビッグ4の一人及川雅貴が西純1位のドラフト3位で入団。リリーフで西純より先に頭角を現す。 |
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背番号[38]の名選手列伝
世界大会イタリア代表で来日、神宮で打ちまくったスティーヴン・ラムが第3の外人として契約。シーズン半ばでのデード解雇で出場機会を得るが翌年までで解雇。
ライオンズからやってきて笠間の後の1年間だけ正捕手山川猛。木戸にレギュラーを奪われる。
ドラゴンズで活躍した与田剛がロッテ日ハムを経て一瞬在籍。
酷使がたたった後の弓長起浩。
台湾から近大を経てやって来たウェスタンリーグの主砲林威助(りん・うぇいつ)。3年目から31番に変えて一軍定着へ。
智辯和歌山から入団の大型捕手橋本良平。一軍に上がれずパナソニックに転職。
江草とのトレードで西武から黒瀬春樹。
ビール腹のクローザーマルコス・マテオ。真っ直ぐとスライダーだけで毎度苦しい登板でドリスにクローザーを譲るも中継ぎでそこそこ活躍。オールスターにも出て打たれる。
俊足好打の大型遊撃手小幡竜平。高卒2年目から代走守備固め要員で一軍定着。岡田復帰で開幕スタメンも木浪にレギュラーを奪われる。 |
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背番号[39]の名選手列伝
ヒゲ辻以前の正捕手山本哲也。
田淵がらみの大量トレードでライオンズから真弓らとともにやってきた若菜。大リーグのブルペンキャッチャーを経て大洋に返ってきた85年には、本塁上のブロックで真弓の肋骨を骨折せしめる。
90年代ウェスタンリーグの正ハンサム捕手吉田康夫。
在籍選手のほぼ全員が贔屓客に愛されるタイガースにあって、耳、松永とともにその例外にあるグリーンウェルの呪いを久慈・関川とのトレードで大豊とともに中日から来た矢野輝弘が払拭。中日を追い出した星野が監督で来た2002年のみ怪我で休むが、前後10年以上正捕手を務め2度優勝。年老いて怪我や城島入団で出場機会なくなり引退。引退試合は九回表藤川が打たれて出場せぬままセレモニー。引退後はコーチ、二軍監督、監督を歴任し乱闘でも活躍。
矢野引退で小宮山慎二が60番から変更。城島故障時の一時期ベテラン藤井の準正捕手。日高、清水、鶴岡、岡崎、ルーキー梅野、原口らキャッチャーだけで1チーム作れそうな並居るライバルにおされ39番を長坂に譲って二軍定着。
矢野と同じ東北福祉大からドラフト7位入団の長坂拳弥。その年唯一の打席でホームランを打った翌年9月の初打席でホームランを打つ2打席連続本塁打を記録する長打力を秘めるが39番を榮枝に譲り、岡崎の57番に変えて梅野、坂本の第三捕手。
立命館で東、坂本(ともに横浜DeNA)の球を受けてた榮枝裕貴。ベンチ入り最後の野手となって出番が回ってきた代打の初打席で同点タイムリー。
背番号[40]の名選手列伝
似顔絵師山藤に「最も猛虎魂を感じる」と言わしめたマイク・ラインバック。会社が契約解除をほのめかした時にはファンの契約続行嘆願署名運動もあって首がつながる。耳デビュー戦でスリーラン。日本で稼いだはずなのに、帰国後セールスマンという不可解な職歴の後、不運な事故死。
83年右翼バースの狭い守備範囲をよくフォロウしたものの北村よりかはうまくなかったアレン。
橋健江草と裏の最強救援トリオHESを形成した桟原将司。日本シリーズでは一死も取れずに防御率無限大。その後敗戦処理にまわることが多く116試合連続無敗の野球を知らない人が聞いたらとてもすごそうな記録を更新。
台湾からテスト入団鄭凱文(ジェン・カイウェン)が64番から変更もおもにウェスタンリーグでDeNAを経て帰国。中信兄弟で長く活躍。
藤川俊介と高宮和也が短期間つけた後、大勢いた鶴岡捕手の一人で最強の二番手捕手鶴岡一成が久保のFA補償で横浜DeNAから移籍。阪神でも夏から秋になると梅野に代わってスタメン出場。金本超変革で出場機会減って引退。 |
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