背番号[41]の名選手列伝
黄金の内野陣の名二塁手、バックトスと悪球打ちの鎌田実。サンテレビの解説はかれこれ二十有余年。
03年喧嘩の強そうな星野補強で伊良部秀輝が凱旋帰国。03年の優勝に貢献するも終盤調子を落とし、04年春のキャンプ中飲み屋で暴れるなどした後ひっそり退団。
飲み屋で大怪我、飲酒運転で逮捕などの暴れん坊キャリアを引っさげてスペンサーが来日。桧山をよく休ませた以外はとくに働かず。
背番号[42]の名選手列伝
ライオンズ時代の真弓。かつてはヒルトン、パチョレックといった中古米人。ここんとこウィルソン、ジョンソン、タラスコ、クルーズ、ハンセルと2年もたない。
が、03年喧嘩の強そうな星野補強で日ハムから来たタフガイ下柳剛。よく先発ローテーションを守り、5回か6回を3失点ぐらいでゲームを作る。05年ヒーローインタビューで「勝てたらいいなと思ってました」を連発して史上初、規定投球回未満の最多勝。 |
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背番号[43]の名選手列伝
バッキー以来、ゲイルの前にいた米人投手、オルセン。
どこでも守れるスピードキング上坂太一郎。F1セブンの一角として一軍半に定着するも80キロ超のものすごいスピード違反後出番に恵まれず。
背番号[44]の名選手列伝
前人未到空前絶後史上最強打者、ランディ・バース。衰える前に息子の病気とそれに関する契約トラブルで帰国。来日最初の2年間は主に右翼手。投手交代のインタバルでは、当時ラッキーゾーンにあったブルペンでお茶を飲んで休憩。そのまま閉じ込められるという持ち芸で外野席を沸かせた。藤田平引退で一塁固定とともに打ち出す。
ロッテから来た足長おじさんアルトマン、赤鬼ブリーデン、耳デビュー戦ホームランの打たんトン、西本から3ランの左投右打オルト、メイドインジャパンのアリーグ本塁打王フィルダーらの強打者いずれも44番。
体格に見合わぬ長打力のなさを見抜けず一時関本健太郎。
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背番号[45]の名選手列伝
身長2mで日本シリーズ2勝。リチャード・ゲイル。 |
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背番号[46]の名選手列伝
70年代後半の第3捕手・大島忠一。稀に代打起用もあった現在の浅井。川崎球場の大洋戦、大島代打起用後に田淵、片岡が交代や負傷退場でキャッチャー不在。外野から池辺がやってきて1イニング古沢の球を受ける。(すべて直球) |
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背番号[47]の名選手列伝
針の穴を通すコントロールで天覧試合先発の小山正明。かっぱえびせん山内との世紀のトレードで狭い東京球場を本拠とするロッテに移籍すると、高目速球で捕邪飛に討ち取る甲子園投法が封印され、魔球パームボールを編み出す。
その後選抜優勝のドラフト2位ルーキーながら通算1勝の吉良、半季で6勝したけどケガで通算成績も10勝そこそこだった藤原、マルサの最終回で実は悪者だった嶋尾と恵まれない投手続きだったのは小山の怨念か。
阪急から大洋を経てやってきた童顔の中継ぎエース伊藤敦で怨念払拭。
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背番号[48]の名選手列伝
村山に金やんと同じ34番をつけさせられる前のマイク仲田。
近鉄からやってきた90年代の池内、勝ち試合も負け試合も投げてた久保康生。05年コーチとして復帰し、最強救援陣JFKを生み出す。
ロッテのリリーフエース成本年秀がリリーフエースとしてカムバック賞受賞も活躍は1年だけ。
よみうりのリリーフエース石毛博史がおもに敗戦処理要員として。
重たい背番号の名選手列伝
[49]
ドミニカから米大リーグ、台湾を経てやって来たカリブの怪人ベン・リベラ。1年半ほどストッパーとして活躍。その後、韓国に渡る。
毎年背番号がかわるだけでなくカーライルとの見分け方が最後まで判然としなかったハンセルの1年目は49番。
[50]
サウスポーなのにファミスタでは右で投げさせられてた古溝克之がオリックスからやって来た。船木と同じトラさんフェイスで、真っ直ぐとカーブしかないのにリリーフ中心に3年ほど活躍。
ヤクルトから親父のおまけでやって来た野村カツノリ。
[51]
高校を中退してテスト生入団の古沢憲司が70番、43番、25番を経て51番をつけて大ブレーク。70年代前半の準エース。一死三塁でピッチャーゴロを捕球、ホームに突入する三塁ランナーを眺めながらファーストに送球するボーンヘッドが似合う速球派。あだなのバーティは愛犬の名前に由来ということになっているが、ゴルフの「パーの下」説も捨てがたい。田淵がらみの大量トレードで西武移籍。
[52]
江夏二世だったはずがロッテで打者転向の遠山昭治が奬志と名を変え98年52番で復帰。サイドスローで再生後、松井キラーや葛西とのツープラトンストッパーなどリリーフで大活躍。
立命館から05年入団の赤松真人。ウェスタンリーグでいきなり首位打者&盗塁王。赤星のいないチームならどこでもレギュラー確実。
[53]
8番になる前の吉竹春樹。歌って踊れる外野手加藤博一退団後あいてた8番へ。85年史上最強の2番バッターの一人。
世界を目指す盗塁王、F1セブン1号車、レッドスター赤星憲広。ルーキーで盗塁王を獲得し新人王。以来4年連続盗塁王。怪我で2,3か月休んだ年も盗塁王。JR東日本では車掌資格を取ったり、盗塁の数だけ車椅子を障害者施設に寄贈したり、痴女のストーカー被害にあったりとマルチに大活躍。
[54]
座間キャンプから入団のマイク・ソロムコ。2割5分前後の低打率ながら1番または5,6番を打って62年の優勝に貢献。若生とのトレードでロッテへ。引退後鍋の輸入会社を設立し愛娘クリスさんとCM出演。
大学と卒業後最初に入った会社が筆者と同じ梅さん平塚克洋が大洋、オリックスを経てやって来た。一時期4番も打ちオールスター出場。
来日1年目からストッパーとして大活躍。豪州出身ジェフ・ウイリアムス。たまにスライダーが切れない日は見るすべもないが、日本シリーズ、五輪などの大舞台に強い。05年最強リリーフ陣JFKを形成。
[55]
出場機会に恵まれなかった清家政和が平田入団で西武に移籍。ライオンズでは準レギュラー。
関川久慈とのトレードで矢野とともに中日からやって来たスラッガー大豊泰昭。アメリカからやって来たディミュロ審判に詰め寄って帰国に追込む。
お父さんが力士だった怪力でウエスタンリーグのホームラン王喜田剛。
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単に体格が似てるのとアンダースローということで小林の抜けた穴を埋めると期待された御子柴進。毎年2,3勝の地味な成績で細く長く勤め、オールスターファン投票の第1回中間発表では例年1位。
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1年だけ在籍して年棒でモメたことだけで球史に名を残したマックファーデン。
安芸市営球場のディアーネットにその名を残すロブ・ディアー。打率1割台前半でも中村中間管理職監督によっておもに3番起用も、当然1年もたずに退団。
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[59]
ブルペンでいつも受けてた80年代のカベ加納茂徳。生涯唯一のヒットは星野仙一から。
ウェスタンリーグで最多勝も一軍では進化せぬままだったダーウィン。
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打撃練習ではいつも登板していた70年代の打撃投手似鳥功。
00番になる前の田中秀太。F1セブンの一翼を担って1年だけ準レギュラー。
[61]
中卒ルーキー辻本賢人。
[62]
沖縄からやって来た渡真利克則。85年はバースの守備固めで一塁を守り、優勝決定試合もウィニングボールを捕球。将来のクリンナップ候補だったが、審判になった。
[63]
宇宙人新庄剛志。準優勝の92年、入団3年目にブレーク。新人王争いは僅差で久慈に譲って、背番号は5番へ。
[65]
ハリウッドスター系フェイスで03年中継ぎで優勝に貢献したジェロード・リガン。翌年ひじを痛めて退団。
[91]
南海ダイエーで活躍した晩年の吉田豊彦が金銭トレードでやって来た。ろうそくの消える前の最後のきらめきか、リリーフでそこそこ活躍。さらに近鉄移籍後もストッパーを務めるなどした後、楽天でもしぶとくしばしば好救援。
[92]
30番だった藤川球児が名前にちなんだ92番にかえて一時先発ローテーション入り。その後22番にかえてリリーフで大ブレイク。
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球団職員を経て入団の中込伸。ローテーションの一角を担ってオールスターにも出場。ひじを手術して1番へ。
今岡がムース野村に干されててもこいつを獲ったから大丈夫と思わせた逆指名ルーキー的場寛壱(寛一)。野球より怪我と闘う数年を過ごしてとうとう戦力外通告。
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